第六章29
『ルーザー』
長い階段を、二人で下りる。負けた男が何を抱えているのか、スバルにはわかってしまう。
⏱️ 手遅れ
駆け上がったときには、もう終わっていた
――長い長い階段を駆け上がって、辿り着いたときには、もう手遅れで。
呼吸を荒げ、過労を訴える肺を酷使し、絞り出すように叫んでいた。
だが、声に、言葉に、状況を変えられるような力はそうそう宿らない。
それを『剣技』の競い合いなどと呼んでいいものかすら、わからないが。
あまりに一方的すぎたことと、片方の得物がどう取り繕っても棒切れでしかない。
白光の晴れた空間に広がっていたのは、片袖を脱いだ赤毛の男の長身。
そして――まるで躯のように転がる、紫髪の剣士の姿だ。
🚪 持って帰れ
レイドが、気安く声をかけてくる
「よお、稚魚じゃねえか、オメエ」
「遅かったな、オメエ。もう片付いちまったし、邪魔臭えからとっとと持って帰れ」
「……レイド・アストレア」
「ンだよ、オメエ。人の名前に探りなンぞ入れてンじゃねえぞ、オメエ。名乗らねえ方がカッコいいってオレのカッコつけの邪魔してくれてンじゃねえよ、オメエ」
「別に獲って喰いやしねえよ、オメエ。ンなじろじろ睨まなくてもな」
「悪いが、俺の故郷じゃ熊を相手にするときは目を逸らすなってのが常識なんだ」
口元に向けた掌には呼吸の反応があった。
あの剣撃を浴びても、命は奪われていなかったらしい。そのことに安堵する。
🥢 箸に負ける
殺さないのは、温情ではない
「次は容赦しねぇって言ってたわりに、温情があるんだな」
「そうでもねえよ。オメエ、箸に殺されるより、箸に負けて逃げ帰る方がダサいと思わねえか? オレは思うぜ。そンな情けねえ姿晒すぐらいなら死ンだ方がマシだ。だから、箸で負かして、逃げ帰らせてやンよ」
「温情があるってのは撤回するぜ、クソ野郎」
「かっ! 稚魚に何言われても響きゃしねえよ。それに、今日はもう試してやるつもりもねえ。かかってくンならぶちのめすがな。オメエの足下のそいつみてえに」
「おうおう、そうしろ。黙って担いで、負け惜しみでも言ってけよ。それで気が晴れンならオメエよ、その方が楽だし、利口だぜ。つまンねえがな」
「――次はいい女の誰か連れてこいよ、オメエ。あの激マブでもいいぜ」
最後まで、一度として誰かの名前を呼ぶことなく、レイドはひらひら手を振った。
🪜 四百四十四段
背負って、階段を下りる
一歩ずつ、一段ずつ、確かめるように踏みしめながら階段を下りていく。
「なんて、馬鹿なこと考えながらでもないと……やって、られねぇ……っ」
長い長い階段を、人を一人背負って下ることの辛さは説明するまでもない。
ましてや、この大階段の段数は四百四十四段(エミリア数え)もあるのだ。
辛い階段の具体的な数字を出してしまった今回に限っては、頬を引っ張って叱りたい。
無論、頬を引っ張られようとエミリアは可愛いに違いないのだが。
💭 俺だけ
行き先が、スバルにはすぐわかった
緑部屋でユリウスの不在に気付いたスバルたちは、手分けして塔の中を探し回った。
みんな、ユリウスのことを心配している。
折れた騎士剣を置いていなくなった彼がどんな心中でいるのか。
――ただ、スバルだけは違った。スバルだけは、すぐに理解できた。
騎士剣を置いたユリウスが、どこへ、何のために向かったのか。
それはきっと、スバルだけが――。
😌 目覚める
ユリウスが、目を覚ます
「――揺れる、ものだな」
(゚д゚)
「――ッ! 気付いたのか!」
「こ、こは……」
「ぼやっとした言い方すれば階段の途中、もうちょっと具体的に言えば長い階段の途中、さらに具体性を増せば四層と二層の間の階段を逃げ帰る途中だ」
「迂遠な、ことだね。……私は、君に背負われて?」
「そうだよ。言っとくが、この短時間で二回目だぞ、これ。二度とやりたくねぇって思った三十分後にまたこれやらされてる俺の気持ち、お前にわかるか?」
「道理で、乗り心地の悪いはずだ……」
「お前、振り落とされたいの?」
自暴自棄なやり取りにならなかったことに、スバルはホッとしていた。
🩸 言い当てる
その名前は、もう見当がついていた
「命に別状はない、ってのが今のところの診断結果だ。お前の方がよっぽど死にかけたぐらいだよ。あれ相手に……つか、あの眼帯野郎が誰だか知ったら驚くぞ」
「――レイド・アストレア」
「よく、よくわかったじゃねぇか」
「なに、気付く余地は多くあった。炎の赤毛に、青い瞳。あれほど図抜けた剣技……剣技、といっていいものかな。私は彼に剣を振らせてすらいない」
「まさか、あの箸で戦うから『棒振り』って昔から呼ばれてんのか?」
「正しくは、得物を選ばないという意味合いでだ。『棒振り』を自称された時点で思うところはあったが……確信が、持てなくてね。伝えられず、すまない」
気付く可能性があるとすれば、その発想力はスバルが持つべきだった。
『試験』が墓所の『試練』に近いと、エミリアとも頷き合っていたのだから。
🪙 若い
上にいるのは、史実より若い
「確か、金貨に彫られてるのが初代の『剣聖』って話だったけど、これも実物とは大違いだったな。金貨の方は、もっとオッサンみたいで……」
「史実として、レイドが三英傑に数えられる功績を挙げたのはもっと上の年齢だ。金貨に描かれる姿はおそらく正しい。上にいる彼が、史実より若いんだ」
「そういえば、レイドはシャウラに見覚えがなかったみたいだったな……」
確かにシャウラ側とレイド側では、顔見知りにあったにしては温度差がありすぎた。
あれが『シャウラと出会う前のレイド』だとすれば、認識の違いにも頷ける。
「で、俺たちはその若い全盛期のあいつを突破しなきゃいけねぇと」
「前途多難か、あるいは不可能な難事に思えてくるな」
🤐 言い淀む
言うべきか、一瞬、迷う
「しんどいのは間違いねぇな。けど、対策を練れば抜け道はきっとある。現に……」
今、この瞬間に、それをユリウスに伝えるべきか、心が制止をかけた。
だが、それは一歩、遅かった。
「現に……なんだろうか」
「いや、その……」
「スバル」
「……お前と、アナスタシアが倒れたあとに、エミリアが『試験』を突破した」
🗣️ 早口
全員が、勝たなければならない
「ただ、あれだ。単純な力比べで、あいつをぶっ倒したってわけじゃない。色んな偶然が味方したのと……エミリアが、その、特殊だったからだ」
「ただ、あいつはクリアした本人だけが通るのを許すって話で、俺たち全員が上にいくには全員が勝たなきゃいけないのは一緒……むしろ、悪質だ」
「なんで、作戦を練る必要がある。戦える面子はともかく、俺なんかはベアトリスとのコンビ戦を認めさせなきゃお話にもならねぇ。メィリィはそもそも、『試験』に挑む理由がない」
「だから、その、お前も再戦すれば目がないわけじゃない。つっても、あれだぞ。今回みたいなやり方じゃなくて、だ。もっときっちり、相手を見極めた上で傾向と対策を練っていく」
「……おい、聞いてるか? ユリウス、おい?」
🎭 柔軟すぎる
受け入れ方が、あまりに素直だ
「あ、ああ、大丈夫だ。聞いているとも。……そうか、エミリア様が」
「そこは微妙に前の話なんだが……そうなんだ。それがあるから、これはクリアが絶望的な試験ってわけじゃない。気負いすぎるなよ?」
「気負う? なに、そんな心配はいらないとも。――全て、君の言う通りだ。エミリア様が『試験』を越えられたのであれば、彼は……『剣聖』レイドは越えられない障害では決してない。それがわかったのは、大きな収穫だ」
「お、おお、そうだ。そうなんだよ。……それが、わかってくれりゃいい」
怖々と説明したスバルは肩透かしを味わった。――否、これでいい。
少しばかり、彼にナイーブな面を期待しすぎたといえる。
🙅 下ろしてくれ
自分で、歩きたいと言い出す
「そろそろ、下ろしてもらえるだろうか。いつまでも君に背負われたままだと悪酔いしそうだ。地竜と違って、君に『風除けの加護』はないようだからね」
「揺れと風は我慢して、ありがたく背負われておけよ。しんどいのは事実だが、ケガ人に自分で歩かせるほど薄情者にはなれねぇ。エミリアたんに叱られる」
裂傷や骨折などがあれば、スバルも応急処置の腕を振るうところだ。
生憎とユリウスに、そうしたわかりやすい外傷はない。
レイドの攻撃はひたすらに、ユリウスの心を折らんと放たれたものだった。
「――いや、君にそこまで苦労はかけられない。気絶したままならばまだしも、幸いにも目は覚めた。自分で、階段くらいは下りられる」
「つまらねぇ意地張るなよ。大体、突っ張っても今さらだぞ。背負われてるのを見られるのが恥ずかしいってんなら、一緒にいた全員に見られてる」
💥 激発
――突然、声が張り詰める
(#゚д゚)
「――下ろしてくれと言っているだろう!」
――激発は、突然のことだった。
「うお!?」
張り詰めた声が耳朶を打った直後、スバルは階段の壁に肩からぶつかっていた。
とっさに壁の方へ体を向けたからよかったが、危うく階段から落ちてもおかしくない。
少し下の段差に、ユリウスが倒れている。
うつ伏せで肘をつき、苦しげに喘ぐ姿には苦痛の色が濃い。
明らかに、それは階段から落ちたことだけが原因のものではなかった。
🧍 一人で立てる
手を、借りようとしない
「言わんこっちゃねぇ! おい、そこにいろ、馬鹿。今いく……」
「こなくていい!」
「……一人で、立てる。手を借りる必要は、ない」
壁に背を預けると、背を擦り付けるようにゆっくり、ゆっくりと腰を上げる。
膝を伸ばし、寄りかかりながらも立ち上がった。
「言った通り、だろう? 一人で立つことぐらい、わけのないことだ」
どこか、投げ捨てるようなその声の響きに、スバルはとっさに言葉が出ない。
👣 先にいってくれ
こちらに、顔を向けないまま話す
右半身を壁に預けるようにしながら、赤子が床を這うような速度で階段を下り始める。
一歩、一歩と、踏みしめるように――。
「少し、時間はかかりそうだが、君の手を煩わせる必要はない。それより、階下の女性たちが心配だ」
一歩、また、一歩。
「できれば、先に階下へ向かって説明してきてくれないだろうか。とはいえ、詳しい話と、弁明は私自身からするのが筋だろう」
ゆっくり、ゆっくりと、一歩ずつ。
――否、『先にいけ』ではない。『先にいってくれ』と、促されたのだ。
🫂 肩を組む
スバルが、無理やり肩を貸す
(ノ`Д゚)ノ
「――ッ! ああ、クソ! クソクソクソ! 馬鹿野郎! 俺もお前も、大馬鹿野郎だ! チクショウ!」
壁に寄りかかり、おたおたとした足取りでいる彼の左腕を掴む。
乱暴に肩を組んで体を支えた。
「な……スバル、何のつもり……」
「うるせぇ! 何が一人で立てるだ! へっぴり腰なのが丸見えなんだよ! そんな奴を置いてさっさといけなんて飲めるわけねぇだろ! エミリアに叱られる以前に、俺が俺に嫌気が差すっつーんだよ!」
「だが、私は……」
「本気で俺の力なんか借りたくねぇなら、俺が我慢できなくなるような情けねぇ格好でふらふら歩いてんじゃねぇ!」
🔥 あのときと同じ
――あのときの、自分と同じだ
「お前の腹の底がわかってるなんて、知ったような口は利かねぇよ」
「けど、今、お前が一人でこの階段を、長ったらしいこの階段を、独りっきりで歩いて下りる必要なんかねぇんだ。肩ぐらい貸してやるし、貸しだとも思わない」
――ユリウスが、レイドに勝てないとわかって挑みかかった理由は、わかる。
あのときと、あのときのスバルと同じだ。
あのときのスバルは、勝てないとわかっていても、ユリウスに挑みかかった。
何度倒されても、殴られても、懲りずに立ち上がり、挑み続けた。
それ以外に、胸の奥から込み上げる激情を、吐き出す方法がなかったからだ。
そして、何もかもが終わったあの場所で、『独り』になって、辛かった。泣きたかった。
――だから、ユリウスをこの階段に、独りきりにしてやるものか。
🤐 うるせぇ
二人で、下りていく
腹の底が熱い。あのときと、同じように。
あのときと違って、この激情をどこへ吐き出せばいいかわからぬまま。
「――スバル」
「なんだ」
「……すまない」
「うるせぇ」
それが八つ当たりに聞こえなければいいと思いながら、答えた。
そのまま二人はゆっくりと、階段を下りて、四層へ戻っていった。
第六章29『ルーザー』終了。
スバル