第六章42
『死者たちの塔』
ナイフを手に四層へ上がる。そこにあったのは、殺すべき相手ではなかった。
🔪 殺す
――殺す、と唱えながら上がる
片手にナイフを、その胸に憎悪を、瞳に狂気を漲らせ、上へと歩む。
「殺す、殺す、殺してやる。絶対に、殺して、やる……っ」
言霊に力が宿るならば、吐き出される呪詛の数々が、スバルの行為を後押しする。
身を守るために、殺さなくてはならない。
そうしなくては、奴らの方がスバルを殺しにくるのだ。
殺したいのではなく、殺さなければならない。
真にスバルの心情を反映するなら、相応しい言葉は『殺す』ではない。
――死にたくない、の方が正確だ。
💀 最初の一人
――四層は、破壊されていた
「――は」
甲高い音を立てて、手にしたナイフが硬い床の上に落ちる。指が強張り、動かない。
溢れ返る血臭と、身も凍るような激しい戦闘の痕跡。
石造りの壁や床が砕かれ、割られ、何か強大な存在が暴れ回ったとしか思えない。
――頭の潰れたシャウラが、見るも無残な姿で床に倒れ伏していた。
血の跡は、通路の奥の方にも続いている。
戦いが長く、幾度も場所を変えて続いたことを証明している。
🤮 初めての死
人の死を、初めて見た
堪え切れない嘔吐感のままに、胃袋の中身を一気に床に吐き出した。
――人の、死を、初めて目の当たりにした。
多くの場合、人生で最初に相対する死体とは、年配の親類であると考えられる。
だが、スバルは祖父母も健在で、葬式に出た経験もなかった。
人とは、こんなにも残酷に、命を奪われることがあるものなのだと。
「俺も、か」
背中を突き飛ばされ、はるか階下へと叩き落とされたスバル。
その亡骸も、きっと二目と見られないほどぐずぐずの肉塊へと変わったはずだ。
🧮 一人減った
――容疑者が、一人減った
死んだシャウラには悪いが、これは今のスバルには朗報とも言えた。
彼女が死んだことで、容疑者は七名から一人消えてくれた。
同時に、スバルを殺した人間が、他の誰かとも敵対関係にあると確信が持てた。
つまり、スバル以外の誰かが、犯人を殺してくれる可能性がある。
あとはスバルが、生き残った全員を殺せばいい。それで、安心できる。
「そういう意味だと……邪魔なのは、ラムと、エキドナか。ユリウスの奴も、死んでくれてると楽だな……」
「上にいる、あの、クソ野郎」
あれの排除など、不可能だ。あれは常外の理に生きる、手出し無用の超越者。
殺せない、ものもいる。
🤍 白い布
――角を曲がった先に、二人目
角を曲がった先、体を斜めに断ち切られたエキドナの死体を見つけた。
大きな刃物、と想像した際、最初に思い浮かぶのはユリウスの持っていた剣だ。
問題は、ユリウスにエキドナを斬る理由があるのか、わからないこと。
倒れ伏したシャウラが、殺して捨て置かれたという印象を覚えるのに対し。
このエキドナの亡骸には、死者への敬意が残されている。
彼女の死体には白い布がかけられ、瞼も閉じられていたのだ。
殺害方法の違いを思えば、死者の弔い方にも大きく違いがある。
🌸 三人目
廊下の奥に、三人目
――廊下の奥で、背後から胴体を吹き飛ばされたラムを見つけた。
その傷跡が、スバルには砂漠のミミズを殺したそれと同じもののようにも見えた。
廊下を駆け抜け、どこかへ向かおうとした背中を狙い撃たれたのだろう。
唇を噛んで、無念を残した死に顔には、怨念めいた呪詛が感じられた。
嘔吐をした。
🕯️ 四人目と五人目
広間に、四人目と五人目
――朝の事情説明と、食事をした広間には、ユリウスとメィリィの死体があった。
ユリウスの死に様は、これまでで最も壮絶なものだった。
体中に殴打の痕跡と、圧倒的な切れ味に負わされた裂傷が存在する。
肘から吹き飛んだ左腕の傷には、マントの切れ端が乱暴に巻かれ、処置されていた。
そして、彼がそうまで必死に抗ったのは、背後に頽れる少女のためだったのか。
嘔吐をした。
壁に背を預け、腹に手を当てたメィリィは、唯一、穏やかな顔で死んでいた。
傷を負い、この場所で救いを待つうちに、命を落とした。
それなのに、亡骸の表情が安らかに思えることが、一切の理解を拒ませていた。
嘔吐をした。
5️⃣ 五つの死体
――死体が、五つある
死体、死体、死体、死体、死体だ。
死体があった。死体ばかりがあった。死体ばかりが、転がっていた。
理想を言えば、スバル以外の全員が死んでくれることが、安息のための条件だった。
だがしかし、スバルの存在を欠いたところで、全員が死んでいるのは理解ができない。
「エミリアと、ベアトリス……」
見つけた死体は五つ、見つからない容疑者は二人。
死体は五つ、白い布は四枚、シャウラ以外の四人に、それぞれ掛けられていた。
そこには死者への敬意がある。シャウラの死体にだけ、それがない。
「血は……」
乾いていた、と思う。
惨劇から、数時間、あるいは十数時間が経過していると考えられる。
🐴 生きている
――生きているものが、いた
――緑色の部屋に入った。黒いトカゲが、スバルを見つけて嘶いた。
生きている存在を見つけたのは、この塔に戻って以来、初めてだった。
「は。トカゲが、なんだよ」
「ついてくんな!」
「俺は、お前と遊んでる暇なんかねぇんだよ! この塔で、生き残ってる奴をぶっ殺さなきゃならねぇんだ! お前が邪魔するなら……」
鋭い面貌のトカゲは、大振りのナイフを見て、しかし視線をスバルへ戻した。
まるで、スバルの殺意を物ともしていない。
🔪 突き立てる
――ナイフを、突き立てる
(#゚Д゚)
「――てめぇ、ふざけるんじゃねぇ!!」
ナイフの先端が、漆黒の鱗へと突き刺さる。
刃は根本までトカゲの体内に潜り込み、明らかな深手に鮮血がこぼれた。
「これで……」
ナイフを突き立てられたトカゲが、微動だにせず、スバルを見ていた。
痛みにも驚きにも、一切の反応をしない。
――ただトカゲの鋭い瞳は、ナツキ・スバルの行いを見ていた。
その、感情の読み取れないトカゲの瞳が、ナツキ・スバルを糾弾している。
😭 放っといてくれ
――放って、おいてくれ
「クソ……クソ、クソクソクソ! なんなんだ、なんなんだよ!」
「俺を殺そうとする奴は、どいつもこいつも殺してやる! 俺を頼ろうとする奴は、どいつもこいつも突き放してやる! 勝手に、馴れ馴れしくしてきやがって……冗談じゃねぇ!」
「お前らのことなんか、一人も知るもんかよ! みんながみんな、自分の事情を押し付けやがって……! お前らが自分のことで手一杯なら! 俺だって、俺のことで手一杯なんだよ!」
怒鳴り、喚き散らし、スバルはいつしか涙を流して、その場に膝をついていた。
「俺のことなんか、放っといてくれよ……一人ぼっちで、見捨てていてくれよ……」
🦷 咥えられる
――牙が、肩に食い込む
微かな、本当に微かな震動が、床を通じてこちらへ迫ってくることを――。
トカゲの大口が、スバルの左肩をくわえると、そのまま一気に走り出した。
鋭い牙が肩口に食い込み、肉の抉られる痛みに思わず悲鳴が漏れた。
――寸前までスバルがいた通路が、おびただしい量の黒い靄によって吹き飛ぶ。
「影の、腕……」
脳裏を、階段でスバルを苦しめた女の姿が過る。
その、女の纏った影に、目の前で溢れ出す影はよく似ていた。
⬛ 下も影
――塔の下半分が、沈んでいく
「――っ! 螺旋階段……っ!」
眼下、五層から四層へと上がってくる階段が、黒い影に呑まれ、沈んでいく。
つまりは塔全体、その下半分を、膨大な量の影が包み込み、沈めようとしていた。
「下には逃げられない……だってのに、後ろも……」
一瞬、自死の可能性が頭を過った。
だが、万一、自死を選んで、それで終わったらどうする。
そもそも、何故、自分が死ななければならない。
(ノ゚Д゚)ノ
「嫌だ……死にたくない!!」
🧗 壁を走る
――壁を、駆け上がる
牙にスバルを捉えたまま、トカゲが喉の奥で咆哮を爆発させる。
直後、トカゲは凄まじい加速を得て、螺旋階段の空白へと身を躍らせた。
トカゲの二本の足、その鋭い先端が塔の壁に突き刺さる。
根本から影に呑まれることで、巨大な塔はわずかに傾き始めていた。
ほぼ垂直に等しいその壁を、トカゲは強引に踏みつけ、踏破する。
「う、そだろ……っ」
強引な動きが、影の攻撃をスバルに当てないための配慮であることはわかった。
自分自身の体を影に削られることへの配慮が、全くされていないことも。
🖤 呑まれる
――トカゲが、影に呑まれる
左肩に食い込むトカゲの牙が抜かれて、肉が削ぎ取られる痛みが走る。
ぶつけられ、転がり、投げ出されて、息を吐く。目を開けた。
ちかちかと明滅する正面に、黒い夜空が垣間見えた。
「トカゲ……っ!」
――落下していくトカゲが、その鱗よりなお黒い影に呑まれ、消える。
理不尽な怒りにナイフを刺され、自分自身の痛みと恐怖を顧みず。
スバルをこのバルコニーまで投げ込んで、そのまま、トカゲは、影に。
死よりも恐ろしい末路が待つ、影に、呑まれた。
「なん、なんだ」
🕊️ 白い鳥
白い鳥が、一羽止まる
バルコニーの外縁に一羽の白い鳥が止まった。
感情のない眼差しで、スバルを見ている白い鳥。
死んだ容疑者、姿の見えない容疑者、命懸けで助けてくれるトカゲ。
この状況で突如として現れる白い鳥――少しずつ、影に呑まれ、消えていく塔。
ああも必死に、トカゲがスバルを助けようとしてくれたのは、わかる。
わかるが、その想いは無駄になる。――死に逝く時間が延長されただけで。
❓ 当ててみなよ
――背後に、誰かが立つ
背後に、不意の気配があった。鳥でもなく、トカゲでもなく、影でもない。
生きた、何者かの気配が、立った。
「……お前は、なんだよ」
その声に、微かに喉を震わし、背後に立った誰かが笑った。聞いたことのない声で。
「――次、当ててみなよ、英雄」
瞬間、風音がして、スバルの視界が高々と跳ね上がり、くるくると回転する。
ひどく、自分の体が軽い。鳥のように空を上がり、気付いた。
誰かが後ろから、スバルの首を刎ね――。
🤲 首に手を
――目覚めて、手を伸ばす
「――スバル! ねえ、スバルってば、大丈夫なの?」
刎ねられたはずの首の接続と、意識の切り替えは一瞬の出来事だった。
「えみ、りあ……」
「ああ、スバル、よかった。目が覚めたのね。すごーく心配したんだから」
その、エミリアを見ていて、細く美しい首がやけに目に眩しい。
スバルはどこか渇いた感覚のままに、そっとエミリアの細い首に両手を伸ばした。
(・_・)
「スバル? どうしたの?」
スバルの仕草に驚いてはいるが、それを拒否しようという動きはしていない。
命を握られているのに、エミリアの反応はやけに鈍くて、いっそ――。
「エミリア、どうやらスバルは寝惚けているみたいかしら」
🐴 そこにいる
――トカゲが、そこにいる
「――! お前……っ」
緑色の部屋の片隅に、お行儀よく座り込んでいる黒い巨躯。
影に呑まれる寸前まで、スバルのために奔走してくれたトカゲが、そこにいて。
「……なんだか、釈然としないのよ。スバルを見つけたのは、ベティーとエミリアの手柄のはずかしら」
「ふふっ、拗ねないの。いいじゃない。スバルとパトラッシュ、すごーく仲良しで」
スバルは二人の会話に反応もできずに、ただ、目の前のトカゲに抱き着いた。
――あの場所で、唯一、スバルを傷付けなかった存在に、感謝していた。
第六章42『死者たちの塔』終了。
スバル
エミリア
ベアトリス