リゼロを読む WEB版・初見向け解説
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206話

第六章39

『残骸』

痛みだけを覚えて目を覚ます。逃げて、逃げて、逃げた先にいたのは、あの男だった。

🔥 痛み

――痛みだけが、あった

断続的に、延々と、壮絶な灼熱が存在を塗り潰していく。

頭蓋を、手足を、胴体を、内臓を、血肉を。

痛み、痛み、痛み、痛み、痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み。

痛みだけがあった。世界は痛みで満たされていた。

不安も、混乱も、緊張も、悲嘆も、憤怒も、失望も、痛みの前では全てが無価値だ。

思考にも、行動にも、思案にも、意見にも、希望にも、記憶にも、等しく価値がない。

ただただ、終わりのない痛みだけが、存在の確かさを魂に刻み込む。

😱 絶叫

叫びながら、覚醒する

スバル

(ノ゚Д゚)ノ

「――うああああああああああああああああッッッ!!」

叫びながら、手足を振り回し、砕かれる自分の体を守ろうとする。

関節がひしゃげ、不自由な状態に追い込まれたはずの腕が、足が、動く。

動くが、バランスを崩し、そのまま体が短い浮遊感に包まれ、床にぶつかった。

咳き込み、少量の胃液を必死に吐き散らしながら、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになる。

――全身を容赦なく叩き潰した、灼熱に似た痛みが掻き消えていることに気付く。

🤚 背中

背中に、触られている

背中を、蹲る自分の背中を、誰かが優しく、掌で撫で付けているのだ。

エミリア

「落ち着いた?」

エミリア

「スバ……」

スバル

(ノ゚Д゚)ノ

「うああああああああああ――ッ!!」

大きく身をひねり、背中に触れている白い手を、乱暴に振り払った。

背中、だ。背中に、触られたのだ。

今も、直前も、自分は背中に触られて、次の瞬間、あの苦痛が――。

🦷 牙

何もかもが、恐ろしい

転んだ体を、やけにざらつく黒い感触に受け止められる。

怯えるこちらを見たのは、鋭い面貌を持った爬虫類の眼光だ。

その口に並ぶ牙の群れが、自分を容易に噛み砕ける凶器だと理解した途端。

スバル

「うあああああああ――ッ!!」

立ちはだかる小さな影を突き飛ばした。

エミリア

「ベアトリス!」

高い、銀鈴の声音が必死に何かを叫んだが、耳を塞ぐこちらには届かない。

🏃 逃げる

『死』が、追ってくる

息を切らし、涎をこぼし、脂汗を浮かべながら、懸命に懸命に通路を走る。

背後、誰かが追ってくる気がして、振り返りたい気持ちを何度も堪えた。

人は生まれながらに破滅している。

一秒ごとに老い、一秒ごとに死に向かい、一秒ごとに終わりへと落ちていく。

だが、今の自分にそんな観念的な『死』など意味を為さない。

『死』が追ってくる。殺される。殺される。このままでは殺される。

殺されたはずなのに、まだ殺される。

あれほどの痛みを与えられてもなお、人というのは死ねないのか。

🩸 巨人

――逃げた先に、あの男がいた

石造りの通路を懸命に駆け抜け、見知らぬ部屋で、上へ向かう階段を見つけた。

長い、長い長い、長すぎる階段を上がって、息を切らして、上がって、そして。

レイド

「――オメエ、こンな朝っぱらから何しにきやがったンだ、オイ」

眼前に立つもの、それが巨人であるかのような錯覚がある。

同時に、人という生き物が、これほど猛々しい鬼気を纏えるのだという事実も。

レイド

「一人かよ、オメエ。稚魚が一人って、お話になンねえだろ。昨日の子分と、いい女共連れて出直せよ、オメエ」

――きてはならない、獰猛な獣の檻の中に入り込んでしまった。

👂 聞いてやる

――聞いてやる、と言われる

レイド

「おうコラ、無視ぶっこいてンじゃねえぞ、オメエ」

背後へ走ろうとした瞬間、何故か男の胸板に正面からぶつかる。

のけ反った額を木の棒に押され、そのまま後ろへ倒れ込んだ。

レイド

「おいおい、オメエ、まさか泣いてンのかよ。下で連れとケンカでもしたのかよ、オメエ」

レイド

「ったく、仕方のねえ野郎だな、オイ」

レイド

「オラ、何があったか話してみろや。聞いてほしいンなら聞いてやる」

スバル

「……う、ぁ?」

レイド

「こンなとこまで逃げ込ンでくンだ。よっぽどのこったろーが、オメエ」

凶悪無比に思えていた存在が、ゆっくりと確かな輪郭を帯びた気がした。

人の形をしているだけではなく、人の情と在り方が実像を結んでいく。

🦈 なンて言うわけねえ

――そんなわけが、なかった

「――なンて言うわけねえだろうが、馬鹿が」

スバル

(ノ゚Д゚)ノ

「ぎ、が、ぁぁあああああ!?」

肋骨の隙間に木の棒の先端が滑り込む。

それだけで、文字通りに血を吐くような苦痛が全身を貫いた。

レイド

「何、逃げてきてンだ、オメエ。おまけに、逃げた先がオレのとこってのはそれこそ何のつもりだ、オメエ。オレはオメエの保護者でもダチでも何でもねえぞ、オメエ」

レイド

「お話し合いで仲良く片付く関係かよ、オメエ。それで済むなら、端からオレがこンなとこ呼ばれるわけねえだろ。殺す気でこいよ。オレは遊ンでやンよ」

男があとわずかでも粗暴な腕しか持ち合わせていなければ、臓腑は弾けている。

そうなっていないのは、男の恐ろしいほどの才能だ。

🩹 爪

階段の縁で、指を掛ける

レイド

「失せろ、稚魚」

臓腑をつつく感触が遠ざかり、次いで男の足に乱暴に横腹を蹴りつけられる。

ふわりと体が浮かび上がり、為す術もなく転がり、広い空間から退場させられる。

スバル

「い、やだぁぁぁ……ッ!」

階段を転がり落ちる、その光景を幻視して、思わず床に爪を立てた。

歪な音がして、右手の中指と薬指の爪が根本から剥がれる。

スバル

「痛い……痛い、痛い、痛いよぉ……」

ぽたぽたと、流れる血が手首を伝って床に落ちる。

❓ なんで

なぜ、自分がここにいるのか

スバル

「なん、で……」

砕け散ったはずなのに、ここにある。

灼熱に呑まれ、消え去ったはずなのに、まだここにある。

全てが夢か、幻か、そんなものであれば、よかったのに。

スバル

「予知……夢……」

それが起きた理由を、自分なりに理屈で片付けようとして、そう考えて。

きっと、どこか、それすらも対岸の火事のように、他人事のような曖昧さで考えて。

その浅慮と浅薄の代償を、壮絶な苦痛で支払うことになるとも知らずに。

☕ コップ

――コップを、洗わなかった

ほんの、数時間前まで、自分はぬくぬくとした、倦怠の日々の中にいた。

――父と母の視線に、ただ顔を伏せていればいいだけの、そんな場所にいた。

家を出るとき、いってらっしゃいと母に声をかけられた。

自分は、それに答えなかった。何故か。

――台所の、水につけたコップを、洗っていなかったからだ。

ココアを飲んで、こびりついた茶色い汚れを、洗うのが面倒だった。

母の声に答えて、会話が生まれてしまったら、コップを洗えと言われるかもしれない。

だから、母の声に答えなかった。コップを、洗いたくなかったからだ。

コップの一つも洗わずに、優しい母に何も言わずに、こんな場所で、死にそうだ。

🚪 いってきます

――言えば、よかった

スバル

「……いってきますって、言えばよかった」

後悔ばかりの、人生だった。

やり直したいことなど両手両足の指でも足りないけれど、いの一番に、それが浮かんだ。

スバル

「……俺は、死ぬ」

生きとし生ける全てのものはいずれ死ぬが、自分はここで死ぬのだ。

知っているものが、誰もいないこんな場所で。

父も母もいない、見知らぬ他人たちに囲まれて、汚い血の塊になって、死ぬのだ。

👤 黒い影

『死』が、自分の顔をしている

スバル

「俺は、死ぬ。俺は、死ぬ。俺は……死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬ……」

『死』は変わらず、こちらの運命を絡め取るために微笑みながら佇んでいる。

黒い影が立ち上がり、こちらを嘲るように笑っているように見えた。

自分の顔を張り付けた『死』が、指差して震える自分を嗤っている。

スバル

「笑うな」

スバル

「笑うな。笑うんじゃねぇ。笑うんじゃ、ねぇ……!」

スバル

「笑うな、やめろ。俺は、死ぬ。お前にじゃない。お前に殺されるんじゃない」

『死』の具現化が、初めて、その表情を歪ませた。

それが、影の弱点に思えて、ここぞとばかりに攻め立てる。

スバル

「俺は、お前には殺されない。俺は死ぬ。確かに、俺は死ぬ! 死んだんだ! 死んで、ここに戻って、だけど、俺はお前には――」

🖤 黒い女

――世界が、止まる

唇が、意のままに動かなくなった。

動かない。体が。――否、動かないのは体ではない。世界そのものが、止まっている。

そんな世界にあって、動けない自分を残して、唯一、動くものがある。

「――愛してる」

――それは、たぶん、黒い女だった。

黒が女の形をしているのか、女が黒を纏っているのか、どちらか定かではない。

花嫁衣裳のような黒い装束を纏い、黒いヴェールが顔貌を隠す。

💔 心臓

――心臓に、指が触れる

「――愛してる」

いったい、どれほどの感情を煮詰めれば、その唇から漏れる言葉に近付くだろう。

世界の全ての『愛してる』を含有すれば、きっとこの女の『愛してる』になる。

細い指先が胸板を、皮を、肉を、骨を通り抜けて、鼓動を刻む心臓へと寄り添う。

「――愛してる」

愛を囁くのと同じ情熱を込めて、女の黒い指が心臓を愛撫する。

転落の衝撃も、灼熱も、母への罪悪感も、この痛みの前では塵芥のように思える。

絶叫できるなら、させてほしかった。

それができない。ただ、痛みと、向き合わされる。

――あらゆるものへの嫉妬心が、そうさせているかの如く。

💧 残骸

――残骸は、泣き続けた

解放は、唐突のことだった。

息を吐いて、その場に崩れ落ちる。

そんな無様な醜態を、止まっていた黒い影が指差して、声高に嗤っていた。

謀られたのだと、その笑う姿を見ていて気付く。

弱味を見せた素振りをすれば、容易に飛びついて、踏んではならない虎の尾を踏むと。

スバル

「俺を……」

続く言葉は、言葉にならなかった。

――いっそ、殺してくれ。その言葉は、声にならない。

殺されたとして、本当に自分は『殺されられる』のだろうか。

階段を、靴音と心配げな声が駆け上がってくるまで。

それは――ナツキ・スバルの残骸は、泣き続けた。

第六章39『残骸』終了。