第六章28
『ユリウス・ユークリウス』
一人で二層へ戻った騎士の、視点。剣も名前も失った男に、まだ何が残っているのか。
📣 大法螺
あのとき、感銘を受けた男がいた
――おそらく、誰も信じたりしないだろう。
『俺の名前はナツキ・スバル! ロズワール邸の下男にして、こちらにおわす王候補――エミリア様の一の騎士!』
あの瞬間、王城の大広間にいた全員を敵に回した大法螺吹き。
言い切った当人さえも、浮ついた感情と勢い任せの言行を隠し切れずにいた発言。
――それに、ただ一人、感銘を受けた男がいたことなど。
🗡️ 馴染む
拾い上げた剣が、掌に馴染む
拾い上げた選定の剣は、何故か泣きたくなるほどに掌に馴染んだ。
まるで、剣に自らが選ばれたのだと錯覚しそうになるほどに。
そんな風に胸を張れる理由など、今の自分のどこにもないというのに。
折られた愛剣と比べれば、わずかに身幅が厚く、先端も重い。
しかし、それを踏まえて剣撃を放てば、多少の差異はすぐに修正ができる。
手に馴染んだ武器ばかりが扱える戦況とは限らない。
あらゆる事態を想定し、剣を選ばず戦えるように修練を積んできた自負があった。
😪 欠伸まじり
刺突が、髪を梳いただけで終わる
「つまンねえな、オメエ」
自負を乗せた鋭い刺突が、欠伸まじりの男の眉間に向けて放たれる。
だが、男はそれを首を傾ける動作で躱し、刃で頭髪の先端を軽く梳く。
毛先を整えたとばかりに赤毛を散らし、真後ろへと跳躍した。
👞 足運び
最初に叩き込まれたのは、足運びだった
剣技を評するのであれば、重要になるのは剣捌きだけではない。
足運びと足捌き――最適な位置に、最速で辿り着くための、肉体の全て。
故に、剣技の修練を始めた頃は、何より最初に足運びを叩き込まれたものだ。
良い師に恵まれたと、そう思っている。
師の剣術は今の自分と比べればいくらか見劣りしたが、年齢的にも仕方のない領分だ。
ただ、自身の実力以上に、他者にものを教えるのがうまい人だったのは間違いない。
技術がどこで生まれ、どういった形で継承されていったのか、話すのが好きな人だった。
自然と、自分もまたそれを聞くのを楽しみ、実践できることを誉れに思った。
🪵 逸らされる
棒切れが、刃の力を逃がす
跳躍へ追いつき、着地地点へ目掛けて剣撃を叩き込む。
上下左右、三方向は攪乱を入れて、本命は真下からの斬り上げだ。
「お手本通りか、オメエ」
射線に割り込む棒切れが剣の刃に触れると、信じ難いほどあっさりと力が逸らされる。
抵抗しようとするも、剣の一振りは秒にも満たない刹那の攻防。
そこに針へ糸を通すような力加減を加える男の技量が、度を越しているのだ。
🕳️ 放たれない
牽制の魔法は、もう出ない
生じる隙を踏ませまいと身を翻し、意識に命じて風の刃を――。
否、その選択肢は、今はない。
牽制のための魔法は放たれない。これは、ただ隙を作っただけだ。
🦶 前蹴り
内臓の隙間に、突き込まれる
突き出される前蹴りが、横腹へと真っ直ぐに突き刺さった。
素足の爪先が抉るように内臓の隙間に突き込まれる。
体が折れた瞬間、突き刺さったままの足が捻られ、臓器が一斉に悲鳴を上げた。
吹き飛ぶ。瞬間、自ら衝撃の方向へ飛んで、慣性に振り回されることを防いだ。
呼気が荒い。深呼吸では回復に時間がかかる。
無理やりに肺を絞り、体内に残っている酸素を全て吐き出した。
吐く、吐き切った。これでまだ、戦える。戦えるはずだ。
⚡ 瞬き
十メートルが、一瞬で消える
十メートルほど離れた位置に、赤毛の男が笑みを浮かべて立っている。
再び、あそこへ飛びつく。追い縋り、剣撃を叩きつけ――そこからが、本当の戦いに。
「気取ってンな。戦いに嘘も本当もあるかよ、オメエ。絵本でも読ンでンのか?」
正しく、瞬きの直後だ。男は十メートルを一瞬で詰めていた。
とっさに剣を振り上げ、不用意に大きな動作があったところへ。
弧を描く二条の棒撃に、側頭部と胸を打ち据えられた。
🎼 一閃だけ
三方一斉攻撃が、剣だけになる
瞬時の正確な判断力は損なわれる。故に、体が最も馴染んだ一撃を選択した。
炎と水の同時詠唱、そこに剣撃を加えた三方一斉攻撃――不発。
炎と氷の援護はなく、放たれるのは幾度も重ねた修練の末の、芸術的な一閃だけ。
あるいは相手が只人であれば、それだけでも十分に仕留めるには足りたことだろう。
「ぺい」
騎士剣技の最高峰が、手慰みに振るわれた棒切れに軽々と弾かれる。
🗓️ 三ヶ月
その男は、剣を持って三ヶ月だという
「情けねえなあ、オメエ。剣持ってどンだけだよ、オメエ。オレは剣持って三ヶ月しか経ってねえぞ、オメエ。オレは光斬れっけど、オメエは何が斬れンだよ」
「今、ここで、貴方を――」
「馬鹿言えよ、オメエ。できるかよ、オメエに。できねえよ、オメエにゃ。届くまで振れねえ。届くまで振ってねえ。できるまで振れねえ。できるまで振ってねえ。やることやってねえのに、やりてえことだけ言ってンじゃねえよ、オメエ」
反論の代わりに一度、強く強く剣撃を叩き込んだ。
その剣撃への返答とばかりに、十を超える打撃が降り注ぎ、叩き込まれた。
🪪 存在証明
残ったものは、これだけだ
「不足してンだよ、オメエ。足りねえンだよ、オメエ。オメエのくるとこじゃねえンだよ。畑違いなンだよ。役者が違えンだよ。お呼びじゃねえンだよ」
強く、なければいけない。剣で、それを証明しなければならない。
名前を、家を、家族を、主君を、戦友を、友を、魂で結ばれた精霊を、失って。
残ったものは、これだけだ。残ったものは、自分だけだ。
自分が自分として積み上げてきて、形のない、これだけが残ったものなのだ。
これだけが、自分の存在証明なのだから。
🏔️ 剣の頂
かつて、頂を目指したことがあった
「気持ち悪ぃンだよ、オメエ。綺麗なお面貼り付けてンのか、オメエ。他人の猿真似ばっかで満足か、オメエ。剣も、オメエも、つまンねえよ」
剣の頂を、目指したことがあった。
その場所ならば目指せるのではないかと、思ったことがあった。
すぐに、それは高望みだったと手放した。
赤い髪の少年が、剣を手にした少年が、大いなるものを背負っていると。
――その目で、はたと気付いたときに。
「誰もオメエなンざ見てねえよ。期待しちゃいねえよ。オレが遊ンでやってると思って甘えてくンな。殴っても蹴っても楽しかねえよ、オメエじゃよぉ」
憧れがあった。輝く物語が溢れていた。
それらに並び立とうとするには、今の自分では足りなすぎると思った。
だから懸命になって、足掻いて、いずれあのときに手放した夢にもと、思って。
💢 サボってンじゃねえ
憧れに、吐き捨てられる
眼帯に塞がれていない青い瞳が、ざんばらに伸ばされた炎の色をした髪が。
かつて夢を手放す切っ掛けになった少年と、その後に抱いた憧れの一つと重なる。
いつか、届きたいと願って、努力を欠かさずに、過ごしてきたつもりだった。
「足りねえよ、オメエ。全然、足りねえ。――人生、サボってンじゃねえよ」
届きたいと願った憧れに吐き捨てられ、棒切れ一つで叩きのめされる。
剣すら振るってもらえずに、振るった剣を届かせることも叶わずに。
重ねてきた努力など無意味だったと、積み上げた血と汗は無為だったと。
じわりと、何かが込み上げる。
それを、それ以上に湧き上がるものが掻き消した。
「かっ! 堪えンのかよ。ますますつまンねえな、オメエ」
🎯 転がされる
白い世界を、延々と転がされる
舌打ちと共に、光が迸り、四肢が穿たれる。
糸の切れた人形のように崩れ落ちる。それを、しかし暴力が許さない。
胴を打たれる。息が詰まる。髪を掴まれ、左右へ振り回された。
そのまま床へ叩きつけられ、転がった拍子に顔面を蹴り飛ばされる。
円盤のようにぐるぐると回って床を滑り、果てない白い世界を転がされていく。
床を叩いた。体を跳ね上げ、蹴り飛ばされた方向を見る。
その顔に、飛び込んできた男の膝が直撃した。
激突の瞬間、こちらから膝に額を合わせ、額を割られながらも男を弾き飛ばす。
間隙が生まれた。体勢を立て直せる――はずなのに、体が動かない。
❓ 誤りだったのか
手にしているのは、本当に剣か
剣、剣は、どこにいったのか。ゆっくりと、自分の右手に力を込める。
そこに、確かな剣の柄の感触があった。安堵する。
手放せない。これだけは。これさえも手放せば、何を手放したことになるのか。
――あるいは、今、自分が手にしているのは『剣』の形をした別のものなのか。
在り方に、過ちはないと。これこそが自分の道だと、信じて歩いてきた。
それが揺らぐことなど、生涯ありえぬと、思ってきた。
――それとも、誤りだったのか?
――強く在り、あなたを支えると、主君に誓った。
――強さを覚えていると、ただ一つ残った友に言われた。
何もかもなくした世界で、その『強さ』だけが、この身を支える唯一なのに。
その『強さ』だけが、この、脆く弱々しい自分の、消えない『確か』だったのに。
💫 手を滑る
剣が、手を離れる
「――迷いが剣に出たぜ、オメエ」
おそらくは一秒にも満たぬ刹那のこと。
だが『剣聖』にとって、その刹那は敵を無限に屠る機会を得たも同然のことだ。
甲高い音が、響いた。目を見開けば、そこには床を転がっていく剣が映る。
この手を滑り落ちて、ついには剣さえ失って。
名も、誇りも、剣もなくして、ここに立つのは、ならば何なのか。
⚔️ 構える
――初めて、男が構えた
「天剣に至る資格なし。――オメエにゃ、子分の立場もやれねえよ」
渇いた声が冷たく告げて、『剣聖』が棒切れを順手に握り、腰を落とした。
――初めて、『剣聖』が構えた瞬間だ。
直後、棒切れが唸りを上げ、剣撃――それは、紛れもなく剣撃だった。
絶対的な剣撃が放たれ、衝撃波に揉まれながら、吹き飛ばされる。
拳でも、蹴りでも、これまでのいずれの暴力とも、異なる一撃。
これは暴力ではない。これが剣の頂、真の『強さ』が放つ剣技。
📛 その名前
誰かが、その名前を叫ぶ
光に呑まれ、意識が飛ぶ。
死を見るのか。死を超克した何かを見るのか。それもわからない。
ただ、吹き飛ばされる瞬間、ほんのわずかに声がした。
「ユリウス――!!」
荒げた声は、どこか悲壮感に満ちていて。
必死になって、長い階段を駆け上がって、決定的な瞬間に出くわしたような。
そんな声音が叫んでいたから、場違いに笑みが生まれた。
『最優』の騎士。ルグニカ王国、近衛騎士団。ユークリウス家の嫡男にして、次期当主。王選候補者、アナスタシア・ホーシンの一の騎士。
――ユリウス・ユークリウス。
「は」
今の自分に、その名前で呼ばれる資格があるのだろうか。
第六章28『ユリウス・ユークリウス』終了。
レイド
ユリウス