第七章10
『シュドラクの民』
目を覚ましたのは、また別の檻の中だった。そして隣には、見覚えのある覆面の男がいた。
🪵 粗末な檻
「まさか、また貴様の顔を拝むとは」
不遜かつ傲慢な笑み。覆面越しのそれを向けられ、静かに息を呑む。
草原ではぐれた際、道を示し、あのナイフを譲ってくれた相手に相違ない。
👤 覆面の男
「聞けば、森を彷徨っていたところを罠にかかったらしいぞ。獣を獲るための罠に人間がかかったと、集落の連中が騒ぎ立てていた」
檻の外に見えるのは、背の高い木々と、切り開かれた土地。
家や教会があった『聖域』と違い、ここは原始的な住居ばかりだ。
肩と背の傷は、きつく締め付けられて止血されていた。
👤 覆面の男
「手当てがなければそのまま死にかねん有様だったからな。連中も、貴様の扱いには困ったのだろうよ」
⏰ 二時間
「もっと早く起こしてくれなかったんだ!」
「しま……俺がここに連れてこられて、どのぐらい経った!?」
👤 覆面の男
「そうさな、二時間といったところか。言っておくが、俺からくれてやる十分な温情だぞ」
「なんで、もっと早く起こしてくれなかったんだ!」
大蛇が隊列を砕いたとき、他の兵は魔獣への対処を優先した。
――魔獣を引き寄せたのが誰か、勘付いている。
「確証がないなら、とりあえず拷問してみるぐらいはしかねない」
そういう怖さが、あの国にはある。
👀 格子の隙間から
緑色の、双眸
横顔に突き刺さる、別種の視線を感じた。
格子の隙間から中を覗き込む、二つの光。緑色の双眸。
🏹 幼い少女
「――あ、ウーに気付いタ」
🏹 幼い少女
「ミーに教えなキャ」
呼び止める間もなく、するりと離れて走り去っていく。
十歳かそこらの、褐色の肌をした少女だった。
白い衣を巻いた、動きやすい露出の多い格好。
おかっぱに近い髪の、その先の方だけが桃色に染まっている。
だが、衝撃だったのは姿かたちの特別さではない。
――それが、初めて見るものではなかったからだ。
毒矢で背中を射抜き、死に至らしめた少女。
燃える土地から逃れ、憎悪に濡れた瞳で睨んでいた、あの少女。
あれは、自分の土地と仲間を焼き殺した原因への、復讐だったのだ。
🔥 松明の光
「お前たちは、いったい何者なのダ?」
松明を手にした複数の人影が、檻の方へやってくる。
先頭は、鍛えられたたくましい体つきの長身の女性。
黒いだろう髪を赤く染め、褐色の顔と体に白い模様のペイントを入れている。
ひどく目力の強い、緑の瞳。
野性味のある集団。騎士団とも帝国軍とも違う。
本能を核心に置いて作り上げられた、統率された獣の一団のような美しさ。
「目覚めたようだナ。――お前たちは、いったい何者なのダ?」
🪧 名乗り
「――アベルだ」
「お前じゃなく、お前たち……?」
👤 覆面の男
「貴様と俺とは見知った仲だと、そう奴らに告げたのは俺だ」
「おま……っ! 見知った仲って……そこまでじゃねぇだろ!?」
👤 覆面の男
「嘘はついていない。互いを見れば知った相手とわかる。見知った相手と呼ぶのに、それ以上の何がいる?」
「俺の名前はナツキ・スバルだ。それから、後ろの奴は……ええと?」
「お、おお……? 私はミゼルダだガ……」
女性が多く、鍛えられた肉体を持ち、体にペイントを入れ、弓を背負う。
『シュドラクの民』とは、まさしくアマゾネスだった。
💢 踏み抜いた地雷
「我らが負けるというのカ?」
「この森の外に帝国の兵隊が陣地を作ってる。そこには俺の大事な女の子が捕まってて、今すぐ戻らないと危ないんだ!」
「兵隊は『シュドラクの民』を目的にしてる。かなりの人数で陣を張ってるから、戦っても……」
その反応を聞いて、言葉を選び違えたと理解する。
腕を磨き、常に実力を高めている彼女らにとって、
『戦えば負ける』という説得は、やってはならない論説だった。
「ヴォラキアの兵隊がきているのは知っていル。だが、奴らと我らとの間には古き約定があるのダ。争いになどならなイ」
「――ッ、いや、待ってくれ! その約束のことは知らないけど……」
「くどいゾ!」
格子に打ち付けられた拳の衝撃で、ひっくり返る。
――誇りに続いて、古い約定まで無遠慮に踏み躙ってしまった。
🕸️ 慣れという油断
軍事演習という、常套
「ヴォラキアの兵は、森の外で隊を動かす訓練をすル。何度もしてきたことダ」
「隊を動かす訓練……軍事演習、ってことか?」
帝国軍が演習の名目で密林の周辺に陣を張るのは、よくあることなのだ。
シュドラクの民も、もはやそれに慣れ切っている。
その慣れという名の油断に乗じ、包囲して一気に攻略する気でいる。
「ナツキ・スバルもアベルも、本当を言わなイ。それでは私たちには響かなイ」
族長の決定に、他の誰も異論を述べない。
「待ってくれ! 嘘じゃない、嘘じゃないんだ! 約束は……約束は破られるんだ!」
声を嗄らし、血の味のする痰を吐きながら訴えても、誰も耳を貸さなかった。
唯一、ちらちらと気にするのはあの幼い少女だけだった。
🫠 残ったもの
「諦めの悪さと、小賢しさだけだろうが」
右手は肩が、左手は指が壊れていて、牢に八つ当たりもできない。
満身創痍の役立たず。口八丁も使えないときたものだ。
だったら、ナツキ・スバルになんて何の価値が残っている。
これまでなら、自分で自分の限界を勝手に決めていただろう。
だが、歩んできた道が容易ではなかったと見つめ直した今は、少しだけ違う。
前よりも少し諦めが悪くなった。それは、暗い夜道を照らす確かな光だ。
🏹 女系の種族
戦神共の末裔
「シュドラクの民を甘く見るな。あれらは女ばかりが生まれる女系種族にして、この森で何百年と暮らしてきた戦神共の末裔よ」
「男手など、子を増やすとき以外に必要とせぬ。その男も余所からさらってくるのが通例だ」
「ガチのアマゾネスじゃねぇか……。おい、まさか俺たちが捕まってるのって」
「安心せよ。あのものらも子種は選ぶ。――嘘偽りを述べ、自分たちを謀ろうとした輩の子種からは穢れしか生まれん」
誠意と必死さを込めた説得も、相手の流儀と誇りの置きどころを理解しなければ、
それこそ無礼な暴挙と何も変わらなかったのだ。
♟️ 盤面の準備
「――機を待っていただけだ」
「奴らは最初の手段として、火を放つ」
「そんなとこで冷たい土の上に座って、あんたは何がしてぇんだよ」
「俺が待っていたのは盤面の準備だ。それが整うまで、俺が手を出せば余計な色が混じると傍観に徹した」
「奴らが森を焼く気でいるなら、いつまでも胡坐を掻いているわけにもゆかぬ」
組んでいた腕を解き、ゆっくりと立ち上がる。
「あんた、俺の言葉を信じるのか?」
「俺はシュドラクの民ではない。奴らの誇りや、大事な約定など塵芥も同然だ。必要なのは貴様がもたらした、嘘偽りではない事実のみ」
「……俺が、嘘をついてたらどうするんだよ」
⚖️ 問いかけ
「全てを犠牲にする覚悟はあるか?」
「心して答えるがいい、ナツキ・スバル。――貴様は、自分が救いたいもののために、全てを犠牲にする覚悟はあるか?」
躊躇うことも、嘘偽りを述べることも許されない。
虚実を織り交ぜれば命はない。そう信じさせるだけの力が、その声にはあった。
「俺が差し出せるのは、俺だけだ。――それだけなら、全部賭けられる」
刺された右腕ではなく、指を折られた左手を胸に当てて答える。
全てを犠牲にしろと言われ、それを受け入れることなど到底できない。
そうするには、この世界には大事なモノが、まだ見ぬ眩しいモノが多すぎる。
「猪口才な答えをする。業腹な道化め」
「だが、貴様は嘘偽りを述べなかった。ならば、焼かずにおくとしよう」
どっと冷たい汗が溢れ、命を握られていたのだと理解した。
❓ 木陰から
「どうしテ、あんなに一生懸命だっタ?」
「――そこな娘」
🏹 幼い少女
「うきゃんっ!?」
木陰から、おずおずとこちらを見ていた少女が姿を現す。
🏹 幼い少女
「ミーは、男の話は聞くなっテ。でも、ウーは気になル。お前、気になル」
🏹 幼い少女
「さっき、お前、一生懸命だっタ。ウーたち、危なイ。でも、ミーは聞かなイ」
🏹「どうしテ、あんなに一生懸命だっタ? お前、ウーたちと関係なイ」
お節介を責めているのではない。彼女は純粋に、疑問なのだ。
「……君に、あの顔をしてほしくないんだと思う」
「あんな、憎悪で濁った、敵を睨まなきゃいけない思いをしてほしくないんだよ」
毒の矢で相手を射抜き、憎悪の目でその『死』を見届けようとしていた少女。
その憎しみと、憎しみへ至る出来事の罪悪感が、今も棘となって痛みを発している。
あんなことは、重なるべきではない。繰り返すべきではない。
🏹 幼い少女
「……ウー、わからなイ」
わかってもらおうとも思っていない。彼女の人生には、不要なことだ。
🩸 提案
「――『血命の儀』を受けると伝えよ」
「娘、先ほどの、ミゼルダといったか。あのものを連れてくるがいい。あれが族長であろう」
🏹 幼い少女
「ミー? ミーと、何を話ス?」
「大したことはない。ただ、提案したいことがあるだけだ」
覆面越しで見えないながらも、笑みを作る気配があった。
第七章10『シュドラクの民』終了。
「――『シュドラクの民』?」
ミゼルダ
「――アベルだ」