第七章7
『男はつらかったよ』
捕虜としての数日が始まる。傷の手当てを受けながら、この国の常識を一つずつ知っていく。
📄 いつかの執務室
「私はね、治癒魔法が使えないんだよ」
資料を片していて、紙で指を切った。
「おや、スバルくん、どーぉうしたね? 紙で指を?」
「これ、ちょちょいっと治せたりする?」
「いやいや、そうじゃーぁないさ。――私はね、治癒魔法が使えないんだよ」
「そうなの? てっきり、何でもできる万能魔法使いだと思ってた」
「いや、治癒魔法以外は大体使えるけどね」
(╬゚Д゚)
「ガチの一個だけの穴!?」
「治癒魔法の有無は戦いを……ある種、戦場を大きく変えると言ってもいい。だから案外貴重な才能でね」
使い手は貴重で、専門の治療院に師弟制度が存在するほどだという。
🃏「治癒魔法があることに浸かりすぎていると、いざケガをしたときに耐えることを忘れてしまう」
💊 添え木と包帯
「痛いぞ痛いぞー」
「ほれ、添え木でも噛んどけ。痛いぞ痛いぞー」
赤紫に変色した三本の指に、つんと臭う薬が塗られる。
添え木を当て、包帯でぐるぐると固定して手当ては完了した。
「あとは最後にこの水薬だ。多少なり痛みも和らぐだろうさ」
中身はドロッとした緑色の粘液。覚悟を決めて飲み干す。
「おぶぇっ! まずっ! 重たい液体が喉に絡みつく……!」
「軍でも重用されてる貴重品だ。傷の治りが早くなる」
森でもらったナイフのおかげで、素性を高貴なものと思い込んでくれている。
だからこそ、騙しているのが申し訳ない気分でもあった。
🔍 確かめたかったこと
治癒魔法は、珍しい
「しかし、あれだな。こんなとき、治癒魔法でもあればバーッと傷も治せるのに」
「お? これまた贅沢なことを言うもんだ。治癒魔法なんてそうお目にかかれるもんか」
治療用の天幕には薬草や水薬の瓶が並び、医学的な道具ばかりが揃っていた。
手当ても、魔法ではなく薬草と添え木という手段だった。
「聞いた話じゃ、帝都の方には使える術師が囲い込まれてるとか。一般人には遠い世界の話だよ」
「むしろ、お前さんの口から治癒魔法なんて言葉が出た方が驚いた。俺からすれば、選択肢にも上がらないような話だぞ?」
身近でないものは、そもそも思考の端にすら存在を主張できない。
🕯️ 静かな声で
「治癒魔法なんて残酷なもん」
「俺は治癒魔法なんて残酷なもん、身の回りになくてよかったと思うからさ」
「残酷って……なんで? むしろ逆じゃないのか?」
「傷が治るってことは、死なないってことだ。負傷して引っ込められることもない」
「最初に治癒魔法なんてものを作り出した奴は、いったいどれだけ戦いが好きだったんだ?」
偏った考え方だとは思った。
治癒魔法の場は戦いだけではない。事故や病気の人間を救う役目もある。
だが、一面的には事実でもある。
戦場で治療し、再び戦いへ駆り立てる。その側面を否定はできない。
📦 黒い天幕の群れ
「整理整頓が得意なお前さんの出番ってわけだ」
「さっそくだが、雑用を頼んでいいか?」
「何でも言いつけてくれ。靴を食う以外の仕事ならどんとこいだ」
「陣地用の備蓄品だ。そこで、整理整頓が得意なお前さんの出番ってわけだ」
「……俺、整理整頓が得意だなんて言ったっけ?」
「いんや? けど、得意だといいなぁと思ったんだよ」
天幕は二十前後。全部が備蓄品で、しかも雑多に積まれているなら重労働だ。
「うー!」
⛺ 三人だけの天幕
「出迎えていません」
「出迎えていません」
「いや、心を読むなよ。……でも、牢から出してもらえたんだな?」
「――。少なくとも、ここの方々に私への敵意はないようでしたので」
気まずげに伏せられた目は、川べりでの遭遇戦への罪悪感だろう。
「どうして私たちで同じ天幕なんですか。もう少し配慮してくれても……」
腰骨のあたりを強く掴まれ、腰椎を軋ませられる。
「うー!」
「この子はこんなにあなたに懐いているのに、そこまで非情になれる理由がわかりません」
🍢 焼き串
「私が先に食べるんですか」
顔の上に差し出されたのは、焼き串だった。
「食事だそうです。……少しずつでも、移動の練習をしなくてはいけませんから」
空いた手で、自分の足をさする。
記憶もなく、足も自由にならない。不安なのは、当事者である彼女自身だ。
「えっと、レムはもう食べたのか?」
「は? なんでこの子が食べてないのに、私が先に食べるんですか。そんな身勝手な真似ができるはずないでしょう」
💧 気付かないうちに
「涙が、流れています」
「……あの、涙が」
「涙?」
「……涙が、流れています。気付いていないんですか?」
頬に触れると、指先に熱い雫が当たった。
状況は何も落ち着いていない。
仲間とははぐれ、連絡の手段もなく、素性がバレれば危険な土地。
同行者にはこの世の邪悪を極めた大罪司教。
楽天的になれる理由なんて、一個もない。一個もないのに――
「ずっと、お前とまたこうして、何でもない時間を過ごしたかったんだ」
🕊️ 静かな返事
「気持ち悪いとまでは」
「……私は、あなたが何を言っているのかわかりません」
当然の反応だと、自分の恥ずかしさを噛みしめる。
知らない男が、好感の持てない臭いを漂わせてべそをかいているのだ。
また信頼を損ねた。それも、取り返しのつかない形で。
「でも、あなたが涙を流すのを、笑おうとは思いません」
「――え?」
こちらに目を向けないまま、言葉を選ぶように唇が震えていた。
「……以上です。早く食べてください。今日は、もう疲れました」
「塩辛いのは、あなたの涙のせいですよ。……私は、あなたの体臭のせいで食事がおいしく感じられません。不公平です」
出ていけとも、一緒に食べたくないとも言わないでくれた。
ならば、こちらから別案を考える他にない。
❓ 不公平の話なら
「この子からあなたと同じ臭いなんてしていませんよ」
「不公平って話をするんなら、俺からも言いたいことはあるぞ」
「そいつだって似たような臭いがしてるだろ。それは無視するのかよ」
『死に戻り』を重ねるたび濃くなる、魔女の残り香。
「――? 何を言ってるんですか。あなたとこの子を一緒にしないであげてください」
「……へ?」
嘘でもなければ、謀ろうとしているわけでもなさそうだった。
「まさか、瘴気を偽装できるのか? いや、でも、何のために?」
そもそも、そんなものを隠すという発想が魔女教徒にあると思えない。
奴らは、この世界を我が物顔で蹂躙する大逆の使徒たちだ。それなのに――
何かひどく不気味なことが進行しているような、おぞましい感覚だけがあった。
🌙 焚火の明かり
一個ずつ、いい方向へ
器を片付けるために天幕を出る。
夜闇の中、陣地のあちこちに焚火の明かりが見えた。
夜を徹した見張りに立つ者もいるのだろう。
「……早く、ここを離れたいな」
「……あれ、指が痛くねぇ。まさか、薬がもう効いたのか?」
まだ違和感は残る。だが、じんと熱の通い始めた感覚がある。
左手が、しっかりと仕事を果たそうとし始めている証拠だった。
考えることは多い。多いが、一個ずつ。
この左手の指のように、一個ずつ、いい方向へ進めてゆけばいい。
👁️ 見ている影
「浮かれてやがる。くだらねえ」
天幕を離れ、ゆっくりと歩いていく背を眺める影が一つ。
片目を眼帯で覆った男が、残された目を細めている。
ゆるゆると歩くその背に、舌打ちが落とされた。
第七章7『男はつらかったよ』終了。
ロズワール
スバル
トッド
ルイ
レムが出迎えてくれた。
「浮かれてやがる。くだらねえ」