第七章13
『神ならぬ身にて』
三日ぶりに目を覚ましたスバル。待っていたのは、見知らぬ天井と、冷たい目をした少女だった。
🌫️ ゆらゆら、ふらふら
「知らない天井だ」
意識が、船の上みたいに揺れている。
足りない。血も、肉も、骨も、安らぎも。
人を作っているものが、どこかでこぼれ落ちてしまったみたいに足りない。
それでも、進まなくちゃならない。
目を覚ますと、顔から胸元までが濡れていた。
(;´Д`)
「……知らない天井だ」
見上げた先にあるのは、粗末な木を大胆に組んだ掘っ立て小屋の天井。
記憶をたぐる。コンビニを出て、異世界に来て、砂の塔を攻略して、隣国へ飛ばされて――
ここはルグニカ王国ではない。ヴォラキア帝国だ。
✋ 握られたまま
「いい加減、離してください」
飛び起きようとしたスバルへ、横合いから硬い声が飛んだ。
(¬_¬)
「――何を、バタバタと騒いでるんですか」
青い髪を短く切り揃えた少女が、険しく目を細めてこちらを見ている。
そして気づく。自分の右手が、彼女の手を握っていることに。
「まさか、起きるまで手を握っててくれたのか?」
「は? 気持ち悪いこと言わないでください。あなたが、私の手を握って離そうとしなかったんです」
期待と現実の区別がつかず、機嫌をさらに損ねただけだった。
「手汗でぬるぬるします」
🧊 埋まらないまま
「あなたの方が、よっぽど重傷でした」
「レム、どこもケガしてないか? どっか痛いところとか、隠さないで教えてくれ」
無事を確かめたいだけの問いかけ。
返ってきたのは、ひどく冷たい反応だった。
「……あなたの方がよっぽど重傷でしたよ。あと少しで死んでしまうところだったのに、その自覚はないんですか」
(・・・・・・)
自覚は、ない。
しかも今回は、溝を埋めるための時間すら作れていない。
ただ必死に、彼女を帝国の陣地から救い出そうとしただけだった。
🖐️ 消えているもの
黒くない、右手がある
欠けていた記憶のピースが、また一つ埋まる。
帝国の陣地に囚われたレムを助けるため、大博打を打った。
森で『シュドラクの民』と遭遇し、同じ牢にいた男と一緒に、彼女たちの儀式を受けた。
そして――
「……黒くない、右手がある」
水門都市プリステラで負った、右腕の醜い黒い紋様。
消えなかったはずのそれが、跡形もなくなっている。
あの黒い紋様が、ボロボロの右腕を治した。
悪夢のような記憶は、夢ではなかった。
『血命の儀』を生き延び、レムの奪還を成し遂げた。
――代わりに、多くの犠牲を出しながら。
💧 濡れていた理由
自分の左を見てみればわかります
確かめなければならないことが、まだある。
陣地に囚われていたはずの、もう一人。
「正直に聞くけど、あいつは……ルイは?」
(¬_¬)
「――。苦々しい顔ですね。どうして、あの子を遠ざけるんですか」
説明しづらく、話しても通じないだろう理由がある。
「――自分の左を見てみればわかります」
同じ寝床、同じボロ布の中。
目覚めたときの、顔と胸元のドロドロした感触。その正体は――
声にならない絶叫が上がった。
🌿 森の集落で
「無事に目が覚めたようだナ」
「おオ、スバル! どうやラ、無事に目が覚めたようだナ」
広場に出たスバルを迎えたのは、『シュドラクの民』の若き族長。
褐色の長身が、無遠慮に上から下まで様子を確かめてくる。
「死ねバ、勇敢な同胞の魂を天に返シ、亡骸は土へ弔うだケ。そうならズ、お前の魂が留まったことは喜ばしイ」
飾らない言葉が、静かに胸を衝く。
「すでに相手がいるのが残念ダ。レムとルイ、もう一人くらい増やさぬカ?」
「お言葉が過ぎます。私はこの人のことを、信用も理解もしていません」
「ならバ、私がもらい受けてもいいのカ?」
「ええ、当然です。差し上げます」
(╬゚Д゚)
「俺の意思が反映されてない!」
見渡した集落には、文明の兆しがない。少ない人数で、狩りをしながら生きている。
何を思っているのか、今のスバルには読み取れない。
🎭 集会場にて
「ようやくお目覚めか」
広場の奥、集落で一番大きな建物。
その入口をくぐった先で、地べたに膝を立てて座る男が待っていた。
👤 面の男
「ようやくお目覚めか。いいご身分だったではないか、ナツキ・スバル」
(・・・・・・)
言葉を失う。男の顔に被せられているのは、赤と白に塗られた鬼の面だった。
「……お前、そのお面なんなの?」
👤 面の男
「献上された品だ。元より、今後も顔は隠しておくつもりだった」
焚火を囲むシュドラクの中に、男が一人紛れている。
その態度は、恐怖でも信頼でもない。
敬服だった。
短時間で、いったいどんな手を使ったのか。
⚠️ 三度目はない
「俺の名を、軽はずみに口にするな」
「とりあえず、あんたとサシで話がしたい。――ヴィンセント・アベルクス」
面の向こうの顔は見えない。
だが集会場の空気が引き締まり、体感の温度が下がった。
「一度目は朦朧としていたから許すが、俺に同じことを語らせるな。故に、三度目はないと知れ」
「……嫌だと言ったら?」
「相応の罰を与える。貴様に音を上げさせる方法など、いくらでも知っているぞ」
はったりではない。手数が限られていても、この男は言ったことを必ず成立させる。
(¬_¬)
「死にかけて三日も眠っていたくせに、つまらない意地を張って体を大事にしないみたいでしたから」
三日。スバルは、それだけ眠っていた。
🚪 二人きりにするために
「嫌だと言ったら、どうしますか?」
「ミゼルダ、全員を下がらせろ。俺と、この男だけでいい」
族長が従えば、他のシュドラクも残らない。
「貴様のしたい話をするのに、その女がいるのは都合が悪いだろうよ」
見透かされている。だが、その通りだった。この先の話を、レムに聞かせたくはない。
「……嫌だと言ったら、どうしますか?」
(;゚Д゚)
さっきのやり取りを揶揄されている。分かっていても、食い下がられると弱い。
「だったら……だったらズルいけど、走って逃げるよ」
杖をつく彼女には追いつけない。今のスバルが明確に勝れる、数少ない一点。
「ごめんなさい、心配かけてしまいましたね。ただ少し、この臭い人に嫌味を言いたくなっただけですから」
どんな嫌味よりも、その一言が深く刺さった。
🔥 焚火を挟んで
「これは、貴様の功績だ」
二人きりの集会場。真ん中に燃える焚火を置いて、炎越しに向かい合う。
「まず聞きたいのは、どっからどこまでが夢で、本当のことだったのかだ」
「バドハイムの外に展開していた帝国の陣は、シュドラクの力で以てことごとく打ち滅ぼした。貴様の見たものは、幻でも何でもない」
現実だと、改めて告げられる。胸の奥に重いものが差し込まれた。
「俺が指揮し、シュドラクが陣地を滅ぼした。それも、こちらの被害は皆無だ」
「――。つまり、お前の指揮能力がすごいって自慢話か?」
「いいや、そうではない。――これは、貴様の功績だ」
(・・・・・・)
思考が止まる。称賛される理由が思いつかない。
「俺やシュドラクが無傷で勝利できたのは、相手の陣容を子細に知ることができたからだ。他ならぬ、貴様の口から聞き出してな」
『血命の儀』のあと、瀕死のスバルを生かすために薬が使われた。
その副作用が、頭を朦朧としたまま固定した。
だから――聞かれたことに、ペラペラ答えた。
小間使いとして数日を過ごした野営地。どこに何があり、何人いて、武器がどこにあるか。
先制でそこを潰せば、圧倒的有利になる。
💢 埋まらない溝
「それを、夢物語というのだ」
「薬なんて、冗談じゃねぇ! そんなもん、勝手に使いやがって!」
「だが、それがなければ貴様は女と再会することもなく死んでいた。死人を生かし、罵られる謂れはない」
(╬゚Д゚)
「俺は戦争に加担なんかしたくなかった! あんな、大勢の人が、死んで……なのに、お前は!」
「――貴様、何か勘違いしているな」
仮に意識がはっきりしていたとしても、レムを助けるにはシュドラクの力が要った。
ならばスバルは、持てる知識を吐き出したはずだ。野営地の陣容も、話したはずだ。
「結果は同じだ。貴様が瀕死であろうとなかろうと、結局は貴様の知識によって野営地の秘密は暴かれ、奴らは死に絶える」
抗弁を探そうとして、その流れが自然と浮かんでしまった。
「けど、その場合は俺が作戦会議に加わってる。人死にが出るような作戦は、俺だったら絶対に反対した」
「貴様に説得できたと? 殺す以外の術を持たず、知らないモノたちを説得し、人死になく円満に女を救い出すことが可能だったのか?」
「それ、は……」
見ているものが違う。生き方が異なっている。
隔絶した死生観の違いが、二人の間に横たわっている。
レムが失われるまでの短い時間で、その壁を越えることはできなかった。
そう、スバル自身も確信してしまっていた。
「……だからって、俺は諦めたくなかった」
「貴様が諦めぬ代わりに、貴様以外の誰かが死ぬ。立ち止まり、愚考に耽るということは、それを許容するということだ」
👑 名乗り
「俺は王だ。王の中の王」
許し難い現実を呪いながら、スバルは歯を食いしばる。
苛烈さと引き換えに、この男は結果を引き寄せたのかもしれない。
だが、代わりに失われる命を選別する権利が、どうしてこの男にあるのか。
「お前、何様なんだよ。神様にでもなったつもりなのかよ……」
「たわけ。神でも英雄でもない。無論、この世界を見下ろす邪悪な観覧者とも違う」
「民草は、頂に立つそれを皇帝と呼ぶ。――俺が、それだ」
自分の胸に手を当てて、堂々と宣言する。
仮面の向こうの表情は見えない。
それでも、一度だけ見た素顔が大胆不敵な笑みを浮かべているのが、目に浮かんだ。
(・・・・・・)
息を呑むことさえ忘れた。
「もっとも、今は頂から降ろされ、野に下った身だがな」
第七章13『神ならぬ身にて』終了。
スバル
レム
ルイが、口を大きく開けてすやすやと眠っていた。
ミゼルダ
アベル