第六章44
『血の勲章』
首の痣に、自分の指が重なる。そして左腕の袖をまくると、そこに文字が刻まれていた。
🤲 両手
――何が、起きたのか
何が起きたのか、全く理解が追いついてこない。
手首には傷があり、喉はいがらっぽく、心臓の鼓動は馬鹿に速い。
だが、それらはいずれも記憶と直結せず、脳の空白地帯に生まれたバグとしか思えない。
――眼前に横たわる少女の命の灯火は、すでに絶えてしまっている。
🫀 蘇生
できることを、全部やる
「――っ、あ、きらめるのはまだ、早い」
「め、メィリィ……おい、メィリィ!」
呼びかける。反応はない。
声でダメならばと、肩を揺すり、掌で頬を軽く叩く。
やはり反応はない。開かれた瞼は瞬きすらしない。
薄い胸に両手を置いて、上から体重をかけて押し込む心臓マッサージ。
心臓の位置は鳩尾から指二本、などと聞いた覚えがあり、その知識通りに押し込んだ。
「あとなんだ。あと何がある。何がある何がある、クソ、クソクソ、クソ!」
所詮はテレビで中途半端に得た知識か、聞きかじりの生兵法でしかない。
💀 死んだ
――息を、吹き返さない
「――ちく、しょう」
メィリィは、息を吹き返さなかった。最初の、印象の通りだ。
――メィリィは、死んだのだ。
彼女を殺したのは、決して運命ではない。もっと明確な、殺意が彼女を殺したのだ。
その証拠に、メィリィの細い首には、痛々しい青黒い痣が残されていた。
🖐️ ぴったり
指の跡と、自分の指が重なる
乱れた服を直し、両手を胸の上で組ませ、ぼんやりと開いた瞼を閉じてやる。
そうして形だけでも死者に敬意を払うと、そっとその、細い首に手をやった。
「……ぴったり、だ」
指の跡に見えるそれと、重ねたスバルの指の形が素人目にもぴったりと一致していた。
メィリィは、首を絞めて殺害された。そして、その犯人は他でもない――。
「――ぅ、げぉ」
「俺、ホントに、ゲロ吐いてばっかだ、な……」
🙌 二本あれば
――手は、二本あれば足りる
状況証拠が揃いすぎている。
部屋には二人きりで、メィリィの首についた指の跡はスバルのそれと一致した。
誰かにハメられた、などとも考えなかった。
この状況を作り出すのに、他者の手など必要はない。
これを、悪夢を作り出すのに必要な手があるとすれば、それはたったの二本だけ。
――ナツキ・スバルの腕が二本あれば、ただそれだけで事足りるではないか。
「……意味が、わからねぇ」
🧠 思い出せ
――思い出せ、思い出せ
「何があった、何があった? 思い出せ。思い出せ思い出せ思い出せ……っ」
記憶がないことを隠して朝食を食べて、ユリウスを問い詰め、シャウラを抱擁して。
それから通路でメィリィと出くわしたのだ。
「昨日の、夜がどうとか……なんて言ってた……」
彼女が用件を口にした直後、そこでスバルの意識は途切れている。
メィリィは失われたスバルの記憶と、何らかの繋がりがあったはずなのに――。
「死んだ。それも、俺が首を絞めて……? なんで俺が、そんな……」
💅 爪の血
自分の爪に、血と皮膚がある
「――ぁ?」
視線が向かったのは、スバル自身の右手の爪だ。
その爪に、メィリィと同じように、人を引っ掻いた血と、抉った皮膚が詰まっている。
少なくとも、見える範囲に爪の傷跡はない。
スバルの爪が抉った痕跡は少女の体には残されていなかった。
「――まさか」
👕 袖をまくる
――左腕が、痛む
右腕の肘から先、そこが黒くグロテスクな変異を遂げているのは記憶に新しい。
だが、傷が疼くような痛みを感じているのは左腕の方だった。
微かに生地が張り付く感触は、渇いた血が剥がれる感覚のものだ。
そのまま息を呑み、スバルは一息に袖を肩までまくり上げる。
✍️ 文字
――そこに、文字が刻まれていた
そこには想像した通り、自分の右手で刻んだと思しき引っ掻き傷があった。
肘の内側から二の腕にかけて刻まれた痛々しい傷は、ただの傷跡として完結しない。
文字だ。それは、爪で肉体に刻み込まれた、歪な文字だった。
――『ナツキ・スバル参上』、と。
「――は」
😱 なんなんだよ
――お前、なんなんだ
指で左腕の傷を拭い、一度は止まった血が再び流れるほど、傷をこすって確かめた。
だが、他に読み取りようがない。汚い字で、日本語で、ナツキ・スバル参上と。
(ノ゚Д゚)ノ
「お前……お前、なんなんだよ!?」
何度も、何度も打ち付け、噛みしめた口の端から血がこぼれる。
しかし、そうまでしても現実は変わらない。腕の傷もまた、消えない。
「なかった! こんな傷は、絶対になかった!」
いい加減に認めろ。理解しろ。誰か、ではないのだと。
これが他のどんな存在でもない、ナツキ・スバルの犯行なのだと。
🖋️ 筆跡
――文字に、癖が出る
「く、るってる……」
――『ナツキ・スバル』とは、理解できない怪物の名前だったのか。
それこそ本気で、全く別の存在が憑依していたのだと言われた方が納得がいく。
「でも、そうじゃない……」
腕に刻まれた自分の名前、それでも文字に癖は出る。
具体的に言えば、文字のトメハネにスバルが自覚する癖があった。
よほど意識的に真似しなければ、そこまでの一致は他人にはできない。
👥 戻ってきてる
――意識が途切れた間に
「――俺の、意識が途切れた間、『ナツキ・スバル』が戻ってきてる?」
そしてその『ナツキ・スバル』が、仲違いしたメィリィを殺害し。
その事実をスバルの腕に残して、再び意識の狭間へと隠れ潜んだというのか。
「自分の体があるのに、なんで、俺を……いや、俺は、なんなんだ? お前は、何のつもりなんだ? 誰なんだよ、お前は……」
ついにスバルは、自分自身すらも無害な存在の枠から外さなくてはならなくなった。
🩸 赤い
――黒い肌からも、赤い血が出る
平静は保てない。心は、乱れに乱れ切ったままだ。
だが、『ナツキ・スバル』の意のままに振り回されるなど、そんなことは御免だ。
「――お前は、誰なんだ」
鏡なしには睨むことのできない相手への憎悪を呟く。
スバルは自分の右腕――グロテスクな紋様の走る肌へと、左手の爪を立てた。
つぷりと、裂ける黒い肌からは、赤い血の雫が確かに浮かび上がってきた。
――この黒い肌から流れる血も赤いんだなと、皮肉にもそう思った。
第六章44『血の勲章』終了。
スバル