第六章46
『メィリィ・ポートルート』
書架に増えた一冊を、スバル自身が開く。そこにあったのは、彼女の一生と、最期だった。
❓ 何故
――何故、が、頭を埋め尽くす
眼前の一冊――『死者の書』のタイトルが、メィリィの名であることは疑う余地がない。
何故、メィリィの名前がここにあるのか。
何故、死者の記録を残す書庫はこんなにも早く彼女の本を用意したのか。
何故、これだけ膨大な数の本がある中、メィリィの本があっさりと見つかったのか。
何故、運命はこうもナツキ・スバルへと容赦してくれないのか。
📕 まだ見ていない
ベアトリスは、中身を見ていない
「――ベアトリス、本の内容は確認したの?」
「――まだ、確かめていないかしら」
「――っ、そう、なのか?」
「当然なのよ。扱いには、慎重にならざるを得ないかしら。そもそも、それがベティーたちの知っている、あのメィリィの本かどうかもまだわからないのよ」
「メィリィが、この塔の中で……大変! すぐに探さないと!」
「待つかしら! これが、本当にあの娘の本なら、急いで探しても無意味なのよ」
――その願いが儚く叶わないものだと、ナツキ・スバルは知っている。
🧮 計算
――読ませては、ならない
エミリアたちにメィリィの記憶を見られてはならない。
ベアトリスが見ていなかったのは僥倖だが、それも時間の問題だ。
ならば何とかして、メィリィの本を処分することができればいいのか。
――否、その結論は避けたい。スバルも、本の内容には強い関心がある。
メィリィの記録を覗ければ、その『ナツキ・スバル』を見られるかもしれない。
自分の内側にいるかもしれない、文字通りの潜在的な『敵』の姿を、見る。
🌟 悪気なく
シャウラが、平然と言い放つ
「なーんか騒がしく呼ばれたッスけど、どーしちまったんスか?」
「実は、書庫にメィリィの名前の本が見つかったの。まだ、中は見れてないんだけど、その前にあの子の無事を確かめたくて……」
「あー、なるほど。二号、死んじまったッスか。あんまし考えにくいッスけど、死に方なんかいくらでもあるんで、そういうこともあるかもしんないッスね」
その内容にエミリアの頬が強張り、ベアトリスが怒りを覚えた様子で睨んだ。
「それで、肝心の本はどこにあるッスか? さっさと中身見たら、二号がどこでどんな風に死んじまったかわかるかもしんねッスよ」
「い、いい加減にしろよ、お前! さっきから、そんな言い方ばっかり……」
💡 読んでみたら
――お師様が、読めばいい
「怒んないでくださいッス、お師様。あーしに悪気はないッス! でもでも、実際、本があるんだからそうするべきじゃないッスか?」
「それは……せめて、全員揃ってから」
「――お師様が、本を読んでみたらいいんスよ」
「この書庫を見っけたとき、お師様と、もう一人のイキャメンが初体験は済ませてたじゃないッスか。その後、別に何にも悪影響出てないんなら……ね?」
シャウラの提案は、彼女の言動としては恐るべきことに理に適っている。
ならば、この提案は渡りに船――。
💔 傷などない
――心の傷など、ない
「――確かに、シャウラの言ってることにも一理あるかもしれない」
「……スバル、本当にやるのよ? 一緒に、食事までしていた相手かしら」
一緒に旅をして、言葉を交わし、食事を共にした、ある種の戦友だ。
その『死』を見届けることで、どんな心の傷を負うのかとベアトリスは案じている。
――だが、そうではない。そうではないのだ。
ほんの数時間、見知った相手のように振る舞い、二度か三度の朝食を一緒にした。
たったそれだけの、ほとんど見知らぬ少女。――その死に、受ける心の傷などない。
「何かあったら、すぐに本から引き剥がすから。髪の毛、引っ張るから」
「そこは穏当に、肩とか揺すって呼びかけてくれると嬉しいかな」
「――いく」
🌲 何も持たない
――女は、何も持っていなかった
――自分の始まりを意識したとき、女は何も持っていなかった。
暗い暗い、黒い黒い、森で一人、女はただ、一人でいた。
立って歩くこと。喋って伝えること。生きるために泣き喚くこと。
その全ての持ち合わせがなく、忘却の彼方へ消えたものだった。
言葉を知らなければ、嘆き方も知らない。
歩き方を知らなければ、抗い方も知らない。
生きる方法を知らなければ、死に逝く理由も知りようがない。
額に角を生やし、獰猛な殺意だけで蠢き続ける、凶悪で醜悪な戮殺の獣。
その牙が喉笛を噛み千切ることなく、襟首を引きずって巣へ持ち帰った。
🐺 獣の女王
――獣たちの、女王になる
気付けば、女は戮殺の獣たちを従え、一帯を支配する獣の女王となっていた。
気ままに獲物を襲い、腹が減れば食らい、気が向けば戮殺し、寝たいときに寝て。
生きたいように生き、殺したいように殺し、殺戮の母性の中で育まれていく。
かつて、自分がなんであったのか、そんな記憶はとうになくした。
そのまま、そんな獣の一頭として、良くも悪くも独りで死ぬと、思っていた。
🔪 黒い少女
――黒い少女が、全てを奪う
🔪 黒い少女
「――思った以上の大歓迎ね。一応、こっちに危害を加えるつもりはないのだけれど」
黒い少女だった。血腥い魔性の染みついた、黒い少女だった。
築き上げた全てを、女はそんな命知らずの黒い少女に奪われた。
それを為す術なく見届け、女は、またしても何も持たなくなった。
🔪 黒い少女
「連れ帰れと言われているの。だから、一緒にきてもらうわ」
🕷️ 躾
――『母』が、躾をする
❓ 母
「嘆き方も、抗い方も、生き方もなくしやがった? そんなそんな、つまんねー言い訳並べられても知ったこっちゃねーんですよ」
❓ 母
「嘆け、アタクシのために。抗え、アタクシのために。生きろ、アタクシを愛するために」
❓ 母
「何もかも、なくした忘れた失ったなんて言いやがるんなら、アタクシが躾けてやろーじゃねーですか。――それが、『母親』の務めってもんですからね」
地獄より地獄、悪夢より悪夢、邪悪より邪悪。
『母』はただ、その手段の全てが歪なだけだった。
言葉を思い出した。嘆き方は剥がされた。
歩き方を思い出した。抗い方は塗り潰された。
生きる方法を思い出した。死に方など望むべくもないと、刻み込まれた。
🛁 湯
――一緒にいる間だけ、薄れた
黒い少女はよく、女のところに顔を出した。
『母』と初めて会わされる前、熱い湯の中に叩き込まれたことを思い出した。
あるいはあれが、最後に、女が感じた解放感だったかも、しれない。
黒い少女は、異常に強かった。生き方以上に、殺し方を知っていた。
そして同時に、それ以外のあらゆるものが疎かった。
だらしがなかった。手がかかる相手だった。目が離せない相手だった。
地獄を見た。悪夢を見た。邪悪を見た。
もう一生、女は『恐怖』を忘れられないと、そう思っていた。
それが、だらしない彼女を手伝ってやっている間は、薄れてくれる気がして。
🕯️ 灰になって
――エルザが、死んだ
「――エルザが、死んだ」
死んだ。死んだ。灰になって、死んだ。
腹に槍が刺さり、両腕を失い、首がへし折られるところも見たことがあった。
それでもエルザは死ななかった。死なないと、そう思っていた。
『母』の躾にも耐えた。地獄と悪夢と邪悪の『恐怖』にも耐えた。
でも、エルザは死んだ。一人に逆戻りだ。群れを失い、エルザを失い、一人だ。
憎い、憎い、憎いのか。憎しみとはいったい、なんなのだ。
悲しい、悲しい、悲しいのか。悲しみとはいったい、なんなのだ。
嘆き方は知らない。抗い方も知らない。命の価値など、自分にすらない。
🎭 模倣
――女は、真似をする生き物だった
女は、ただ流されて生きてきたのだ。
獣といた頃は獣の生き方を真似て、『母』に躾けられてからは躾の言いなりになり。
エルザと過ごすようになってからは口調すらも彼女を真似て、模倣して、倣った。
人の真似をする、人型の生き物。望まれるまま、望んだように振る舞ってみせる。
女にできるのは他人の模倣、他者の真似事、人の形をした人ならぬモノ。
『エルザ』が死んだのならばどうするのがいいのか、誰かの真似をしたい。
どうすればいいのか。『エルザ』を失った、女は、誰の真似をすれば。
🔥 嫌だ
――嫌だ、と思った
望まれるままに、流されるままに、求められるままの、自分を形作ってきた。
だったら、『母』が望むなら、この、価値を見出せない命を、奪われても。
――嫌だ。
そこで、終わるのは嫌だった。ここで、終わるのは嫌だった。
焦燥感が、心を灼く。望まれるままに生きてきた魂が、自らの望みを訴える。
せめて、答えが知りたいのだ。
🌙 書庫の夜
――夜の書庫で、声をかけられる
夜だった。砂の塔の、書庫で、『死者の書』があるその場所で。
🟠 少年
「――なんだ、お前もきてたのかよ」
瞬間、心が跳ねる。内心に気付かれると、そう恐怖した。
自分が、誰の書を求めて、こっそりとここへきていたのか、などと。
🟠 少年
「俺はちょっと、探したい本があってな。ホントならみんなと協力した方がいいんだろうけど、逸る気持ちが堪えられなくて……」
🟠 少年
「――夜更かしするなよ」
見られたくなかった。知られたくなかった。気付かれてはならなかった。
ならばいっそ、仕込んだ全てを動かして、本気で何もかもご破算に――。
🗣️ 薄っぺらい
――薄っぺらいなァ、お前
「――薄っぺらいなァ、お前」
音は立てずに、息も殺して、戻ってきたはずだ。それが何故、バレたのだ。
🟠 少年
「気持ち悪く媚びるなよ。誰も、お前にそんなこと望んじゃいない」
🟠 少年
「すまし顔するなよ、言いなりのお人形。自分の胸の奥の、望みも聞こえねぇか?」
🟠 少年
「望みに耳を傾けろ。そうすれば、少しは自分ってもんが見えてくる。自分ってもんが見えてくれば、やりたいこともわかる」
🟠 少年
「――その顔、いいね。味わい深い」
少年の手が、女の垂らした三つ編みを掴み、倒錯的な快楽を宿した目で見つめてくる。
🟠 少年
「自分の望みがわかったら、自分ってヤツが見えてきたら、もっと『らしく』行動しろよ。お前の退屈な悩みも、つまらない苦しみも、俺が覚えててやる」
🟠 少年
「――俺が、覚えていてやる」
🩸 殺人事件
――ナツキ・スバルの、殺人事件だ
🦂 女
「――昨日の夜の話だけど、わたしはどのぐらい真剣に受け止めたらいいのかしらあ?」
🟠 少年
「ここじゃなんだな。場所を変えよう」
🟠 少年
「悪いな」
声が耳元で囁かれた直後、軽い体を床に突き飛ばされた。
馬乗りになってくる少年の顔が見える。――見たこともないほど、凶悪な顔で嗤っていた。
🟠 少年
「それを、直接聞くのはルール違反だ」
🟠 少年
「今回はルール違反で脱落だが、次はもっと大胆な活躍を期待してるぜ。これまでみたいに、どしどし頑張ってくれ」
「これはこれで、面白い話になる。――ナツキ・スバルの、殺人事件だ」
殺される。理解は、そこまでしか至らない。
あの森で独りでいた頃から、何もできないまま、意味などなく。
――殺して、やる。
🌀 混ざる
――喋り方が、混ざっている
(ノ゚Д゚)ノ
「う、ぁぁぁぁぁ――ッ!?」
「わ、わたしは……あ、え、俺? 今、今、今今今、どう、な、え?」
「深呼吸! 深呼吸するのよ! 無理に喋ろうとしなくていいかしら! エミリア、本に触っちゃいけないのよ!」
「でも、ベアトリス、スバルの様子がおかしいわ! この本が……」
「たぶん、深く潜りすぎたに違いないのよ。喋り方が混ざっているかしら」
「スバル、思い出して。大丈夫、あなたはナツキ・スバル、私の騎士様。天下不滅の無一文、お控えなすって皆々様……それから、それから……」
――スバルは、自己を呼び戻した。
「お、れ……あ、エミリア、ベアトリス……俺は、俺、だよな? わたしじゃなく、俺で……エルザは、いなくて、えと……」
「棘みたいに、刺さった別の記憶をゆっくりと抜いていくのよ」
👁️ 静かに
――
シャウラが、静かに見ている
「エミリア様、お待たせしました。道中、ラム女史に話を聞いて――」
🧣 エキドナ
「あの少女の名前の本が見つかったのは事実なのかい?」
ユリウスと、エキドナと、最後尾のラムが追いつく。
その三人へと、エミリアとベアトリスが現状の説明を始める。
それを、足下に落ちた本には無関心に、シャウラが静かに眺めている。
黒い瞳を細めて、感情の窺えない眼差しで、ただ、静かに。
――静かに、眺めていた。
第六章46『メィリィ・ポートルート』終了。
エミリア
スバル
ユリウス