第六章36
『安堵感の置き所』
異世界の話をしても、誰も驚かない。書庫へ向かうが、今のスバルには文字も読めない。
❓ 未知の単語
その単語を、誰も知らない
――イセカイ、とはどういう意味なのか。
『イセカイ』なる単語に関して、全員が未知のモノと捉えている。
つまり、以前のナツキ・スバルは、そのことを一度も説明してこなかったのだ。
「イセカイ……そういえば、前からたまにスバルってそんなこと言ってたわよね」
「聞き覚えはありますね。日頃の言動から、戯言の類と気にも留めていませんでしたが」
「エミリアちゃんはともかく、ラムの俺への無関心ぶりがすごいな……」
🔒 禁則事項
話してはいけない、決まりがあるのか
「何かの制限があったのか? この世界に飛ばされたとき、神様か女神様に言っちゃダメって誓わされたとか……そもそも、俺はどんな使命があってここにいるんだ?」
首をひねってみるが、背負った使命の『し』の字も脳裏を過ったりしない。
記憶に残らぬ『神』とやらが、何らかの役割を課して送り出した――のがお約束だ。
「――実際、禁則事項なのかどうか、確かめてみた方がいい、か」
📖 異なる世界
『異なる』『世界』と書いて、異世界
「その、イセカイってのはな、『異なる』『世界』って書いて異世界……つまり、今ここに俺たちが存在してる場所とは、別の世界って意味なんだ」
「別の世界で、『異世界』……」
『イセカイ』とした発音にあったように、その単語自体を未知のモノと受け止めて。
どうやらこの世界には、異なる世界といった考え方が一般的ではないらしい。
「……特に、何もなさそうだな」
痛みも、痺れもない。懸念されていた不安は、何の問題もなく処理されてしまった。
「異世界、という単語の意味は分かった。君らしい造語とも受け取れるが、いささかその含意に思うところがある。何故、君はその異世界をたびたび引き合いに?」
🌏 異分子
――俺は、その異世界の出身なんだ
「俺は、その異世界ってヤツの出身なんだ。この世界で生まれて育ったんじゃなく、途中からこの世界に紛れ込んだ異分子。――だから、俺にとっちゃここが異世界ってわけ」
――そう、はっきりと自分の立場と境遇を表明した。
これまでの常識が覆され、世界がひっくり返ったような衝撃を味わって不思議はない。
はたして、泣き崩れる美少女をどうやって慰めればいいのだろう。経験がない。
🌊 大瀑布
――大瀑布の、向こう?
「……ええと、それって、大瀑布の向こうってことでいいの?」
「へ? 大瀑布?」
「いや、全然違うって。滝とは無関係。滝じゃなくて、ここと常識とかから完全に違ってる世界の話で……」
「だから、それが大瀑布の彼方でしょう。バルスの故郷でどんな言い方をしているか……いいえ、バルスの故郷からすると逆なのかもしれないわね。大瀑布を挟んで、こちらの国々の方が『異世界』。素っ頓狂な言動にも、納得がいくわ」
🧣 エキドナ
「そうだね。ナツキくんの素性をどれだけ調べても追いつかなかった理由は、彼が大瀑布の彼方の出身だったためというわけだ」
(ノ゚Д゚)ノ
「って、おいおい、それでさらっと納得いくのか!?」
🐉 龍以外は渡れない
ベアトリスが、その滝を説明する
「色々忘れたスバルには心当たりはないかもしれんのよ。でも、大瀑布……世界の果てにある水際、その彼方からきた人間の話はいくつか残されているかしら」
「世界の果ての水際……その響きは嫌いじゃねぇけども」
「大瀑布は、龍以外は渡れないとされるその此方と彼方の境なのよ。彼方に何があるのか知るものはいない。……だから、稀にその堺を越えたものがいたとして、それが語った言葉を嘘や偽りと否定する根拠は誰も持たないかしら」
「ここは浮遊大陸みたいな感じの場所で、別の大陸には龍じゃないと渡れない的な?」
「はぁ」
「そこ、すごい不満げにため息つくな。傷付くだろ」
🌫️ 虚言
その手の話は、大半が嘘だ
「時に、俺以外にもいわゆる異世界人がいるってんなら、知り合いにもいたりする? 大瀑布の彼方人か、漂流者ってんでもいいけど」
「残念だが、君の言うところの漂流者の存在は非常に稀だ。そもそも、大瀑布の彼方からやってきたと吹聴するのは、その大部分が虚言か空想癖のあるものの場合が多い」
「あー、うん、まぁ、そうだよな……」
本物の異世界人がいたとしても、その言葉は無数の虚偽の中に埋もれたことだろう。
🧣 エキドナ
「――正直なところ、大瀑布の彼方への興味は尽きない。しかし、どうやらそのことと現状に関連性はないらしい」
――元の世界の話をすればするほど、投げ捨ててきた問題と向き合うことになる。
目の前の、この非常事態に集中することで、今はそれを忘れていたい。
🤝 両手が塞がる
両側から、手を繋がれる
「あの、エミリアちゃん? なんで、ぎゅっと手を握られてるんでせう」
「え? だって、スバルを放っておくと心配なんだもの。手の届く場所にいてもらわないと……で、それなら最初から手を繋いでたらいいかなって」
「その結論は短絡的で好きだけど、こう、結構以上に恥ずかしいし!」
「そんなこと言って。ベアトリスとも手を繋いでるんだから一緒じゃない」
「幼女と手を繋いでることと、美少女と手を繋ぐこととの間には今日も冷たい雨が降るっていうか、雲泥の差っていうか……」
「ごめん、ちょっと何言ってるのかわかんない」
「スバルはカッコ悪くなきゃスバルじゃないのよ」
「それ、どんな評価!?」
🫧 気遣い
気遣いが、あちこちで続く
先頭を歩くユリウスはたびたび振り返る。
エキドナは曲がり角の先に何があるのかいちいち解説してくれる。
気を張っているラムが見かけ以上に苦しんでいることも、スバルだけは知っていた。
こうなると、最後尾で気楽にやり取りしている二人だけが精神的に癒しだった。
「……なんだか、すごおく失礼なこと考えてなあい? お兄さん」
「お師様の頭ん中はいつもそんな感じッス。気にするだけ損ッスよ。いっぺん、覗いてみたら一面ピンク色でぶっちゃけ引くッス。桃色脳ッス、破廉恥学園ッス」
「破廉恥でも学園でもねぇよ。お前、それどこ知識だよ」
「お師様由来ッス。あーしの知識は丸っと全部、お師様由来ッス」
📚 本だらけ
ここが、『タイゲタ』の書庫だ
「ここが、『タイゲタ』……聞いてた通り、本だらけだ」
スバルもなかなか読書家だったが、これほど大量の本に囲まれた経験はついぞない。
「ここにあるのは『死者の本』って話だったが……つまり、この本の数だけ死者がいたって話になるわけだ。……ホモサピエンスの頃から延々と記録し続けてるんだとしたら、文字通り気が遠くなる記録量だよな」
「今どきの図書館なら検索機能は必須みたいなとこあるけど、ここには?」
「その、検索機能とやらのことはわからんかしら。ただ、ここにはベティーのような司書はいないのよ。手探りで確かめていくしかないかしら」
「砂漠に落とした百円玉を探すような作業だな……」
🔤 読めない
文字が、読めない
本棚から引き抜かれた一冊は容易く手に収まり、いたって普通の本だ。
問題があるとすれば。
「しまった。タイトルが読めねぇ」
そのタイトルとおぼしき、ミミズののたくったような文字が解読不可能なのだ。
📕 奪われる
エミリアが、本を取り上げる
(#゚д゚)
「スバル!」
次の瞬間、手にした本がもぎ取るように奪われていた。
「え、ええと、エミリアちゃん?」
「迂闊なことしちゃダメじゃない! スバル、わかってるの? スバルはきっと、ここで記憶をなくしたのかもしれないのよ?」
「いや、そんな大げさな……」
「スバル、エミリアの言う通りなのよ。直感で動くのは控えるかしら」
「私も同意見だ。軽挙な行動は慎むべきだろう」
胸に湧くのは反感ではなく、バツの悪さからくる恥の感情だ。
✍️ 元から読めない
文字は、屋敷にきてから覚えたものだ
🧣 エキドナ
「ナツキくんは、本の題名が読めなくなっていた。そうだね?」
🧣 エキドナ
「ここからわかることは、彼のように記憶をなくすことがあれば、識字能力――もしくは認識能力に支障をきたすということだ」
「残念だけど、スバルが文字の勉強を始めたのはロズワールの屋敷にきてからなのよ」
「屋敷にくるまで、スバルはイ文字の読み書きもできなかったかしら。そのことは、教育係だった姉妹の姉も知っているのよ」
「元々、バルスは文字の読み書きもままなりませんでしたので、ラムが献身的に教育を。……今の体たらくを見るに、その努力も無駄になったようですが」
「悪かったよ! そんなエピソードがあるなんて知らなかったからな!」
「少なくとも、これでスバルの記憶が失われたのが、ルグニカにきて以降のものであることは発覚した」
「つまり、バルスがこの書庫で何の役にも立たないお荷物という事実ね」
🙏 待ってて
エミリアが、念を押す
「スバル、お願いだから大人しく待っててね。きっと、スバルがなくした記憶、私が……私たちが見つけてあげるから」
「お、おお、わかった。何にもできないってのが歯痒い感じだけど、ここはエミリアちゃんたちを信じて大人しく待つぜ」
「本当に大人しく待てる? 勝手に動かない?」
「すごい念押しするね! 大丈夫だよ! 五歳児じゃないんだから、大人しく待つぐらいできるって。約束してもいいぜ」
「じゃあ、やっぱり大人しくしてないつもりなんじゃ……」
(゚д゚)
「どういうこと!?」
何事かと周りを見れば、ベアトリスとラムはさもありなんとばかりに肩をすくめていた。
🦂 元殺し屋
メィリィは、探さない
「さっきから思ってたんだが、お前はこの捜索に加わらないのか?」
「うん、加わらないわあ。だって、わたしってお兄さんやお姉さんたちのちゃんとしたお仲間ってわけじゃないものお」
「ちゃんとした仲間じゃないってのは……」
「言ったでしょお? 殺し屋……失敗したから、元殺し屋かも。元々、ここにはちょっとしたお手伝いできただけだものお」
「つまり、保釈の条件みたいな感じか。……元でもなんでも、殺し屋を味方に加えて冒険って、なかなか思い切った判断したんだな」
「――。ええ、ホントにそうねえ。ホントに、どうかしてると思うわあ」
🌟 どーでもいい
シャウラは、こだわらない
「あーし、読み書きできないから何の役にも立たねッス。お師様と一緒で、本の内容とかチンでプンでカンッスよ」
「お前も、俺は変わってないと思うか?」
変わっていないという表現は、この数時間で何度かかけられた言葉だ。
――変わっていないことを喜ばれるのも、変われていないことを嘆かれるのも。
「うーん、よくわかんねッス」
「お前な……いや、お前に聞いた俺が馬鹿だった」
「むー、お師様は馬鹿じゃないッスよ。そんな言い方、たとえお師様でもあーしが怒るッス。お師様はすげーお人なんスから、胸張ってほしいッス」
「変わったとか変わってないとか、お師様はお師様なんでどーでもいいッス。お師様は好きにしてくれたら、あーしはそれについてくだけッスもん」
「――。その結果、おかしなことになってもか?」
「ま! それで変なとこ辿り着いても、あーしが無理やりこじ開けるッス。お師様は忘れちゃったかもしれないッスけど、それがお師様とあーしの関係ッスよ」
🫣 顔を隠す
顔を、見られたくない
積み重ねられるあけすけな言葉、裏表など微塵も感じられない発言。
それを何度も叩きつけられ、スバルは微かに息を呑んだ。
結局、スバルは左右に逃げ場がなく、その場にしゃがみ込んで床を睨みつけた。
両腕で頭を抱くように抱え込み、誰にも今の顔を見せない。
彼女らにはわかるまい。――否、わかってほしくない。
あんな、空っぽで考えなしで、隙間だらけの言葉に救われた気持ちになるなんて。
気負わなくていいのだと、言葉より雄弁に態度で示された気がして。
「お兄さんったら、変なのお」
「お師様が変なのは元からッス。でも、そんなとこも愛してるッス」
ただ、ほんのわずかにだけ、心を急き立てる切迫感が和らいだ気がした。
第六章36『安堵感の置き所』終了。
ラム
スバル
ユリウス