狼の国を読む WEB版・初見向け解説
20話収録

第七章17

『忍び寄る凶気』

前触れもなく『死に戻り』した。死因も、相手も、何ひとつわからないまま。

🥶 全身を濡らす汗

デジャブでは、ない

見覚えのある光景。聞いたことのある会話。

あったような気がする出来事ではない。**実際にあった出来事**を繰り返している。

――『死に戻り』した。

前触れは全くなかった。瞬きした直後に、世界が切り替わった感覚だ。

実感がなさすぎて、権能の誤作動を疑うほどだった。

スバル

「馬鹿か俺は。いや、馬鹿だ俺は」

この力が『死』以外を引き金に発動したことは、一度もない。

時を遡った以上、自分は命を落とした。それは絶対だ。

スバル

「――OK、それは呑み込んだ。呑み込んで、次はどうする、俺」

🔍 死因を探して

何も、出てこない

焦点を当てるべきは死因だ。十数秒前を振り返る。

スバル

「……何も出てこねぇ」

目的の酒場。会話していたフロップフロップ。やや遠い大通りの喧騒。

路地特有の日陰の臭い。そして、微かに聞こえた硬い音。

拾えたのは、そのくらいだ。そのどれも、死と繋がらない。

四六時中、身辺に気を張り続けることはできない。

些細な変化を汲み取れるほどの達人でもない。

ナツキ・スバルは、紛うことなき凡人だ。

だからこそ、考えることと行動することをやめてはならない。

スバル

「――状況は、シャウラに最初に殺されたときに近い」

何が起きたかも、死因もわからず、死んだことだけが確かな状況。

🤔 一番近くにいた人

殺す理由が、あるか

死因を探るなら、下手人も探ることになる。

狙撃でないとしたら、最も濃い容疑者は一番近くにいた人だ。

だが、動機に合理的な説明がつかない。

金目当てなら、門の外で角を奪って街で換金すれば済む。

自分を間に挟む意味がない。

これまで自分を殺したものには、皆、何かしら合理的な理由があった。

スバル

「フロップさんは、なんで俺たちにこんなに良くしてくれるんだ?

フロップ

「うん? それはまた唐突な質問だね」

🌍 その答え

「――復讐だとも!」

フロップ

「僕と妹が、君や奥さん、姪っ子ちゃんに良かれと思ってしていることは……」

フロップ「――復讐だとも!」

朗らかな勢いと、発言内容の物騒さの落差がすごい。

フロップ

「親に捨てられ、みなしごを引き取る施設で育ったんだが……そこがなかなかひどい環境だった!

フロップ

「初めて、殴られることなく越えられる夜を迎えて、僕は誓ったんだよ。――復讐をね」

スバル

「復讐って……その、みなしごの施設の人に?」

フロップ

「いいや、違う。――世界にだよ」

フロップ

「僕を殴った大人たちは、僕を殴りながら幸せだっただろうか? 違うんだ。彼らも不幸なんだよ」

フロップ

「不幸な大人が、不幸な子どもを殴っていたんだ。こんな救われないことがあるだろうか」

フロップ

「僕と妹は、不幸を押し付ける世界に復讐するために足掻いている。君や奥さんたちを助けたのも、その一環さ」

スバル「行列で出会ったのが、フロップさんとミディアムさんの兄妹でよかった」

🩸 別の道を選んで

剥き出しになった、喉

下手人ではないと決めたなら、次は迫る『死』の回避だ。

道を変え、タイミングをずらし、同じ行動をなぞらない。

スバル

「フロップさん、この道は風水的にあまりよくない卦が出てるんだ」

人の好い相手は、不自然な言葉に食い下がらず、頷いてくれた。

フロップ

「では旦那くん、こっちの道から――」

振り向いた彼が、何かに気付いたように目を見張った。

何かが後頭部を掴み、強引に上を向かされる。

剥き出しになった喉を、熱い感触が通り過ぎた。

血が、弾けた。

宿にレムレムがいる。何とかして戻らなくては。

血を、血を、ちちちちちち、血を、止め、止めて、とめとめとめめめ――

🐎 遠くの悲鳴

巨大な車輪が、迫る

また、同じ言葉から始まった。

とっさに自分の喉に両手を当てる。熱い感触も、噴き出す血もない。

つまり、死んだのだ。またしても。

宿に戻れば、敵に拠点を教えることになる。

そう思い至り、大通りへ出た。人目があれば手は出しにくいはずだ。

スバル

「まさか、狩人……!?」

密林で一度自分を殺し、その後も一度狙ってきた相手。

戦える相手を避け、非力な同行者といる今を選んだのだとしたら。

遠く、複数の悲鳴と怒号。切迫感が、別の音を伴って近付いてくる。

――巨大な車輪が、こちらへ迫っていた。

衝撃に呑まれ、体が跳ねて転がり、壁に激突し、さらに重なる衝撃。

どこが痛むのではない。ナツキ・スバルこそが『痛み』だった。

3️⃣ 三度目

敵がいる、以上のことが何もわからない

最初の即死。二度目の首切り。三度目の轢死。

いずれも偶然ではありえない。紛れもなく、自分を殺す意思だ。

三度死んで、なお『敵がいる』以上の情報を得ていない。

相手は、死亡する自分に情報を何ひとつ残さない。

そして、もうひとつ。

一度目も二度目も、フロップフロップは現場を目撃している。

慎重な相手なら、目撃者の口を封じるのが自然な成り行きだ。

――これまでも、自分と一緒に彼は殺されていたのではないか。

🏃 走ろう

「一秒も無駄にできないだろ!」

スバル

「――フロップさん、走ろう!」

フロップ

「急な話だな!? どうしたんだ!?」

スバル

「どうもこうもない、人生は限られてるんだ!」

足を止めて説得するのは悪手だ。強引な理屈で押し切る。

目的はもう、旅の護衛を雇うことではない。

この『死』の連続から、今すぐ救い出してもらうためだ。

🍶 端で潰れてる

ここらで一番の腕利き

スバル

「ここで一番の腕利きを雇いたい」

🍺 店主

「……ここらで一番の腕利きっていや、ロウアンのことだろうよ」

指差された先、端のテーブルに突っ伏している男がいた。

長いざんばら髪を適当に括り、腰に刀を差した五十がらみ。

テーブルには空いたグラスがいくつも並んでいる。

スバル

「……あれが腕利き、なのか?」

🍺 店主

「酒癖が悪いのは間違いないが、腕は立つ。酒癖は悪いがな」

スバル

「二回言われると、不安しか立ち込めてこねぇ」

💰 手札の全部

「払えるのは、これが限度額いっぱいだ」

スバル

「頼みたいのは護衛だ。それも、今この瞬間から」

🍶 ロウアン

「……やけに語気が荒い。兄さんたち、さては結構危うい立場かぁ?」

テーブルに置いたのは、魔獣の角を売って得た金子の全部。

レムレムに分けてもいない、正真正銘の全財産だ。

🍶 ロウアン

「某の腕は高い……と言おうと思ったところが、初手でこれとあっちゃなぁ」

🍶 ロウアン

「疑っちゃいない。遊びじゃないって話も、本気らしい」

フロップ

「旦那くん、よかったのかい? あのお金は……」

スバル

「いいんだ。今、この瞬間の安全には代えられない」

🍶 ロウアン

「……妙な気配だ。さては兄さん、つけられてやがったな?」

三度自分を殺した相手は、今回も諦めてなどいなかった。

💥 入口から

倒れ込んできた、大柄な男

苦鳴をこぼしながら、大柄な男が店内に倒れ込んできた。

駆け寄ろうとしたのは、フロップフロップと店主だけだった。

フロップ

「おい、君! 大丈夫か、しっかりしたまえ!」

うつ伏せの男が、屈み込んだ彼の腕を掴んだ。

スバル

「――っ! フロップさん! 離れろ!」

男の体が膨張し、真っ赤に光り、破裂した。

火の魔石だ。おそらく、体内に入れられていた。

炎が燃え広がり、爆心地からたなびく煙を浴びた男たちが目と鼻を覆って絶叫する。

🛡️ 酔客

「み、店の中にいたらダメだ! 全員、早く外に出ろ!」

刺激物の煙が、外へ逃げるよう人を追い立てている。

制止の声を上げようとして、間に合わなかった。

入口に殺到した男たちが、二つ目の爆発でまとめて吹き飛ばされた。

⚔️ 裏口が開かない

銀色の、一閃

🍶 ロウアン

「店長! 裏口から出るぞ! 正面は見張られてる!」

煙を吸わないよう姿勢を低くしろと手で示す。

その戦況判断は、確かだった。

🍺 店主

「――! 裏口が開かない!」

🍶 ロウアン

「ええい、どいてろい! このぐらいの扉――」

走った銀色の光が、閉ざされた扉を一刀の下に切り捨てた。

誇りもせず、彼は扉の残りを蹴破る。

そこで、ふと息を詰めた。

――ここまで周到な相手が、攻撃の手を緩めるだろうか。

⚫ 炎の向こうから

長柄の斧を握った、人影

裏口から身を乗り出した体が、後ろへ傾いて倒れる。

額から上が潰れていた。誰が見ても、死んでいた。

絶叫しようとした店主の胸に一撃が突き刺さり、上半身がひっぺがされる。

即死だった。

立ち込める黒煙。炎の向こうから、ゆっくりと何かが姿を見せる。

顔に濡らした布を巻きつけた男が、長柄の斧を握っていた。

フロップ

「き、君はいったい、何者なんだ。どうしてこんなことを」

フロップ

「こんなことが許されると――ぉ」

毅然と糾弾しようとしたその頭が、斧の直撃を受けた。

😱 へたり込んで

「なんでぇ!」

後ずさる力も、這いずる勇気もない。

見ているのが怖くても、目を離すのも怖くてできない。

スバル

「なんで、なんで……なんで!」

男は何も答えない。ゆっくりと斧を持ち上げ、真っ直ぐ頭上に掲げる。

スバル

「なんでぇ!」

⚫ 布を巻いた男

「――お前さんにゃ何も教えないぜ? また逃げられたら困るだろ?」

当然のことを告げるような、その声音と調子。

その声を、どこかで聞いたものと照合しようとして――

振り下ろされる斧が、頭蓋を割った。

小さな硬い音が、した。

第七章17『忍び寄る凶気』終了。