第六章48
『――殺人は、癖になる』
他人の本心を知る方法が、この書庫にはある。ただし、その本が現れる条件は一つだけ。
🔒 ブラックボックス
――本心は、誰にもわからない
――どんな人間であっても、他人に見せるものとは別の顔を隠している。
笑顔の裏側に憎悪の表情が、怒りの形相の裏に悲しみの泣き顔が。
兄弟、姉妹、親子に夫婦、家族であろうと完全にはわかり合えない。
どれだけ関係を深めたところで本心はブラックボックス、決して暴くことはできない。
そうとも、それはわかっている。だが、だからといって、考えは放棄できない。
知りたい、わかりたい、聞きたい、暴きたい、それは傲慢だが切実な願いだった。
――否、存在しない、はずの手段だった。
📖 術
――ここには、その術がある
『死者の書』を読み解くことで、スバルはメィリィの人生を追体験した。
彼女がどんな思惑で動き、何を考えていて、最後に誰を憎んでいたのかを理解した。
彼女を欠片も理解できていなかったという事実を理解することで。
スバルのメィリィへの理解は、以前とは比較にならないほどに深まった。
この、『死者の書』こそが、真に嘘偽りのない、他者の本音を知る術ではないかと。
エミリアたちは味方なのか、敵なのか、スバルを殺した敵なのか、生かす味方なのか。
愛せるのか、愛せないのか。憎めるのか、憎めないのか。
――その答えが、彼女たちの『死者の書』を読むことで、理解できるのではないか。
🤏 ちっちゃい
――この子は、小さい
「……スバル、やっぱり調子が悪そうなのよ。ここにいるのが落ち着かないなら、場所を変えて休んだ方がいいかしら」
ちらと見れば、少女の小さな、小さすぎる掌がスバルの肩の上にある。
この手を取り、力一杯に頭を押さえ付け、床に叩き付けたらどうなるだろう。
「ちっちゃい、な……」
「む……いきなり何を言い出すのよ。このミニマムさこそが、ベティーの愛らしさの最たる所以かしら。スバルも、そう言ってたはずなのよ」
首は細く、骨も柔らかい。肩の上の手なんてスバルの掌ですっぽり覆えるぐらいに小さい。
――殺してしまえば、命がなくなれば、彼女の本も書庫に現れるのだろうか。
👧 声
――頭の中で、声がする
『わたしに、そうしたみたいにねえ』
どことなく甘く、年齢に見合わないほど艶めく、しかし妙に『馴染んだ』声色で。
極々短時間の間に、我が事のように感じられるほど身近となった声。
己の中に取り込んだ、死せる少女の声色が、ナツキ・スバルの意思を嘲弄する。
📚 元の位置
ベアトリスが、本を戻す
「元の位置に戻しておくだけかしら。今はベティーまで朦朧とするわけにいかんのよ」
「位置的には、わかりやすくて覚えやすいかしら。ただ、この書庫の本は勝手に移動する可能性があるから……」
「安全策とは言えない、か。……それは、うん、そうだな」
「持ち出しも、かなり危ないって考えるべきなのよ」
「一期一会の図書館、って感じだな」
🧊 思考実験
――現実的に、逆算する
最初に断っておきたいのが、あくまでこれは必要に迫られた思考実験ということだ。
ただ、現実的に、合理性を突き詰めたとき、この選択が最初に頭に浮かんだだけで。
『言い訳はいいからあ、何をするつもりなのか説明してくれないかしらあ?』
はっきり言って、ベアトリスの命は薄皮一枚の『スバルの理性』が繋ぎ止めている。
合理性が理性を上回ったとき、あっさりと、命を奪い取ることに成功するだろう。
『じゃあ、半魔のお姉さんはあ?』
彼女は一度、目覚めたばかりのスバルに細い首を掴まれても、抵抗を見せなかった。
確かに、彼女にはプロレスラーもかくやという腕力があった。
――だが、それを発揮させなければ何のことはない。
『ふふふっ、それ、得意だもんねえ』
⚔️ 最大の壁
――
ユリウスだけが、障害だ
ラムも、エキドナも、条件は同じだ。こうして考えてみれば、か弱い少女ばかり。
もっと適した人員がいくらでもいただろうに、人材不足も深刻だ。
「――ユリウス」
唯一、スバルと同じ男であり、剣まで手にした人物が障害として立ち塞がる。
それは言い方を変えれば、最初に倒すべきがユリウスである、ということでもある。
『本を探す時間を考えると、時間はいくらあっても足りないものねえ?』
殺すのは必要だからしなくてはならない通過点であり、本命はその先にある。
殺した、失敗した、では終われない。その先に、目的の場所があるのだから。
🐴 味方なのか
――あの地竜も、味方なのか
「スバル、ひとまず本はあれで良しとするのよ。いったん、精霊の部屋にでもいくかしら」
「パトラッシュ……」
「……また、あの地竜の名前を。まったく、心配し甲斐のないパートナーかしら」
命懸けでスバルを守るために奔走してくれたパトラッシュだけが、味方してくれる存在。
『本当に? お兄さんが、ホントは『ナツキ・スバル』じゃないって知っても、あの子はおんなじことをしてくれるのかしらあ?』
『結局、お兄さんの味方なんて、だあれもいないんじゃないのお?』
馬鹿馬鹿しい指摘だと、そう笑い飛ばせてしまえばよかった。
だが、実際のところ、スバルにそんな余裕はない。心は、少女の言葉に半ば賛同していた。
🩹 気付かれる
――手首の傷に、気付かれる
「ほら、スバル、手を貸すかしら」
言いなりになって手を差し出し、手を繋ごうとしたベアトリスが、何かに気付いた顔をする。
「引っ掻き傷があるのよ。それも、こんなに……」
状況的に、ベアトリスはメィリィの死に方を知らない。
だが、これがいったい何をしてついた傷なのかは不安に思うはず。
準備不足の心臓が、早鐘のように鳴り始める。
眼前、ベアトリスはスバルの手元に目を落としていて、こちらの表情には気付いていない。
今ならば、とっさの行動でベアトリスを制することができる。
『どうするのお? もお、始めちゃうのかしらあ?』
😔 悪い癖
――また、自分を引っ掻いたのだと言われる
「――また、自分の腕を引っ掻いたみたいなのよ。悪い、癖かしら」
「……ぁ?」
「この位置は、良くないのよ。エミリアに見つかったら、なんて心配されるかわかったものじゃないかしら。ベティーも、あまり酷いようだと目こぼしできないのよ」
ベアトリスは、まるでスバルの腕の引っ掻き傷を見慣れているような態度だ。
自傷で、腕に傷がついていることに、戸惑いがない。
エミリアには隠していると言われても、それは衝撃だった。
✨ 治癒
――温もりが、敵意を溶かす
「精霊のいる、あの部屋にいけばこの傷も治療されるかしら。それでも、見てられないから、ちょっとだけでも治しておくのよ」
じんわりとした感覚がもたらしてくれるのは、傷が癒されていく疼きだろう。
同時に、スバルの内側で、ベアトリスに対する敵意が急速に霧散していく。
この温もりと一緒に、手首の傷と一緒に。
ひび割れつつあったナツキ・スバルの人間性が、確かな修繕を受けたかのように。
『つまんないのお』
⏳ 準備が整うまで
――今は、まだ
確かに、選択肢ではある。だが、選択肢にはあるだけだ。
何も率先して、『死者の書』を望む方向へと、自らを誘導する必要はない。
この場では、ベアトリスに危害を加えることは得策ではない。
まだ、準備が整っていない。仮に最悪の手段を行使するとしても、万全の準備が整ってから。
「さあ、いくかしら、スバル。みんなには、ベティーがあとで言っておくのよ」
「――わかった。面倒かけて悪い、ベアトリス」
「それは言わない約束かしら」
🔁 癖になる
――『殺人は、癖になる』
一つ、これは余談だが、こんな言葉がある。
――『殺人は、癖になる』。
それは、かの有名な名探偵が世に残した言葉の一つだ。
――『殺人は、癖になる』。
殺人の嗜好に目覚め、欲求を満たすために犯行を繰り返す、といった意味ではない。
――『殺人は、癖になる』。
一度、殺人によって問題の解決を図ったものは、次なる問題が発生した場合。
やはり同じように殺人によって状況を打破しようと考える、という意味だ。
――『殺人は、癖になる』。
する必要のない殺人を、選択肢の一つとして考えている時点で。
すでに何か、一番最初の大切なものを掛け違えている。
――『殺人は、癖になる』。
自らの意思で犯した殺人は一つもなかったとしても、その行いを嫌悪していたとしても。
その行いに害された当事者の記憶を垣間見ていても、癖は抜けない。
――『殺人は、癖になる』。
癖は、抜けない。
――『殺人は、癖になる』。
第六章48『――殺人は、癖になる』終了。
スバル