第六章54
『Re:ゼロから始まる異世界生活』
消えてなくなろうとしたスバルに、名前を聞く声が届く。
🖤 実直
――影だけが、願いを叶えてくれる
――世界は闇色に塗り潰されようとしていた。
螺旋のように、渦巻くように、ナツキ・スバルを魂ごと包み込もうとする漆黒の魔手。
触れた箇所から溶けるように、崩れるように、自分の存在が虚ろになっていくのがわかる。
だが、それが不思議なことに、全く嫌な感覚を覚えないのだ。
でも、それだけではない。――影が、魔手が、これだけが、実直だったからだ。
今にも消えてなくなりたいナツキ・スバルの心情を、この影だけが慮ってくれる。
🗣️ 愛してる
――それだけが、癇に障る
――愛してる。
耳を塞いでも、心を閉ざそうとしても、それはぴたりと閉じた心の隙間に指を入れ、こじ開けた隙間から滑り込み、直接、愛を囁いてくる。
やめろ、うんざりだ。
俺は、愛していない。俺は、俺を愛していない。
愛されていることは、知っていた。知っていたさ。
あの両親だ。父も母も、スバルのことを心の底から愛してくれていた。
両親に愛されているのに、愛される価値のない自分を愛せるはずがなかった。
この責め苦に耐え抜いたなら、俺の願いを叶えてくれるのか。
これを最後にできるなら、ナツキ・スバルは、消えても――。
🔔 そこまでよ
――声が、貫いてくる
「――そこまでよ」
世界ごと、ナツキ・スバルの存在を塗り潰すような怒涛の愛の告白を、貫くように銀鈴の声音が一閃、スバルの下へと真っ直ぐに届く。
光が、迸った。
それが、スバルを呑み込まんとしていた漆黒の魔手へと突き刺さる。
千の内の一を削った代わりに得たものが、その膨大な勢いの影からの敵意では割に合わない。
しかし、その一撃を放った人物は果敢に踏み込み、自らへ差し向けられる影の魔手を尋常でない身のこなしで回避、回避、回避、そして――。
❄️ 手を引く
❄️名前を、呼ばれる
「――スバル!」
へたり込むスバルの名を呼んで、銀鈴の声の主が力ないその手を強く握った。
そのままスバルの体はぐいと引き上げられ、力ずくでその場所から連れ出される。
「り、やぁっ!!」
発生したのは美しく発光する氷の結晶――スバルを閉じ込めた氷の檻、それと発生のルーツを同じくする、美しく壮烈な氷撃だ。
それが正面、壁を作るように展開した漆黒の魔手をぶち破り、強引に道をこじ開ける。
✋ もう、十分だ
――足を、止める
彼女の生存も確認され、しかし心は沸き立たない。
ユリウスも、ベアトリスもエキドナも、見殺しにした。
ナツキ・スバルは疫病神だ。死が、色濃くその存在に纏わりついている。
「――もう、十分だ」
「え?」
「これ以上、足掻いても仕方ないって、言ったんだよ」
💢 してない
――なんで、助けにきた
「なんで助けにきた? おかしいだろ、そんなの。お前だって、俺が偽物だって……そう思ったから、氷の檻で閉じ込めて、殺そうとしたはずだ」
欺瞞の言葉、事実を恣意的に捻じ曲げ、悪しざまに語って傷付ける。
エミリアがもう一度、この手を取ろうだなんて、間違っても考えないように。
「殺そうとだなんてしてない! 私は、様子のおかしいスバルから話を聞きたかっただけ。それで、スバルは話してくれたじゃない。記憶がないって。だから……」
「そんなのは! ただの、方便かもしれないだろうが! あっさり信じたのかよ? 馬鹿げてる。どうかしてるぞ! お前も、ユリウスも、ベアトリスも!」
⚰️ 死んだ
――言ってしまう
「いいや、違う……みんな馬鹿だ! 最後には……あんな状態で、最後には、エキドナまで、俺に謝りやがって……意味が、わからねぇ」
「エキドナが、最後……? スバル、何があったの? エキドナたちは……」
「死んだ! エキドナは死んだよ! 両足が吹っ飛んで、痛いのと血が足りないのと……とにかく苦しんで死んだ! ベアトリスもそうだ!」
「あの子も、俺を庇って……自切なんて、馬鹿げた仕組み……俺が気付いてればよかったのに。それができなくて、死んだ。俺を、忘れないって、そう……」
口ほどにもないとはこのことだ。口先だけの大望、それを言葉にして、すぐに。
スバルを死から遠ざけて、安堵したような顔で、この世から消滅して。
🫥 俺じゃなくても
――俺じゃなくても、いいだろ
ナツキ・スバルが、誰かに希望を託されることなどあってたまるものか。
ナツキ・スバルが、誰かにその心を信じられることなどあってたまるものか。
ナツキ・スバルが、誰かにその罪を赦されることなどあってたまるものか。
ナツキ・スバルが、誰かに共にあることを願われることなどあってたまるものか。
「……俺じゃなくても、いいだろ」
「俺なんか無視して、削ぎ落としてくれよ。もっと、強い誰かとか、頭のいい誰かが、やってくれる。俺は……」
強くも、賢くも、ない。そんなスバルを、望まなくてもいい。
🏚️ 盗品蔵
❄️私とスバルが初めて会ったのは
「――私とスバルが初めて会ったのは、王都の、盗品蔵って場所だったの」
その唐突で、脈絡のない言葉を受け、スバルは唖然と、ただ肺の中の息を抜く。
「そのとき、私はすごーく大事な徽章をフェルトちゃんに盗られちゃって。それを取り戻さなくちゃってパックと大慌てだったの」
「……それで、追いかけた先で、メィリィのお姉さんと戦うことになって、危なくって、でも、ラインハルトが助けてくれて。それで、ホッとしたところをメィリィのお姉さんに狙われて……それを、スバルが助けてくれて」
「それが、スバルと私の初めての出会い。……思い出した?」
問いかけに、スバルは首を横に振った。
当然だ。それは、エミリアと『ナツキ・スバル』の記憶だ。
🏰 屋敷
――思い出した?
「でも、スバルは私を庇ったせいで大ケガしちゃって、それでロズワールの屋敷に一緒に連れ帰ったの。そこでベアトリスが文句言いながら治療してくれて、ラムと……きっとレムとも、スバルは仲良くなったのよ」
「そうしたら、今度はお姉さんじゃなく、メィリィが魔獣をけしかけて悪さをしたの。それをスバルとラムが食い止めて、ロズワールが魔獣をやっつけて、私はお留守番……『でーと』の約束をしたのも、このとき。……思い出した?」
首を横に振る。
覚えていない。そんなことは、していない。――俺は、していない。
「屋敷では色んなことがあったんだから。マヨネーズを作ったり、みんなでお酒を飲んだり、パックが雪を降らせたり、『王様げーむ』をして……それから、王選のために王都に呼び出されて、ね」
「スバルと、初めて大ゲンカしたのも、このとき。私はもう、スバルに無茶して傷付いてほしくなくて、なんでそんなに優しくしてくれるのかわからなくて、怖かった。だから、全部、ケンカしたときに終わりになっちゃうって、思ったのに……」
💭 覚えてる
❄️でも、私は全部、覚えてる
「それで、なんて言ってくれたか。……思い出した?」
「思い……」
出せない。出てこない。出てくるはずがない。
スバルは、ここにいる自分は、彼女の求める『ナツキ・スバル』ではないのだと。
何故、お前なんだ、『ナツキ・スバル』。
俺とお前で、どうしてそこまで違っている、『ナツキ・スバル』。
「――でも、私は全部、覚えてる。スバルが言ってくれたこと、してくれたこと、しようって約束してくれたこと。全部、覚えてるの」
何も、ない。どこにも、ない。
この、体の内側には、頭の中には、心の奥底には、魂の果てには、何にもない。
💥 誰の話をしてる
――そんな奴、どこにもいない
(#゚д゚)
「覚えちゃ、いない。思い出せも、しない。お前は……お前は! お前らは! 誰の話をしてるんだよ!?」
「誰かのために命を張れて! 誰かのためにとっさに動けて! 誰かのために頑張ろうって走れて! 誰かのために命懸けで何かを成し遂げられる! そんなことってあるかよ!? そんなこと、できるかよ!?」
「――ふざけるな! そんな奴が、ナツキ・スバルのわけがねぇ!」
「俺は知ってんだよ! ナツキ・スバルがどれだけ情けなくて、どれだけクズで、どれだけどうしようもなくて、どれだけ腐った野郎なのか!」
「ナツキ・スバルにそんな価値があるもんかよ! ナツキ・スバルはクズなんだ! どうしようもねぇクソ野郎なんだよ! 俺が誰より、それを知ってるんだ!!」
🪧 ただのエミリア
❄️私の名前は、エミリア
「――私の名前は、エミリア。ただのエミリアよ」
「――ぁ?」
言葉の、意味がわからない。――否、意味ではない。意図がわからない。
「話さなきゃいけないことも、聞かなくちゃダメなことも、たくさんある。たくさんたくさんあるの。でも、今は一つだけ、聞かせて」
「ユリウスが、ベアトリスが、エキドナが。そして今、私が手を引いて、一緒に走って、どうしても守ってあげたくて、死なせたくなくて、そうやって……」
「そんな風に、私たちに思わせてくれたあなたは、誰?」
「お願い。――あなたの名前を、聞かせて」
🫀 肯定
――それは、否定ではなかった
エミリアの問いかけに、胸の奥で心の臓が震えた。
――それは、ナツキ・スバルの、肯定だ。
目の前のあなたは偽物だと、本物のナツキ・スバルを返してほしいと、そう言われた方が、まだマシだった。
だって、それは他ならぬ、スバル自身が望んでいたことなのだから。
ここに至るまで、ナツキ・スバルに言葉をかけた全員が、同じことを願った。
こうして全てを忘れ、どうしようもない醜態を晒しても、なおも変わらず。
「……どうして、なんだ? どうしてここで、ナツキ・スバルなんだ? あいつに、何ができる? あいつに、何を期待するんだよ……」
「あの、弱くて、頭も悪くて、情けなくて、意気地のない奴に、何を」
💗 好きな人
❄️一緒にいるのは、スバルがいい
「――あなたの、言う通りかもしれない」
「スバルより強い人はいるし、きっと頭のいい人だってたくさんいる。でも、私はどんなときでも、一緒にいるのはスバルがいい。スバルがそうしてくれるって信じてるし、願ってる。だって……」
「だって、助けてくれるなら、できるから、そこにいたから、そうしてくれる人より――好きな人にそうしてもらえた方が、ずっとずっと、嬉しいもの」
微笑みながら、ほんのわずかに頬を赤らめて、言った。
エミリアの言葉を受け、一瞬、確かに自分の中の全ての時が止まっていた。
そうか、『ナツキ・スバル』。お前、あんな美少女に惚れてたのか。
身の丈に合わないにもほどがあるだろう。あんな子が、振り向いてくれるもんかよ。
🟠 名乗る
――俺が、ナツキ・スバルだ
「――私の名前は、エミリア。ただのエミリアよ」
「――お願い。あなたの名前を、聞かせて」
「俺は……」
――託され、信じられ、赦され、願われる。
それが『ナツキ・スバル』なら、その『ナツキ・スバル』がどこにもいないなら。
「――俺の名前は、ナツキ・スバル」
「ユリウスに託されて、ベアトリスが信じて、エキドナが赦して、エミリア……君に、願われる、その男の名前が、ナツキ・スバルなら」
桜色の唇を震わせた問いかけに、血で赤黒く汚れた唇が答えを返した。
「――俺が、ナツキ・スバルだ」
🤝 呉越同舟
――救われたいわけでは、ない
その胸中、『ナツキ・スバル』への不信感は、欠片も拭えていない。
だが、いい。それでも、いい。
救われたいわけではない。救ってほしいと、縋り付くわけでもない。
救われてほしいと、思った。助けたいと、願った。
願わくば、走り出した切っ掛けよ、走って目指した行く先よ、同じであれ。
思い描いた道行きが同じであれば呉越同舟、お前が嫌いでも、文句はないから。
――俺に、『ナツキ・スバル』に、エミリアたちを、救わせてくれ。
「ありがとう、エミリア。――俺に、そう思わせてくれて」
「――スバル、私は」
🕳️ 崩れる
――通路が、握り潰される
それまで、まるで二人の対話を邪魔するまいと、世界が根こそぎ気遣ってくれていたみたいに静かだった状況が、一瞬にしてひび割れる。
「――エミリア!」
通路が形を失い、足場をなくしたエミリアが大きくバランスを崩す。
その彼女に向かって、まだかろうじて足場を残したスバルが強く床を蹴った。
距離が縮まり、たなびく銀髪に追いつき、ついには細い、彼女の体を抱きしめる。
「スバル……っ」
たぶん、腕の中で位置を変え、自分が下になろうとしていた。
それでは、助ける側と助けられる側があべこべだ。
🤞 忘れない
――終わりから、始める
スバルたちを迎えるのは、この塔を包み込み、あらゆる全てを終へ導く、漆黒の影なのだから。
――否、その、逆だ。これは、きっと、始まりになる。
一度は始めたことを、今一度、ここで、新たに、終わりから、始める。
ここで、この世界で、この場所で、エミリアと交わした言葉を、本物にする。
君たちが、俺にかけてくれた言葉を、君たちが覚えていないで、忘れてしまったとしても。
君たちに、俺がぶつけてしまった言葉を、君たちが覚えていないで、忘れてしまったとしても。
俺が覚えてる。全部、覚えてる。今度こそ、しがみついてでも、忘れないから。
「たとえ、君が忘れても――俺が、君たちを忘れない」
――ずっと、覚えていろよ、ナツキ・スバル。
流転し、全てが失われ、何もかもがゼロになり、目論見通りに終わりがくる。
そして、何もかもがゼロとなった場所で、始まるのだ。
第六章54『Re:ゼロから始まる異世界生活』終了。
エミリア
スバル