第七章4
『勇気ある選択』
矢は止まない。使える手札はあまりに貧弱で、それでも選ばなければならない。
🎩 いつかの修練
「逃げるべきです。一目散」
🎩 クリンド
「日々、精進あるのみです。まだまだ修練不足のご様子。お粗末」
モノクルと執事服。メイザース家に仕える、きっちりかっちりした仕事人。
課題は、切り株の上の薪を鞭で搦め捕ること。
妨害する🎩 クリンドの鞭を越えねばならず、一度も達成できていない。
「クリンド! スバル様になんてご無礼なことなさいますの!」
🎩 クリンド
「君の方こそ大げさに騒ぎ立てて、スバル様に恥を掻かせているのでは? お節介」
古い付き合いだというこの二人は、接触するたびに言い合いになる。
🎩 クリンド
「騎士としてエミリア様のお傍に立つ以上、あなたには力がいります。必須」
「ちなみに、もしもうっかり、俺だけみたいな状況になったらどうしましょ」
🎩「逃げるべきです。一目散」
冗談まじりの軽口を、🎩 クリンドは笑わなかった。
🎩 クリンド
「なりふり構わず全力を以て逃げる。それが得策です。唯一」
💨 転がって
落とし穴へ、飛び込む
頭上で大木がへし折られ、真っ二つになる衝撃波が全身を打つ。
腕の中に、柔らかく熱い体がある。手も足もついている。回避は成功した。
「い、いきなり何を――っ」
「黙ってろ、舌噛むぞ!」
抱きしめたまま、勢いよく転がる。
直前まで伏せていた場所が、倒れてきた大木に押し潰された。
転がり、転がった先で、不意に地面が消滅する。
あえてそこへ転がり込み、射線を切ったのだ。
🩸 代償
折れた、三本
「が、ぐ……だ、お、折りやがったな……!」
無我夢中で抱き寄せた左腕。掴まれた指がへし折られていた。
中指と薬指と小指。お父さん指とお母さん指以外が全滅だ。
「当然です! あんないきなり……いったい、何が起きてるんですか!?」
枝を添え木にし、手拭いで固定する。
折れたのが左手だったのは不幸中の幸いだった。
鞭を扱う右手だったら、行動力は小学生ぐらいまで落ちていた。
「危ない狩人……あなたの味方ではないんですか?」
⏳ 短期決戦
話の通じる相手ではない
「おい! 俺に敵意はない! 俺たちがこの森にいるのはたまたまの偶然で……」
「その、俺たちというのは私とあの女の子も含めているんですか? あなたと一緒にされたくありません!」
停戦の呼びかけへの返答は、地面を大きく抉った矢の一発だった。
「どうやら、話の通じる相手ではないみたいですね……」
銃と違い、矢は弦を引き続けなければならない。長時間の待ち伏せには限界がある。
ならば相手も、遠からず何らかの手を打ってくる。
そして、避けられない戦いなのに、使える手札はあまりに貧弱だ。
🙅 断られる
「私だけに逃げろという指示はお断りします」
「俺が飛び出して奴の目を引きつける。その間に、お前は穴の反対をよじ登って避難するんだ」
「は……?」
どちらの成功率が高いか考えた結果の提案だった。
「十分時間が稼げたら俺もとんずらする。できれば道しるべは残してくれ」
「――勝手なことを言わないでください」
「全部、何もかも自分一人で決めて……挙句、私に逃げろと言うんですか?」
最初に拒んだのと、同じ理由で提案を拒絶する。
🌳 木のうろに
「気絶させました」
「私だけに逃げろという指示はお断りします。そもそも、あの子を置いてもいけません」
彼女の意識が向いたのは、少し離れた位置にある別の大木だった。
「こんな騒ぎになってるってのにどうやって大人しく……」
「……連れ歩くのが大変だったので、気絶させました。しばらくは起きないかと」
(・・・・・・)
「相談だが、あいつを置いて一緒に逃げてはくれないんだよな?」
「自分が何者かもわからない私ですが、そんなことをするぐらいなら舌を噛んで死にます」
そんなことは、させたくない。
🤝 握られない手
「使えるもんを全部使う」
「勝算はあるんですか?」
「師匠には、強敵とやるときは迷わず逃げろって言いつけられてるよ」
この世界、大抵の相手は自分より強い。出くわす相手は全員が格上と思っておく。
だからこそ、逃げるのを最優先に。しかし、逃げられないなら――
「使えるもんを全部使う。レム、嫌だろうけど、手を貸してくれ」
「――。それが、あの子を助けるためでしたら」
差し出した手を、彼女は握らなかった。
ただ、不承不承といった素振りで頷いてくれた。
🎯 二秒
熟練の狩人には、十分だった
大穴から小ぶりな倒木を押し上げる。
次の瞬間、凄まじい速度で迫った矢が突き刺さり、腕からもぎ取られた。
「うおおおお!!」
弓の速射には限度がある。矢をつがえ、弦を引き、狙いを定める必要がある。
そのタイムラグが、わずかな生存の目を――
「――早いです!!」
囮を吹き飛ばしてから、ほんの二秒。それで次が飛んできた。
呼びかけに硬直し、守る姿勢に入らなかったのが功を奏した。
正しくは、反応できるほど神経が優れていなかっただけだが、結果オーライ。
🪨 砲撃
「させません――!」
次の攻撃を中断させたのは、勇ましい声と共に放り投げられた土塊だった。
――否、砲撃ともいうべき強烈な一撃。
魔法も、鬼族の角の力も、使い方を思い出せない。
思い出すための時間もない。
鬼族の生まれ持ったフィジカルによる、原始的な暴力の蹂躙。
「窮鼠猫を噛むってなぁ! 存分に味わいやがれ!!」
いざ敵対すれば手加減を知らないのが、彼女のチャームポイントだ。
拾い集めた石ころが、華奢な腕から凄まじい凶器へと早変わりする。
😖 魂が拒む
担ぎ上げるまでの、一瞬
自分の金髪にくるまるようにして眠っている。
桜色に色づく頬と、微かに上下する胸。生きている。
腕を伸ばそうとして、内側に強烈な拒絶感が走った。
割り切ったつもりでも、脳ではなく、魂が拒絶している。
たとえ幼気な寝顔を晒していても、これは大罪司教なのだと。
「足を止めないでください!!」
切迫した訴えが、その逡巡を砕く。
拒絶感を呑み込み、軽い体を担ぎ上げた。
🐍 音もなく
全長十メートルの、大蛇
うろから飛び出したその眼前を、不意の黒い影が阻んだ。
道中には、こんなモノはなかった。
見上げて――絶句する。
全身をびっしりと緑の鱗で覆い、黄色い瞳をした大蛇。
額に、ねじくれた白い角がある。
自覚症状は、あったはずだった。
今の自分が、この世界へ来て以来もっとも強く魔女の残り香を発していることに。
ならば、魔獣が引き寄せられるのは必定。
人の行き来の少ない暗い森など、まさしく格好の住処だ。
🩸 頭上から降り注ぐ
どす黒い、血
時間の感覚が緩慢なものへ変わる。
――あ、マズい。
走馬灯は、死を前に脳が助かる術を探すのだという説がある。
だが、大蛇に呑まれるのを逃れた経験など、どこにもない。
頭上から、びしゃびしゃと何かが降り注いだ。
全身を汚したのは、どす黒い血。
鋭い矢に胴体を射抜かれた大蛇が、ぶちまけた大量の喀血だった。
第七章4『勇気ある選択』終了。
スバルは地べたにひっくり返された。
フレデリカ
レム
ルイがいた。