第六章27
『エレクトラの壁』
一人ずつ、あの男を越えなければならない。そして緑部屋のベッドが、一つ空いている。
🏡 平凡な村娘
――ひとりの、平凡な女がいた
――女、一人の女がいた。
女はどこにでもいる、生まれも育ちも平凡な村娘だった。
父母に愛され、兄弟に愛され、女もまた家族を愛する、極々普通の女であった。
家の決めた許婚がいて、凡百の村娘と同様に寒村の片隅で定まった生涯を終える。
それが女にとっての人生、疑う余地もない舗装された在り方だった。
そんな女の平凡は、村を訪れた下衆な権力者によって打ち砕かれる。
権力者の求めに、女は逆らえない。運命の不条理に、ただ屈する他にない。
だが、女は愛されていた。家族に、許婚に、村々の人々に。
🔥 戦火
炎は、止まらない
権力者の横暴に耐えかね、人々の怒りは燃え上がり、それはやがて戦火を生む。
炎は延焼し、村々は軍となり、ついには権力者は館ごと焼き尽くされる。
たったの一晩で女の立場は大きく変わる。
ただの平凡な村娘から、挙兵した一団の首魁、その許婚の立場へと。
戦火は瞬く間に燃え広がり、やがて小国を、周辺国を、大国を焼き尽くす。
その発端とされた女の存在は知れ渡り、人々は彼女を天上の美姫と噂する。
幻想に幻想が重なり、膨れ上がる関心と期待に、女の細い体は潰れそうになる。
そのことに誰も気付かない。家族も、許婚も、人々も、誰も女を見ていない。
💗 女
「こんな、の……おかしい。ま、間違って……る……」
自分はただの村娘、天上の美姫でも傾国の艶女でもなく、一介の村娘。
どこにそんな価値がある。
💔 失くしただけ
与えたはずが、ない
滅んだ大国、奪った城、その頂で許婚は女に跪く。そして、告げた。
「――君を愛している。この勝利も、人々の笑顔も、全ては君がくれたものだ」
燃え上がる首都、積み上がる死体、狂喜に打ち震える人々。
共に過ごした村人たちも、彼女を愛した家族も、女の幸福を願った許婚も。
もう、誰も、どこにもいない。
――女は、許婚に返事をせずに去った。家族も、村人も、何もかも捨てて。
与えたはずがない。欲したこともない。女はただ、全てを失くしただけだ。
それでも、夢は、幻想は、理想は女を逃がさない。
行く先々で、誰もが女を愛し、女に尽くし、女を欲し、全てが滅んだ。
誰もが女を愛する。呪いのように。その内側の、本当の愛も知らないで。
『色欲の魔女』は失くした愛を求めて、滅びを迎える愛に愛され続ける。
🧱 一人ずつ
全員が、越えなければならない
「――誰か一人でもクリアすればいいって条件じゃねぇのか!?」
「あぁン? 誰がンなこと言ったよ、勝手抜かすな、オメエ。なンで一人がいけたら残りも全部いけることになンだよ。常識で考えろ、常識で! 頭の中身も稚魚か、オメエ」
「せ、世界で一番、常識なんて言われたくない奴に正論を……!」
エミリアは現状、このメンバーの中では文句なしに一番強い。
そのエミリアに、男が最も油断している初戦での突破を許してしまった。
つまり、一番弱体化した状態の敵に、一番強い先鋒をぶつけてしまった形だ。
以降は隙のなくなる男相手に、戦闘力に劣る次鋒たちをぶつけていくことになる。
🗣️ 私たち
ベアトリスが、言葉尻を突く
「――待った、なのよ。お前の言い分には決定的な誤りがあるかしら」
「なンだ、オメエ。十年早えぞ、オメエ。せめて五年はいンだろ、オメエ。もっとちゃンと手足と背丈伸ばして、胸と尻ズドンってなってからこい、オメエ」
「決まっているのよ。――エミリアはお前に、一歩でも動いたら『私たち』の勝ちと言ったかしら。つまり、エミリアの勝利はベティーたち全員の勝利なのよ!」
まさか、あの図太い交渉にはそこまでの意図があったのか。
そのスバルの視線の先で、エミリアは口に手を当てて「あ」と言っていた。
違った。素だった。E・M・Tだ。
「そう、そういえば、私言ってた! 私たちって言ったわ! どう?」
「そりゃ言い方の問題だろうよ、オメエ。ならねえよ」
「そう……わかったわ。スバル、ベアトリス、ごめんね。ダメだって……」
(ノ`Д゚)ノ
「引き下がるのが早すぎるかしら!!」
⚙️ 無理くり起きた
本来の『試験』とは、ずれている
「まぁ、そのジャリの言い分もわからなくはねえよ。最初はどうも、何人掛かりでもいいンでオレを抜いてみろって話だったみてえだしよ。――言いなりになンのはつまンねえから、無理くり起きてやったけどな」
「無理くり起きたって……最初のあれは、システム破りってことか!」
「知らねえよ、オメエ。オレにわかる言葉使えよ、オメエ」
本来の『試験』と現状の『試験』との間には、致命的な齟齬がある。
「本当は、全員で協力して条件を満たせばいいだけの『試験』が、お前が『起きた』のが理由で、一人ずつ条件を満たさなきゃいけなくなった?」
「かっ! なンだ、わかンじゃねえか、オメエ。けどな、どっちが楽だったかはわかンねえぞ。総掛かりでオレを殺すのと、オレに胸揉ませて一発殴ンのとどっちが楽だったかはわかりゃしね……っと!」
🪢 鞭
静かに、切れている
「――迂闊なこと言ってんじゃねぇよ、セクハラ野郎。俺は静かに切れてるぞ」
腰の裏から引き抜いた鞭を、肘から先だけの動きで速度重視に叩きつける。
が、男は音速に迫るはずの鞭撃を箸で難なく受け止め、摘まんで揺すった。
「かっ! 棒振りする雰囲気じゃねえと思ったが、まさか鞭かよ、オメエ。どンな趣味だ、オメエ。鞭で引っ叩くのは敵と、オメエの女だけにしとけや」
「お前は敵で合ってんだろうが! それに、エミリアとはもっとちゃんと順序踏んでくつもりだし、踏んでった先に鞭使うような選択肢もねぇよ!」
「そうよ、スバル! そんなに怒っちゃダメ! 私はただ胸に触られただけだし、おかしなことはされてないから」
「それがおかしなことなんだよ、エミリアたん!」
「普通は怒るとこなンだぜ、激マブ」
🚪 引き返す
メィリィが、引き返すべきだと言う
「――ちょっと、いいかしらあ?」
「……こんなこと言いたくないけどお、引き返すべきだと思うわあ」
奥に佇む男を映した黄緑の瞳に、確かな怯えを宿しながら。
「なんで、お兄さんがその人と普通に話せるのかがわからないわあ。……騎士のお兄さんも、襟巻きのお姉さんもやられて、裸のお姉さんだって」
「シャウラだけは別の理由で倒れてんだが……確かに、妙だ」
この場に残ってなお挑戦を続行しようとしたスバルの方が、冷静になりきれていない。
完全に、『棒振り』の剣気に中てられている。
棒切れ二本でユリウスを撃破し、エミリアと渡り合い、なおも余力を残した態度。
――その実力、誇張なくラインハルト級だ。
🛑 やめだ
男が、勝手にやめる
「どう、なんだ?」
「――やめだ」
「え?」
「やーめーだ! やめだやめだやめだやめだやめやめやめ! 萎えた!」
抜いた左袖に再び腕を通し、着流しを最初と同じ状態へ羽織り直す。
蹴り飛ばされた選定の剣を踏みつけて跳ね上げ、軽々と受け取る。
先端を勢いよく白い床に突き刺し、『試験』が始まる前と同じ状態へ戻した。
「店仕舞いだ。帰れ、オメエら。オレは飽きた。やってやらン」
「――。ま、待て待て待て! 自由すぎるだろ、なんだそりゃ!? お前の気分で、『試験』のあれこれを勝手に決めるのかよ!?」
「るせえな、オメエ。元々、ここの裁量はオレに任されてンだぞ、オメエ。そのオレがやらねえつったらやらねえンだよ」
🖤 凶獣の微笑
その笑みだけで、膝が落ちる
「――やる気がねえときのオレは遊ばねえぞ。オメエ、やれンのか?」
箸さえも懐に仕舞い込み、一切の武装を捨てた男は口の端を歪めている。
それは、笑みに違いなかったが、これまでのそれとは質が異なる。
どす黒く血生臭い、陰惨な殺意を纏った凶獣の微笑だった。
「……ぁ」
彼女は自分の白い喉に手を当てて、宝石のような瞳を見開いて驚愕している。
膝が落ちて、床にへたり込むエミリア。
自身が立てなくなっていることにも、呼吸を忘れていたことにも、今気付いた。
心臓の鼓動すら忘れかけ、殺されかけたと言ってもいい。
周囲に、思い出させてくれる誰かがいなければ、今頃は眼力だけで死んでいた。
「せいぜい、頭ひねって勝ち筋探せよ、オメエ。激マブと同じ手は通用しねえぞ。寝てるエロ女ぐれえでもねえ限りな。失せろよ、オレは寝る」
🌸 辛辣
ラムに、報告する
「――なるほど。それが二つ目の『試験』からすごすご逃げ帰った理由なわけね」
「……辛辣っすね、姉様」
「やめなさい、その喋り方。そこで寝てる娘のお師匠様説が真実味を帯びるわよ」
「それはヤバいな。気を付ける」
「聞くだに馬鹿げた試験官がいたみたいだけど……エミリア様だけは、そのお眼鏡に適ったのでしょう? 一人だけでも、書庫を見てくることはできなかったの?」
「あ、そういえば思いつかなかった。そっか、私だけなら一層に上がれたのかも……できるかどうか、『棒振り』さんに聞いてみる……?」
「危ない」
「危ないわね」
「危ないかしら」
💔 折れた剣
ユリウスのことが、気掛かりだ
「あいつ、凹みすぎなきゃいいけどな……」
「ユリウスのこと、心配?」
「どうだろ。心配は、まぁ、心配なんだろうけど……そんな簡単でもないかな」
剣技は届かず、児戯のように弄ばれ、挙句に騎士剣さえも折られて。
「代わりの剣は竜車に用意があったけど、そういう問題じゃねぇだろうしさ」
「剣は打ち直せばいい。ベティーには、その拘りはわからないかしら」
「ベア子だって、俺が作ってやったハンカチとかミトンとかエプロンとか大事にしてくれてんだろ? それが破られたみたいな、それの上級版みたいな話だよ」
「……分からず屋なこと言って、悪かったのよ」
🚰 オド以外
アナスタシアの体には、不備がある
「アナスタシア……エキドナの、あの必死さはいったい……」
エキドナはここまで、極力アナスタシアの肉体に配慮した行動をすると断言してきた。
それがここへきて、突然に、あんな行動に出たことにはどうした意味が。
「あの娘の衰弱は、ちょっとした魔法の使いすぎとは深刻さが違っているかしら」
「――そりゃ、どういう?」
「ここまで付き合ってきて、わかったかしら。あの娘、オド以外に使える魔力がないのよ」
「オド以外に、使えない?」
「スバルと同じで、肉体のゲートに不備があるかしら。弁が壊れていて、外からマナを取り入れる機能が死んでるのよ。だから、命を削らなきゃ魔法が使えないかしら」
切り札は身を削る、アナスタシアがそう言っていたことが思い出される。
それは文字通り、本当に文字通りの意味だったのだと。
「なんであいつはそうまでして、ユリウスを助けようとしたんだ?」
🌍 各国最強
地上最強と並ぶ者は、四人しかいない
「――アナスタシア様と、騎士ユリウスのことも心配だけど、もっと突き詰めるべき問題が別にあるわね」
「薄情なようだけど、ラムにとっては『試験』がどうなるのかの方が大事だもの。――それが越えられなければ、レムを取り戻す手段に届かない」
そうは見えないラムの硬い表情、その裏側に微かな焦りがあるのを感じる。
「着流しに隻眼、赤い髪に青い瞳……いやに、自己主張の激しい背格好だけど」
「はっきり言って化け物みたいに強い。ラインハルト級かもしれない」
「悪夢ね」
「ヴォラキア帝国一将『青き雷光』セシルス・セグムント、グステコ聖王国の『狂皇子』、それからカララギ都市国家の『礼賛者』ハリベル。でも、どれも特徴が違うわね」
「赤毛の長髪はいない?」
「聖王国の『狂皇子』だけは特徴が知られてないからわからないけど」
「皇子、皇子か……そんな雰囲気では、なかったかな?」
😪 目覚め
シャウラが、目を覚ます
「裸のお姉さん、そろそろ起きるみたいよお?」
「お師様ぁ……独りにしないで……もう、寂しいのは、嫌ッス……」
「出鼻に切なくなるようなこと言うのやめろ! 本当は起きてんだろ、お前!」
「ちぇーッス。しおらしいこと言ったら、お師様ほだされてくれるかと思ったのにいけずッス。でもでも、そんなところもあーしは愛してるッス」
「心配して損した……」
「あーしが気絶なんて、そんなみっともないことあるわけないじゃないッスか。何百年ぶりかにお師様と再会しても、気絶まではしなかったッスよ?」
「ううん、疑いたくなる気持ちはわかるけど、ホントに気絶してたのよ。スバルと、メィリィがすごーく心配してたの。信じてあげて」
「ええ! お師様があーしのことを!? でへへへ、信じるッス」
「わたしがおまけみたいなの、なんだかすごおく心外だわあ」
🕯️ 記憶を辿る
ラムが、記憶を辿らせる
「でも、気絶って何があったんスか? あーしが倒れるなんて尋常じゃないッス」
「事実だそうよ。ゆっくりと思い返しなさい。……目の前に、長い長い階段があるわ」
「長い長い階段……」
「出迎えるのは白い部屋、床に突き立つ鋼の剣。それを手にした瞬間、その場にいた全員の心に響き渡る奇妙な声――」
「どきどき……」
「そのとき、部屋の奥に現れる人影。それは、赤い長髪に青い瞳をし、異国の衣装を纏った風体の男……」
(ノ゚Д゚)ノ
「ひやあああああ!!」
🩸 レイド
シャウラが、名前を叫ぶ
「痛い痛い痛い痛い! お、思い出したのか! 思い出したんだな!?」
「な、な、な、なんであいつがここにいるッスか! お師様たちが死んだって言ってくれてたのに! 生きてたッス! やっぱり殺しても死なない奴だったッス!」
「はあ!? お前、何を……」
「『棒振り』! 『棒振り』レイドッス! あの鬼畜! 悪魔!」
⚔️ 初代『剣聖』
その名は、伝説に残っている
――レイド・アストレア。
それは、伝説に名を残した剣士の名前だ。
魔獣を斬り、剣豪を斬り、龍を斬り、ついには魔女を斬ったとされる大剣士。
『剣聖』の名を最初に賜った人物であり、世界を救った三英傑の一人でもある。
アストレア家の栄光の始まりにして、今なお剣に生きるものたちの至上の憧れ。
信じ難いことではあった。その名は、四百年も前に失われたはずの命の名だ。
だが、ここには四百年前を知る生き証人がいる。
だが、ここは四百年前を生きた『賢者』が作り上げた塔。
『最強の番人』として初代『剣聖』を置き、彼を超えてみせろなどと。
――いかにも、言い出しそうなものではないか。
🛏️ 空のベッド
ベッドが、一つ空いている
相手がレイド・アストレアであると知れたなら、その対策を練らなければならない。
何せ、相手は『剣聖』――ラインハルトと同じ家名を持つものの、その始祖だ。
そう思えば、あの敗戦のことだってうまく消化できるはずで――。
「――あの、馬鹿野郎」
四つのベッドにはそれぞれ、レムと、アナスタシアと、一番奥にパトラッシュ。
アナスタシアと、パトラッシュの間にある一つ、そこが空になっていた。
ただ、その蔦で編まれたベッドの上に、折れた騎士剣だけが置かれていて。
👞 靴音
階段を、誰かが上ってくる
――階段を叩く靴音と、肌を刺す剣気に男はゆっくりと瞼を開けた。
眠りを邪魔されたことへの怒りはない。そも、人生とは常在戦場。
剣気に覚えがあった。靴音、足捌きにも同じく覚えがある。直近のことだ。
ただ、それは相手も同じはずだったから、そのことは奇妙に思った。
もう少し、賢い相手かと思ったのだが――。
「今度は、遊びじゃ済まねえぞ、オメエ」
相手は一度瞑目し、すぐにあらゆる感情を投げ捨てた。
それから、躊躇いなく手を伸ばし――床に突き立つ、剣を抜き放って、構える。
「ルグニカ王国、近衛騎士団所属――ユリウス・ユークリウス」
「そのつまンねえ肩書き名乗ってる間は、オレの遊び相手にもなンねえよ」
第六章27『エレクトラの壁』終了。
スバル
レイド
エミリア