第六章38
『オマエハダレダ』
同じ朝が、もう一度始まる。そして二度目の螺旋階段で、背中に軽い衝撃があった。
🔁 また、ここだ
――同じ部屋で、目が覚める
壁や床、天井までもが緑色の蔦で覆われ、蔦で編まれたベッドの上で体を起こす。
全く何の異常もなく、ここはプレアデス監視塔の緑部屋だった。
「だけど……あれ? 俺はなんだってまた、ここで?」
二層に挑もうという話になって、自分に能力がないかを確認していたはずだ。
「えっと? そのあとは、なんだっけ?」
ふと、気付いたらまたこのベッドに横たわっていた、という印象が強い。
❓ 話が違う
話が、食い違っている
「ええっと、それでなんだけど……スバルは、さっきからどうしたの?」
「どうした、ってのはわりと漠然とした疑問だね。どこにかかってくる問題?」
「だって、さっきから私のこと、エミリアちゃんって。なんだか、スバルにそんな風に呼ばれるのってすごーく落ち着かない気分になるから」
「そろそろ、ベティーたちには話してほしいのよ。なんで、夜の間にまた『タイゲタ』の書庫に入ったのかしら。倒れていたのは何が原因だったのよ?」
(゚д゚)
「待て待て待て待て! え、なに、俺ってまたタイゲタで倒れてたの?」
「また?」
🕳️ 知らない
二人が、記憶喪失を知らない
「まず、話したと思うが……目を覚ましたら、俺には記憶がなかった。すっからかんってわけじゃなくて、この異世界に召喚されてからの記憶が……」
(゚д゚)
「ちょ、ちょ、ちょ、待つのよ!? 記憶? 記憶って何のことかしら!?」
「え?」
「スバル、ごめんね、ちょっと何を言ってるのかわからなくて……」
二人のスバルを見る目には困惑が色濃い。それが演技でないことは理解できた。
それと同時に、演技でないことの方が、スバルにとっては空恐ろしい。
🔮 予知夢
――これは、予知夢だ
「寝起きの、二人とのやり取り……」
それに、何となく覚えがある。――否、何となくではない。覚えがあった。
緑部屋で目覚めた状況そのものが、記憶をなくしたスバルが目覚めた再現ではないか。
「同じ状況を見てる。――つまり、予知夢」
そう思えば、意識の途絶――その瞬間の記憶が曖昧なことにも納得がいく。
夢とは何故か、繋ぎ止めようとしても指の隙間から零れ落ちていくものだ。
「すげぇ使いどころが難しい、ピーキーな能力だな……」
予知夢とは、つまるところ未来予知だ。的中率が高いほど、大きな手掛かりとなる。
👏 同じだ
――全部、見た通りに進む
「えいっ!」
勇ましく、男らしい割り切り方、それもまた予知夢で見た通りの光景で。
「元気を入れたわ。あんなんじゃダメよね。スバルの方がずっと困ってるはずなのに、いつまでも私たちまで困った顔してちゃ。ほら、ベアトリスも!」
「べ、ベティーは……」
このあと、ベアトリスが何を言うのか、どんな顔をするのか、スバルは知っている。
だが、それがわかっていることが安らぎをもたらすかといえば、全くの見当違いだ。
誰かの気持ちを、期待を、裏切ることは辛いし、恐ろしい。
一度目のときよりもベアトリスを知っている分、今の方がスバルは辛かった。
🏰 砂の城
――これで、いいのか
「……ああ、もう、まったく! スバルは本当に仕方のない契約者なのよ!」
そのことに安堵しながら、スバルは同時に強い自己嫌悪も抱く。
――これでいいのか。これで満足なのか。ええ、ナツキ・スバルよ。
――お前がそうやって築いてきた絆と信頼の上に、俺も砂の城を建てればいいのか。
🤔 なぜ隠した
『スバル』は、なぜ話していない
予知夢を見たことを、スバルは二人に打ち明けていない。
何より、自分の予知夢がどれほどの的中率なのか、それを見極めたかった。
――だが、それだけが理由ではない。
エミリアもベアトリスも、ラムにユリウス、エキドナも誰も、『予知夢』を説明しなかった。
必然的に、ナツキ・スバル自身が、その能力を明かしたことが一度もないということだ。
「……何を考えてたんだ、ナツキ・スバル」
スバルにとって、『ナツキ・スバル』は存在も知らない未知の人物だ。
その考えを推し量ることはできないし、対話も交わせない。
――何を考えてたんだ、『ナツキ・スバル』。
🔂 再生
全員が、同じことを言う
「これは、何かの悪ふざけなの、バルス?」
「それにしてもお師様、ホントに懲りないし飽きないッスね~。そうやって、何回あーしのこと忘れたら気が済むッスか?」
「本当、お兄さんってばあ、すっごく困ったさんよねえ」
🧣 エキドナ
「少し、彼に落ち着く時間を与えたい。構わないかな?」
「……お願いだから、全部、話して」
――予知夢は、正確だ。憎らしいほどに的確で、状況を完全にトレースしている。
🧊 落ち着きすぎ
🧣エキドナが、違和感に気付く
🧣 エキドナ
「ナツキくんは、こんな状況のわりにずいぶんと落ち着いているんだね」
みんなが驚き、慌てふためく姿を見ながら、本心から感情移入することができない。
一度見た映画を、今一度、初めて見たように感じることができないのと同じだ。
募るのは彼女たちへの同情心と、わかっていて放置した罪悪感。
そしてそれを続けてきただろう『スバル』への嫌悪感と、負の感情の詰め合わせだ。
「落ち着いてる、って評価されるのはありがたいな。俺は通信簿に必ず、『落ち着きがありません』って書かれるタイプのガキだったから」
🧣 エキドナ
「ツウシンボ、というのはよくわからないが……それもイセカイの?」
つまり、エキドナは記憶喪失云々がなくても、異世界について聞くつもりだった。
🌟 壁ゴワァッ
シャウラの隣を、選ぶ
「うへへへへ~。お師様、お師様ぁ。あーしは嬉しいッス。きっと幸せにしてみせるッス」
「そこまでの話はしてねぇよ。腕を抱くな。柔らかくて怖い」
エミリアやベアトリスと手を繋いでの移動を、スバルは固辞していた。
その真意は、エミリアやベアトリスに対する良心の呵責だ。
徒労となるだろう事実を明かさず、状況を俯瞰する形で彼女たちに接している。
その自覚の分だけ、気遣ってくれる彼女たちと距離を近付けるのが心苦しかった。
「やっと、お師様があーしの魅力を認めてくれたんスね! 嬉しくて嬉しくて、ディープなキスしちゃうッス!」
(ノ゚Д゚)ノ
「そういうわけじゃねぇよ! 怖い! ホントにやめてくれ!」
🪢 三つ編みを引く
メィリィが、引き剥がす
「はいはい、お兄さんは嫌がってるでしょお。あんまりはしゃがないのお」
「あーしの髪になんてことするんスか! 大事な髪に、恐ろしい娘っ子ッス!」
「だってえ、銀髪のお姉さんとか、ベアトリスちゃんに怒られたくないもおん」
「あー、助かった。殺し屋にこんなこと言うのも変な感じだけど」
「気にしないでえ。わたしが悪い動物ちゃんたちに手伝ってもらうみたいに、お兄さんたちもわたしをうまく使ったらいいわあ」
「たぶん、お前にもまだまだ頼ることがあるから、よろしく頼んだぜ」
「――? ええ、だからそう言ってるでしょお? うまく使ってって」
「使うじゃねぇよ、頼るだ。道具じゃなくて、対人関係なんだぜ?」
「……ふーん」
🧵 ペトラ
また、知らない名前が出る
「……お兄さんって、ホントに何にも覚えてないのよねえ」
「うん? ああ、残念なことに。なんか、思い当たることとかあるのか?」
「ペトラちゃんが聞いたら泣いちゃいそうねえ」
「うぐ……また知らない子の名前が」
「ペトラちゃんはねえ、お兄さんのことが大好きな女の子なのよお。ここに送り出すのもすごおく心配してたから、ほらやっぱりって声が聞こえてきそうねえ」
「おのれ、昨日の俺め、なんて迂闊なことをしてくれたんだ……」
「ホント、昨日のお兄さんが迂闊って意見、わたしもそう思うわあ」
それが奇妙な実感を伴って聞こえたのは、スバルの気のせいだったのだろうか。
🗣️ 打ち明ける
予知夢を、話すと決める
予知夢の発動条件がスバルには全くわかっていない。
眠れば確実に発動するのか、何らかのキーが必要なのか、完全なランダムなのか。
「今、ちょっとゾッとなったけど、予知夢の予知夢とか、胡蝶の夢っぽくて怖いな」
「――そうならないために、夢の先にいけばいい。それができるなら、エミリアたちに予知夢のことを打ち明けても問題ないはずだ」
使いこなせれば強力な武器になる。この塔を突破する上で、最も必要な武器に。
「――方針は固まったな」
👂 錯乱状態
――部屋の中から、声が聞こえる
🧣 エキドナ
「――ナツキくんのことだが、錯乱状態にある彼を同行させるのは危険じゃないかい?」
「エキドナ、危険というのはどういう意味だろうか」
🧣 エキドナ
「彼が記憶を失ったこと、それはここまでの態度を見るに事実だろう。しかし、その後の受け答えは明らかに正気を逸している。『イセカイ』という単語の説明がその証左だ」
🧣 エキドナ
「まさか、本当に彼が大瀑布の彼方からやってきたと信じているわけじゃないだろう?」
🧊 根拠がない
ラムも、信じられないと言う
「確かに、荒唐無稽な説明だったわね」
「ラムまで、スバルの言うことを疑うの?」
「ラムも、バルスの言い分を頭から疑うわけではありません。あるいは、誰も知らない場所からきたと、そう信じるに足るかもしれない」
「でも、それはあくまで地続きのどこかの話。そんな場所の実在は信じられない。……もう、今のバルスの言葉を、信じる根拠なんて、ない」
「私は、スバルを信じる。ベアトリスもそう。だから、みんなもお願い。スバルの言葉を信じてあげて」
「……エミリア様、エキドナはスバルが、彼が自発的に我々を騙そうとしていると言っているわけではありません。ただ、今の彼が平静にないと、そう言っているだけです」
「お兄さんにでも直接聞いてみたらあ? お兄さん、頭がおかしくなってるのおって?」
😖 驕り
信頼は、前提だと思っていた
「く、そ……!」
全面的な信頼が勝ち取れた、などと自惚れていたわけではない。
――信頼は、前提だとスバルは思っていたのだ。
エミリアとベアトリスが、あまりにスバルに親身で、気遣ってくれるものだから。
居心地が悪いなどと嘯いておきながら、信じてもらえて当然だと驕っていた。
記憶喪失を信じてもらえたのは、彼らが善良であることの何よりの証拠だ。
だが同時に、異世界を信じてもらえないのは、彼らが良識ある人間である証明だ。
そして、予知夢の説明がどちらの天秤を傾けるか、考えるまでもない。
――『ナツキ・スバル』が勝ち取ったものを、ナツキ・スバルが扱えるものかよ。
🥶 産毛が逆立つ
また、螺旋階段の前に立つ
「螺旋、階段……」
「いや、それとは別に、なんか、変な感覚が……」
ぞわぞわと、背筋の産毛が逆立っていく感覚がある。
全身の血が冷たくなり、耳鳴りがやけに大きく感じる。
自然と心臓の鼓動が早くなり、息遣いが荒くなって、何故か膝が震え出した。
この異常は、スバル自身の肉体を起因としたものだ。
👣 とん
――軽い衝撃が、あった
「――ぁ」
とん、と軽い衝撃があって、スバルは一歩、前に踏み出していた。
――否、踏み出したとは言えない。
踏み出したとは、踏みしめる大地があって成立する言葉だ。
前に一歩、足が出た。
そして、その足は、宙を掻いた。
🕳️ 落ちる
落ちる、落ちる、落ちている
自分の体が浮遊感に呑まれ、天地が大きくひっくり返り、豪風が鼓膜を殴りつける。
違う、軽い衝撃があった。ただ、落ちたわけではない。
自分は突き落と――。
絶叫を上げ、スバルは必死に手を伸ばした。どこか、掴まる場所を懸命に求める。
何もない、どこにもない、世界がわからなくなるぐらい、回転していて。
この感覚に、覚えがあった。
異常な嘔吐感と苦痛に苛まれながら、曖昧だった記憶が恐ろしく研ぎ澄まされる。
そう、そうだ、そうだった。目覚める前、予知夢の終わり、同じ目に遭っていた。
だから、この状況もじきに終わって、予知夢から覚めて、あの緑の部屋に――。
💥 激突
――夢は、覚めない
瞬間、衝撃がスバルの右半身を粉々に砕く。
恐ろしく高所から落下する勢いのままに、体が螺旋階段の一部と接触した。
そのまま、転落と回転の勢いはスバルの体をぶち壊し、なおも止まらない。
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
痛みが、苦しみが、嘔吐感が、灼熱が、ナツキ・スバルを粉々にしていく。
人ではない、『ナツキ・スバル』ではないものに。
❓ オマエハダレダ
――記憶が、人を形作る
――記憶が人を形作るんだよ。
「ふへ」
そんな馬鹿なことを言ったのは、わかったような口を利いたのは誰だったのか。
だが、いいことを言うものだ。記憶がその人を形作る。いい言葉だ。
だとしたら、記憶を失い、自分の在り方を損なった存在は、何者になるというのか。
夢が、覚めることはない。ナツキ・スバルはしくじった。
失敗したものに、取り返す機会などない。
終わりがくる。ゆっくりと、暗く昏く、世界が染まっていって。
――オマエハ、ダレダ。
第六章38『オマエハダレダ』終了。
スバル
エミリア
ベアトリス
ユリウス