第六章34
『コンビニを出ると、そこは不思議の世界でした』
菜月・昴、十七歳。最新の記憶はコンビニの帰り道。目の前の少女たちは、彼を知っている。
🏠 十七年
菜月・昴は、高校三年生のひきこもりである
菜月・昴は平成日本生まれのゆとり教育世代出身である。
彼の人生は十七年、その全てを語り尽くすにはそれこそ十七年の時間を必要とする。
それらを割愛し、現在の立場を簡単に説明するのならば『高校三年生にしてひきこもり』となる。
ひきこもった理由は特にない。
普通の平日、たまたま「今日は起きるのが面倒だ」となんとなく思っただけ。
そのままずるずると自主休校が増え、気付けば立派に親を泣かせるひきこもり。
「その結果が異世界召喚……てふべ」
🤲 頬を掴まれる
――正直、どえらい美少女だった
月光のように煌めく長い銀髪、宝石を嵌め込んだ紫紺の瞳。
世界中の芸術家が揃って筆を折るほど突出した神なる芸術品かと錯覚するほどだ。
「スバル?」
「は、はひ、ナツキ・スバルです」
「ん、スバル……よね。ごめんね。なんだか、ちょっと変な風に見えたから」
「へ、変ってのは……あれかな? 目つきとか、そういう意味だったり?」
「ううん、違うの。目つきはいつも通りすごーく悪いけど、頭打ってないかなって」
(ノ゚Д゚)ノ
「目つきはいつも通りすごーく悪い!?」
🎤 名乗り
気合いの、自己紹介
「――改めまして自己紹介をば。俺の名前はナツキ・スバル!」
びしっと指を天井に突き付け、反対の手を腰に当てながらポージング。
「無知蒙昧にして、天魔不滅の風来坊! 不束者ですが、どうぞよしなに!」
やがて、十数秒の沈黙を経て、二人は顔を見合わせると。
「ええっと……別に知ってる、わよね?」
「今さらすぎる自己紹介だったのよ」
(゚д゚)
「あれー!?」
💔 覚えてない
――何にも、覚えていない
「つまり、スバルは……何にも覚えてないの? この塔のことも、プリステラであったことも……ううん、それどころか、ラムたちも、ベアトリスも。……私の、ことも?」
「えーと……はい、あの、そのようです、はい」
瞳に浮かぶ激しい動揺、それを目の当たりにして、スバルも強烈な罪悪感を味わった。
「記憶が……ない? まさか、そんなことあるはず……」
隣に座った幼女はそっとその袖を摘んでいる。
細い指先が微かに震えていて、やはりスバルの心は痛んだ。
🌍 異世界
ここは、常識の異なる世界だ
――当初、スバルは自分の身に起きたのは『ただの異世界召喚』だと考えていた。
その想定は中らずとも遠からず――否、ほとんど正解だったと言っていい。
ここはスバルの知る、十七年間生きてきた世界ではない。
奇抜な衣装と、人外めいた美貌を持つ二人の少女の存在からも明らかだ。
それでも足りなければ、馬ほども大きい黒いトカゲを弁護側は提出する。
そこに自立してベッドや椅子を作り出す蔦生命体が加われば、勝訴は明らかだ。
――故に、ここは常識の異なる世界、すなわち異世界。
🖤 黒い紋様
右腕に、覚えのない黒い紋様がある
「……確かにこれ、コンビニ出た直後の体じゃねぇんだよなぁ」
心なしか、ややたくましさを増した腕がそこにあった。
掌にも、覚えのないマメがいくつも増えている。
「グロいな……」
右腕の肘から先、手首にかけた黒い斑の紋様。
血管のようなものが浮き出て、趣味の悪いタトゥーのように腕を覆っているのだ。
指でなぞっても、質感は普通の肌と変わらない。
痛みがあったり、妙な痺れがあったりなども皆無。
このまま思い切り、爪で黒い肌を破れば血は流れるのか。
――それで流れる血は、はたして本当に赤いだろうか。
👕 服が違う
コンビニを出て、瞬きをしただけのはずだ
スバルにとって、一番最新の記憶は『コンビニの買い物直後』だ。
ジャージ姿で買い物を終えたはずが、今の格好は汚れの気になる旅装だ。
足下もスニーカーではなくなり、過度に日焼けした腕にはコンビニ袋も持っていない。
まさしく、世界だけでなく、時間を跳躍している。
――コンビニで異世界召喚されて、その後の時間を過ごし、記憶をなくした。
何度も夢想したまさしく夢の展開――それを純粋に喜べずに受け取るとは。
👏 えいっ
エミリアが、自分の頬を叩く
「へっこむ気持ちもわかるんだけど、ここは一つ、気を取り直していこうぜ! こういう一時的な健忘症ってのはポンと何かの拍子に戻ったりするもんだし、大げさに心配しなくて平気だって」
「ごめん、ちょっと何言ってるのかわかんない」
「あれれ、そう……?」
「でも……スバルは、やっぱりスバルだから……ん、それは安心した」
「えいっ!」
(゚д゚)
「って、いきなり何を!?」
「よしっ、元気を入れたわ。あんなんじゃダメよね。スバルの方がずっと困ってるはずなのに、いつまでも私たちまで困った顔してちゃ」
「顔に似合わず、めちゃくちゃ勇ましいなこの子……」
🦋 蝶の羽ばたき
ベアトリスが、立ち直る
「驚いちゃったのも、悲しい気持ちもわかるけど……今、一番辛いのが誰なのか考えなくちゃ。私たちが、何とかしてあげなきゃダメでしょ?」
「べ、ベティーは……スバルは……今、困ってるはず、かしら」
「あー、正直、そうだな。うん、助けてほしいと思ってる」
薄く、青い瞳に浮かぶ奇妙な瞳孔。
――それが、スバルには何故か蝶の羽ばたきに見えて。
「……ああ、もう、まったく! スバルは本当に仕方のない契約者なのよ!」
「素直に助けてって言えたのに免じて、今回だけ目をつぶってあげるかしら。――どうせ、スバルはベティーがいなきゃ、寂しくて生きていけない弱虫なのよ」
「そこまで言う!?」
「ふん、忘れたなんて言われても、すぐ思い出させてやるかしら。――ベティーの契約者は何があっても、思い出の中でセピア色になんてならない、鬱陶しくてやかましい男なんだってことを」
🤝 名前を
――名前を、教えてほしい
「俺の名前はナツキ・スバル。右も左もわからねぇが、たぶん君たちのお友達。図々しいとは承知の上で、一つ君たちに頼みがある」
「――君たちの名前を、教えてほしい」
その言葉に、何故か美少女は喉を詰まらせ、美幼女が目を瞬かせる。
しかし、それも一瞬のことだ。
「私の名前はエミリア、ただのエミリアよ。またよろしくね、スバル」
「ベティーは大精霊ベアトリス、スバルはベティーの契約者なのよ」
🪡 針の筵
朝食の席は、針の筵だった
やたらとエロい格好のグラマラスな美人、年齢のわりに妖艶な雰囲気の美少女。
可憐な顔にきつめの眼光がチャーミングな桃髪の美少女。
はんなりと柔らかな雰囲気を纏った幼い顔立ちの美少女。
それからやけに整った顔をした貴族っぽい雰囲気の青年――以上だ。
全員美形で、この時点でスバルは異世界の凄まじさを思い知っている。
「まぁ、個人的な好みで言えば、銀髪美少女なエミリアちゃんの一馬身リードかな」
などと、益体のない呟きを聞こえるようにこぼしてみるが、反応は極寒だ。
🌸 悪ふざけ?
ラムは、疑っている
「あの子はラム。お屋敷のメイドで……メイドって、言葉はわかる?」
「それは問題なく……でも、お屋敷でメイドときたか。うん、了解した」
「これは、何かの悪ふざけなの、バルス?」
「そう疑われるのは仕方ねぇと思うが、マジな話だ。あと、俺の名前が目潰しの呪文になってんぞ。……お前が、あのベッドに寝てた子のお姉ちゃんか」
「妹を起こしてやりたいタイミングで、俺が面倒事になったみたいで悪い。けど、俺も正直いっぱいいっぱいなんでな」
「……その物言い、本当に忘れているの? その軽薄な態度も口調も、普段のバルスと何にも変わってないようにしか思えないけど」
「人の性根はそう簡単には変わらないってとこで、新しい俺とも前とおんなじ感じで接してくれ」
🌟 お師様
シャウラが、耳元にいる
「お師様~?」
(ノ゚Д゚)ノ
「うぉぉう!?」
「シャウラッス、お師様最愛の教え子にして、このプレアデス監視塔の星番ッス!」
「星番……? それに、お師様ってのは俺のこと……?」
「はいッス!」
「それにしてもお師様、ホントに懲りないし飽きないッスね~。そうやって、何回あーしのこと忘れたら気が済むッスか?」
「懲りる飽きるの次元の話じゃねぇし! 大体、俺ってそんな何回もぽんぽん記憶が吹っ飛んでんの!?」
「そんなはずがないのよ、落ち着くかしら。シャウラ、お前もあんまりスバルを混乱させるんじゃないのよ」
🦂 殺し屋
メィリィは、笑っている
「本当、お兄さんってばあ、すっごく困ったさんよねえ」
「育てた親に一言物申してやりたい佇まいだな、ベイビー」
「――。それはやめた方がいいわあ。お兄さん、絶対ママと相性悪いものお」
「今はそれより、君の名前の方が大事かな。教えてくれると、また仲良くなる第一歩になるぞ」
「ぷっ……仲良くだってえ」
「メィリィよ、お兄さん。記憶と一緒に、得意なお裁縫のやり方まで忘れちゃってなければ、またぬいぐるみを作ってほしいわあ」
「おお、俺の隠された特技の一つが割れてんのか。ベアトリスと同じで、妹分かな?」
「あの娘は、スバルやベティーを殺しにきた殺し屋かしら」
(゚д゚)
「どういう冗談!?」
😔 言葉が出ない
ユリウスだけが、何も言えない
黄色い瞳を震わせ、押し黙った青年の様子には鬼気迫るものがあった。
あるいはこの室内で、最も衝撃を受けているのは彼なのではと思わせるほどに。
「少し、彼に落ち着く時間を与えたい。構わないかな?」
「ああ、そう、だな。いきなりで、ビックリさせたのは間違いないし……」
「ボクの見立てだと、そればかりでもないんだが……」
「あ、やっぱりボクっ子なのか」
「今はアナスタシア、と名乗っておこうか。本当は君の衝撃的な告白がなければ、代わりにボクが驚きの告白をするつもりだったんだが、前後したよ」
「驚きの告白、ね」
🪣 水汲み
ラムが、水汲みに連れ出す
「どうあれ、騎士ユリウスが落ち着くまで時間がいるなら……その間に、朝食の準備をしましょう。エミリア様、バルスを水汲みに借りても?」
「スバルはまだ記憶もあやふやだし、休ませてあげた方が……」
「休ませたところで、記憶が戻る目途は立たない。バルス自身が言ったことです。それに、記憶の有無に関わらず、バルスにはロズワール様の使用人としての役割がある」
「なかなか辛辣だなぁ、ラムちゃん……ラムさん?」
アナスタシアに支えられ、俯く青年の様子を見る。
彼が落ち着くまでの間は、スバルはここにいない方がいいような気がした。
「だとしたら、侮れないな、ラム……」
💭 私の
「私の」の、続き
「頭の中身はともかく、体に問題はないんだし、聞いたところじゃ俺は使用人? 小間使い? そんな感じだったみたいだし、ここは一つ、水汲みぐらいは職務復帰させてくれよ」
「……スバルは使用人じゃなくて、私の」
「私の、なに? ――! もしかして、あの、その、こ、恋人的な……」
「ううん、全然そんなじゃないけど」
「全然そんなじゃないんだ! まぁ、そうだよね……」
「ともかく、俺はいいから、あっちをお願い。戻ってくるまでに、ちょっとは立ち直っててくれるといいんだが……」
「……うん、そうよね。わかった。何とか、話してみる」
🏷️ 呼び方
呼び方を、間違える
「なんで、ベティー、お前が頼りだ。任せたぜ、契約っ子」
「――。その呼び方は、やめてほしいのよ」
「――? そうか? じゃあ、ベアトリス?」
「……ひとまず、それでいいかしら。スバルの頼みは任されたのよ」
どうやら何かを選び間違えたらしいとスバルは思ったが、それ以上は掴めない。
「姉妹の姉、スバルを任せたかしら」
「ええ。といっても、それほどの距離ではありませんし、危険があるかどうか」
「その危険がないはずの場所で、記憶を落としたのがスバルなのよ」
「確かに」
「うぐぐ、反論できねぇ……」
🎭 芝居はやめろ
ラムは、演技だと思っている
「あの人のことはエミリアやベアトリスに任せるとして、わざわざこんな風に連れ出したんだ。まさか、ホントに水汲みだけが目的ってわけじゃないだろ?」
「――いい加減、つまらない芝居はやめなさい、バルス」
「へ? 芝居ってのは……」
「どうせ、バルスのことだから、またろくでもないことを思いついたんでしょう。腹芸のできないエミリア様や、別陣営のアナスタシア様、それに信用できないシャウラはともかく……ラムにぐらい、何を企んでいるのか明かしておきなさい」
「悪ぃけど、これって演技とか芝居とか、悪巧みとかじゃねぇんだよ。俺は本当にすっぽりと記憶が抜けてんだ。だから、お前の期待には応えられない」
「強情ね。バルスが一人で抱え込むのはいつものことだけど、今回ばかりはそれじゃ困るのよ。ラムも、レムのことが懸かってる。ちゃんと一枚噛ませなさい」
🪣 バケツが転がる
胸倉を、掴まれる
「バルス」
「うん? ……って、おい!?」
金属が石の床に打ち付けられ、高い音が廊下に響く。
胸倉を掴まれ、気付いたときには体勢を崩されて壁に押し付けられていた。
「言いなさい。いい加減にしないと、ラムにも考えがあるわよ」
(#゚Д゚)
「――ッ! わかんねぇ奴だな! だから、何にもねぇって言ってんだろ! 嘘じゃねぇんだよ! 俺は」
「――いいから、全部話しなさい!!」
😢 お願い
――その声は、震えていた
吠えるような声を間近でぶつけられて、スバルの怒りが耳から抜けた。
驚きはあった。だがそれ以上に、行動を押し止めたのは別のものだ。
「全部、話して……」
声は、ひどく震えていた。
「……お願いだから、全部、話して」
「ら、む?」
「……お願い」
涙声ではない。それほど脆くはない。
嘆いてはいない。それほど自分に優しくない。
――ただ、声に宿った悲憤は行き場がない。
「バルスが、忘れたらラムは……レムは……」
「レムは、あの子は……」
「……ごめん」
――そんな二人のどうにもならない様子を、転がるバケツだけが見つめていた。
第六章34『コンビニを出ると、そこは不思議の世界でした』終了。
スバル
アナスタシア