第六章55
『雪解けを待つあなた』
五度目の朝。今度は隠さず、全部を打ち明けるところから始める。
🕳️ 闇
――闇が、まとわりついている
――黒い、暗い、遠い、深い、長い、重い、苦い、闇がある。
想像できるだろうか、体中、余すところなくカサブタに覆われるような感覚だ。
そもそもカサブタに触れる指先さえもカサブタに覆われていて、本来の『自分』の姿形がわからない。
自分の、『魂』の形を、在り様を見失い、散々、どうしようもない迷走を繰り返した挙句に、ようやく、その一欠片に指がかかったような、そんな感覚。
託し、信じ、赦し、願い、在ろうとした『自分』が、そこに。
『――愛してる』
――白い、明るい、高い、尊い、美しい、甘い、光に向かって。
❄️ 目が覚めた?
――五度目の、目覚め
「――スバル、目が覚めた?」
涼やかで優しく、穏やかで芯が強く、華やいで、そして愛おしい、声音だった。
それが聞こえて心臓が弾む。
「……えみ、りあ?」
「ええ、そうよ。スバル、大丈夫? 起きれる? ちゃんと話せる?」
――端的に言って、この世のものとは思えない美少女がそこにいた。
😳 あわわ
――蜃気楼では、ないらしい
(*゚д゚*)
「う、ぁ……あわわ、あわわ……」
「あわわ……?」
砂漠で見る蜃気楼と言えばオアシス――つまり、その瞬間に最も欲するものを見るのがお約束だ。
そのルールに則って考えれば、これは蜃気楼なのではないか。なんと贅沢な幻――。
「だ、大丈夫、スバル? やっぱり、どこか調子が悪いんだわ。倒れてたんだもの」
「ひゃぅっ!」
「ほら、今、ひゃうって!」
『エミリア蜃気楼説』が否定されて、天動説を覆された学者のような心境を味わっている。
🟣 ベティー
🟣蔑ろにするな、と声がする
「――さっきから、ベティーを蔑ろにして話をするんじゃないかしら。まったく、心配してたのはエミリアだけじゃないのよ」
「ベアトリス……」
「また、ずいぶんとへちゃむくれた声を出すかしら……まるで、可愛いベティーがここにいるのが信じられないみたいな顔つきなのよ」
「――にゃっ!?」
「ベアトリス、ベアトリス、ベアトリスぅぅぅ!」
「な、な、な、なんなのかしら!? どうしたのよ!? いきなりすぎるかしら!」
「お前、お前……お前は、ホントに、落ち着く顔してるな! 実家に帰ってきたような可愛さだ。惚れ惚れするぞ」
「それ、まさか褒めてるつもりじゃないと思いたいのよ!?」
💧 泣かなくていい
――肩が、震えている
「――スバル?」
驚きに見開かれる瞳が、触れようとしたスバルの肩を見つめる。微かに震え、嗚咽するスバルの肩を。
「スバル? スバル、どうしたかしら。ベティーはここにいるのよ。大丈夫、大丈夫かしら。泣かなくていいのよ」
「泣かないで、スバル。焦らなくていいから。ゆっくり、深呼吸して、落ち着いて。ちゃんとベアトリスも、私も、一緒にいるから」
何もかもが崩れ、失われ、取り返しのつかなくなってしまった世界で、それでも自分よりも他人を、スバルを優先して、死地の中でも気高くあった二人は、変わらない。
「戻って、きたぜ……」
🙇 打ち明ける
――今度は、最初に言う
「そんなわけで、実は『タイゲタ』の書庫で記憶を落っことしてきたらしいんだ。みんなには色々と、会話が噛み合わなかったりで迷惑をかけるかもしれないんだが、そこのところは了承してほしい」
一番色濃いのが混乱であり、戸惑いや悲嘆は後回しの様子だった。
「みんな、すごーくスバルのことが心配だと思うわ。でも、私たちがしゃんとしててあげないと、一番不安なのはスバルなんだから……」
「……エミリア様はそうおっしゃいますが。ラムには肝心のバルスが一番不安がっているようには見えません。というか、これは何の茶番なの、バルス」
「茶番じゃねぇよ。すげぇ正直に不安と事実を打ち明けてるよ」
⚖️ 代償
――代償は、何なのか
スバルの身に宿った『死に戻り』の力は、運命を捻じ曲げる強大な力だ。
強力な力には、それに見合った代償があると考えるのが自然だ。
回数制限付きか、あるいは繰り返すたびに何かを犠牲にしている可能性が高い。
無限の試行回数を与えられるほど、スバルは自分が運命の女神に溺愛されているなどと自惚れていない。
これが最後の機会でも、何の不思議もない。
「まさか、俺の記憶が消えてるのって、『死に戻り』の代償じゃねぇだろうな……」
何より恐ろしいのは、仮にそうだったとして、これを確かめる術がないことにある。
――まさか、間の記憶にない周回が無数にある、なんてことがないことを願いたい。
🟣 味方
🟣嘘をつく理由がないのよ
「わかるけど?」
「俺に……」
「スバルに、こんな悪趣味な嘘をつく理由がないのよ。ラムも、スバルの考えにそのぐらいの信用は持っているはずかしら」
「エミリアの言葉も、まんざら嘘じゃないのよ。記憶をなくして、一番不安がってるのはスバルかしら。だから、ぽろぽろ子どもみたいに泣いたりもしたのよ」
「そのエピソード、話されると恥ずい」
――それだけに、前回の最後、ベアトリスが見せた儚い安堵と、『連れ出した』という言葉が思い出される。
いったい、『ナツキ・スバル』は、ベアトリスに何をしてやったのか。
🦂 生きている
🦂その子が、そこにいる
全員、全員が揃っていた。全員と、また言葉を交わす機会が与えられたのだ。
「――それにしてもお、お兄さんってばホントに困った人よねえ」
「なあに、その反応。まるで死んじゃった人に会ったみたいな顔して、すごおく失礼じゃなあい?」
メィリィ・ポートルートが、動いて喋って、確かにそこにいる。
「あらあ? わたしの名前は覚えててくれてるのねえ。……っていうか、わたしはお兄さんがいつもとどこが違うのかわからないんだけど、何を忘れちゃったのお?」
「いわゆる、エピソード記憶の欠落ってヤツで、物の名前とかはわりと覚えてるんだが、人との思い出はかなり危うい」
「……それって、例えば昨日のこととかもなのお?」
「――そうだ」
苦しい言い訳で言い逃れることもできたが、それはしなかった。しないと決めていた。
――可能な限り、スバルは誠実に、彼女らとやっていく。
🌟 まいっちんぐ
🌟また記憶なくしたッスか
「お師様、また記憶なくしたッスか? あーしのこと何回忘れたら気が済むんスか。あーし、まいっちんぐッスよ~」
前回まではさらっと流せたシャウラの戯言だが、ここまでくると、微妙に聞き流せない雰囲気の発言である印象が強い。
「お前の与太を掘り下げるのもおかしな気分だけど、そんなにお前のお師様ってのは記憶がポンポン飛んでるもんなのか?」
「――? 結構、ポンポン飛んでたッスよ。朝起きて、あーしが挨拶したら『お前、誰だっけ? 覚えてねぇなぁ。知らねぇなぁ』ってよく昔の女扱いされたッス」
「うーん、そのレベルだと、悪ふざけなのかどっちなのか判断がつかねぇな……」
❄️ ちゃん……
――エミリアが、寂しげに呟く
🧣 エキドナ
「記憶喪失の一件はわかった。正直、まだ受け入れるには時間のかかる内容と言わざるを得ないが……この塔に、そうした現象を起こす可能性、罠のようなものがあると、そう考えて行動した方がよさそうだね」
「事件現場として一番可能性が高いのは、倒れてる俺をエミリアちゃんたちが見つけてくれた『タイゲタ』の書庫だ。元々、曰くつきみたいな場所だしな」
「ちゃん……」
「――?」
前の周回でも、彼女はスバルと会話中、何度かこんな表情と反応を見せた。
何か、致命的な見落としがあるのだろうか。――それが、怖いが。
🪣 水汲み
――ラムを、連れ出す
「いこうぜ、ラム。――ちょうど、俺を水場に誘いたそうな顔してただろ」
「――いやらしい」
「それで、さっきの茶番はどういうつもりだったの? こうしてラムを連れ出した以上、それを話すつもりがあるということでしょう?」
彼女がスバルの『記憶喪失』発言を、全く真に受けていないのは毎回のことだ。
――レムの存在。眠り続ける、ラムの最愛の妹。
その身を案じるが故に、スバルの『記憶喪失』をラムは認めることができないのだ。
🔥 種火
――怒りが、燃え上がる
「エミリア様とベアトリス様に、あまり大役を任せるのはやめなさい。ベアトリス様はともかく、エミリア様にはまだ荷が重いわ。だから、ここでラムを巻き込もうと考えたことは評価してあげる。詳しい話を……」
「――ラム、俺の記憶がないのは本当だ。嘘でも、ペテンでも、作戦でもない」
「今、俺の手の中は空っぽだ」
「やめなさい、バルス。それ以上……」
「――レムのことも、俺は」
「バルス――!!」
胸倉を掴まれ、壁に背中から叩き付けられた。
「何のつもりなの? こんな……こんな、くだらない嘘を!」
「ついていないとでも? じゃあ、どうしろっていうの? ラムに、信じろとでも? バルスがレムを、忘れた……そんな、そんな馬鹿な話!」
🤝 約束
――レムは、必ず取り戻す
煌々と燃え盛る炎、それが怒りより、嘆きによるものだとようやくスバルは気付く。
「――レムは、必ず取り戻すよ」
「どの口で……取り戻すも何も、忘れたんでしょう、バルスは、レムを!」
「それでも、取り戻す。レムのことも、記憶のことも、この塔にきた目的も、全部、一切合切やり遂げて、全員で帰る。――そのぐらいの報酬、あって当然だ」
「ラム。俺は記憶も、レムも、取り戻してみせる。そのために、力を貸してくれ」
「必ず、やり遂げる。何度でも、食らいつく。もし、この約束を破ったら、お前の前で俺が諦めたら、そのときは煮るなり焼くなり好きにしろ」
「それが、俺の覚悟だ」
🕳️ 空
🌸忘れたら、空なのよ
「……どうしてそこまでするの。バルスが本当にレムのことを忘れたなら、そうまで取り戻したいなんて思えないはずよ」
「忘れたら、空なのよ。ぽっかりと、そこには空白があって、そこにあったものへの想いは失われてしまう。消えてしまう。愛も憎しみも、温もりも寂しさも、全部」
その、ひどく実感のこもった言葉は、あるいは彼女自身が経験した空白なのだろう。
「でも、お前がレムを大切にしてて、取り戻したいって必死に願ってるのは知ってる」
「今、俺がレムを取り戻したいのは、『ナツキ・スバル』と、お前のためだ」
「だから、俺が諦めたとき、どうするかはお前に任せる。それが、自分の都合で頭の中身を落っことしてきて、お前を泣かせた俺の罪滅ぼしだ」
「泣いてないわよ、ふざけないで」
(゚д゚;)
「痛ぇッ!?」
📉 株価
――評価が、また下がる
「お、お前……俺、今、結構、勇気のいる話を……」
「勝手に盛り上がって、何が勇気のいる話? 大体、バルスが約束なんて笑わせないで。この世で一番、信用の置けない条件をよく自分から出してきたものだわ」
「それ、エミリアちゃんにも言われたんだけど、昨日までの俺はどんだけ約束破ったの!?」
「守った約束がいつあるの?」
「そんなレベル!?」
「むしろ、一人で何とかしようとした挙句、結局被害を広げるのが得意なウスノロよ。ラムも、迷惑ばかりかけられたわ」
「あとはなんだ? 足が短くて、物覚えが悪くて、偏食家で、諦めが悪くて?」
「足が短くて、物覚えが悪くて、偏食家で、諦めが悪かったわ」
「ですよねー」
🔵 それと
🌸それと、レムを大事にしてくれてた
「――それと、レムを大事にしてくれてた」
温かな――声に色があると例えるなら、それは柔らかな薄紅、包み込むような淡い色。
薄紅は、優しさの色だと、スバルが錯覚するほどに。
「バルス。――本当に、レムを忘れたのね?」
「……ああ」
「バルス。――本当に、レムを思い出すのね?」
「ああ、思い出す。レムだけじゃなく、他の全部も」
「他の全部が抜けてても最悪気にしないわ。レムのことだけは思い出しなさい」
「無茶言うなよ。全部取り戻させてくれよ……」
「繰り返すわ。レムのことだけは、死んでも思い出しなさい」
「ああ、それは誓える。――死んでも、全部、思い出すよ」
🌸 雪解け
🌸雪解けの季節が訪れれば
「……いいわ。この場は、見逃してあげる」
「立ちなさい、バルス。諦めることも、膝を折ることも、ラムは許さない」
「俺は……『ナツキ・スバル』は、確かにここにいたんだよな?」
それは確認というよりは、どことなく不安な弱音に近いものだった。
「――馬鹿ね」
「今はほんのひと時、見えなくなっているだけよ。多くのものが積み重なって、その奥底に隠れているからなくしたように感じるだけ。それは冷たい雪に埋もれた花のように、雪解けの季節が訪れれば姿を見せる。――きっと、ただそれだけの話なのよ」
あれだけ格好をつけた直後に、こんな情けない顔は見せられない。
こちらを見ようともしないラムの在り方が、この瞬間のスバルには本当に慈母のように思えた。
🔎 フィルターを外す
――疑いを、外して見る
前回、あれほどスバルはエミリアたちを疑い、その行動の端々、態度、発言をあらゆる角度から疑ってかかった。
しかし、そんな疑惑のフィルターを外してみれば、見えてくるのはスバルへの気遣いと、基本的には自己への叱咤。
その行動を不審に、不自然に、そう感じたのはスバル側の問題でしかなかったのだ。
「ちゃんと、やろう。ちゃんとやれよ、ナツキ・スバル……」
前々回は、塔の中でスバルは仲間たちの『死体』を次々と発見した。
前回はそれとは違い、今度は仲間たちの『死』を次々と見届けることとなった。
スバルは最悪の悲劇を知るものとして、そうなることを防がなくてはならない。
🕵️ 推理
――先に、待ち構える
これ見よがしに、高所の淵に立ったスバルの背後で、微かな息遣いがした。
それを事前の知識で反則気味に感じ取り、寸前で身を翻す。
「おっと、危ねぇ。――俺の代わりに落っこちるなよ」
その体は軽い。不吉な意味合いでの軽さではなく、その少女の見た目に適切な軽さ。
「さあ、話をしようぜ。――俺を殺した責任、取ってもらうからな」
第六章55『雪解けを待つあなた』終了。
エミリア
スバル
ベアトリス
ラム
メィリィ
シャウラ