第六章26
『棒振り男』
赤毛の男は、二本の箸だけで剣を止める。動かせと言われた条件は、思わぬ形で満たされる。
🍖 飢餓
――ひとりの、飢えた女がいた
――女、一人の女がいた。
女は気が触れていた。女は狂気の淵にいた。女は、飢餓の極地に立っていた。
孤城で唸り声を上げ、空の玉座に齧りついて、歯を欠き、口を裂き、飢えていた。
生まれ落ちた日は人であった女は、このときすでに人ではない。
全ての始まりは数年前、この土地を治める男が不治の病にかかったこと。
日に日に衰え、迫る死に怯えた男は、延命のためにあらゆる手段に手を伸ばす。
やがてそれは禁忌の術法に及び、長らえるための悪逆無道に多くの命が集められる。
女はただの道具だった。病魔に蝕まれ、死を待つだけの男の命の苗床だった。
費やされるだけの無為の命、そのはずが、女は生き残った。
滅びぬ肉体、湧き上がる力、時というものに置き去りにされる命の灯火。
男は成果に歓喜し、犠牲者たちの追悼も後回しに、女の拘束を強引にほどいた。
🐕 幻の獣
飢えの果てに、幻を見る
――気付いたとき、女は一人、無人の孤城で飢餓に悶え苦しんでいた。
城内の食物は喰い尽くし、胃の中身を吐き出して、再び咀嚼するのを繰り返した。
最後には飢えのあまり、石壁を齧り、玉座を噛み砕き、絨毯を食い千切る始末。
このままでは、飢えて死ぬ。死ねない体で、飢えて死ぬ。
🍖 女
「ぐるぐる、ぐるる。ぐるぐる、ぐるる……」
忘我をもたらす極限の飢餓に、女はついに幻を見る。
孤城の中、自由気ままに駆け回るのは獣毛を纏った犬の群れだ。
幻覚でも構わない。物理的に満たされぬなら、心だけでも満たされたい。
その一心で女は這いずり、獣に喰らいつく。喰らいつかれる。喰い尽くす。
幻に、見間違いに、錯覚に、願望に、味がある。形がある。舌の上に転がる。
気付けば城内は、おぞましい獣たちの巣窟と化していた。
🚪 城を出る
獣たちが、外へ散っていく
歓喜した。喰らい、喰らわれる日々に埋没し、喰らっては満たし、満たしては吐く。
虚空より産み落とされる――否、産み直される、おぞましい気配の獣たち。
いつしか女の拘束は、獣たちとの喰らい合いに耐えかね、外れ、自由になる。
自由を得て、女は這いずり、城を出た。
獣たちも、女に続いて城を出る。地に、あちこちに、散らばっていく。
いつか、この飢えと渇きが満たされる日が訪れんことを。
――『暴食の魔女』は魔獣の群れを産み落とし、尽きぬ飢餓に飢え続ける。
🗡️ 投げ渡す
ユリウスが、剣を投げ渡す
「初手から、全力でいかせてもらおう――!」
縦回転する剣が放物線を描き、それは男の足下に狙い違わず突き刺さる。
男が手を伸ばせば容易く抜ける、それを狙ったように。
🩸 棒振り
「なンだ、オメエ。オレに剣、投げ渡すなンざ何のつもりだ。死にてえのか」
「生憎、無手の相手に斬りかかるような無粋、騎士として恥ずべき行為だ!」
🩸 棒振り
「かっ! 笑わせやがる。――素手じゃねえよ、よく見ろ、オメエ」
男は無造作に振り上げた足で、乱暴に剣を蹴りつけた。
🥢 箸
刺突が、二本の棒に止められる
🩸 棒振り
「可愛く吠えンなよ、間抜け。綺麗な面してンだ。泣かせて興奮したら困ンだろ?」
「な……っ」
一男の胴を穿たんとした刺突が、雷鳴のような音を立てて止まる。
彼の左手は恐るべき正確さで、ユリウスの刺突を摘まんでいた。
「――木の、枝?」
🩸 棒振り
「違えよ、よく見ろ、目が悪ぃのか、オメエ。箸だ、箸。ツマミ喰うのにいンだろうが、箸。だから、持ち歩いてンだよ」
「笑わせンな、オメエ。一番いい角度に、一番いい速さで、一番いい感じに、一番うまく振り回せば――箸だろうと、斬れねえもンなんかねえよ」
🩸 棒振り
「言っとくが、箸は妙なもンじゃできてねえぞ。下手な素材じゃお肌に悪ぃからな。混じりっ気なしに、どっかその辺にあった木だ」
🦶 蹴り
蹴り飛ばされ、宙で嬲られる
🩸 棒振り
「力むな、力むな……笑えよ、オメエ。笑った方が美人だぜ。男じゃ意味ねえが」
ふいに剣の拘束が緩み、その刹那の隙に身を回し、男の素足が跳ね上がる。
ユリウスの細い腰の真上を蹴りつけ、弾き飛ばした。
跳躍する『棒振り』の長身が、弾丸のような速度でユリウスへ追い縋る。
その右手と左手にそれぞれ箸を一本ずつ構え、嵐のように叩きつける。
振るわれる腕が、あまりの速度に掻き消えて見える。
ただでさえ宙で不自由を強いられるユリウスには、回避手段がない。
☀️ 熱線
アナスタシアが、撃つ
「ジワルド――!!」
白光はそのシンプルな在り方と同様に、恐ろしく端的に世界を削り取る。
「――オレの剣は光も斬るぜ、オメエ」
嘯く声が聞こえるより早く、放たれる箸撃が熱線を正面から切り裂いた。
ありえない幻影に誰もが目を剥く。ただ、男だけがそれを当然と嘲笑う。
「――ッ! ジワルドぉぉぉ――!!」
両手の指、合わせて十本の先端から、それぞれ熱線を同時に放射。
十条の死線が一斉に『棒振り』目掛け踊りかかった。
――それを、『棒振り』は驚くべき方法で回避する。
光を箸で切り払い、次の瞬間には何もないはずの宙を蹴りつけたのだ。
🩸 鼻血
アナスタシアが、倒れる
🩸 棒振り
「かかかかかっ! よく狙え、オメエ。蠅が止まるぜ、オメエ。それじゃ、色男も取り戻せねえぞ、オメエ。かかかかかっ!」
「ジワルド! ジワルド! ジワルドぉ――!」
圧倒的な技量と戦闘力、それと同時に浮き彫りになる技術不足。
魔法の威力自体が高くとも、当たらなければ意味がない。
楽しげに躱していた『棒振り』が、唐突に途切れる追撃に眉を上げた。
その視線の先で、アナスタシアの華奢な体が崩れるように倒れる。
鼻腔から鼻血が流れるのは、肉体に多大な負荷をかけた証拠だ。
以前、彼女は自身で言っていた。切り札は、身を削るために多用できないと。
🦵 逃れる
ユリウスが、立ち上がる
「アナスタシア様――!」
胸元のボタンを外し、マントを外して背の摩擦に変化を生む。
男の絶妙な力加減から逃れ、地に寝そべった姿勢から側頭部へ蹴りを放つ。
🩸 棒振り
「今のはオメエ、オレ好みじゃねえか。そそるぜ、オメエ」
「戯言に付き合う暇はない! そこをどけ――!」
流麗かつ優美な剣撃――それは騎士として修められる剣技の最高峰。
それを手に入れるのに、どれだけの月日が、修練があったのか、わからないほどに。
🩸 棒振り
「遊びか、オメエ。遊ンでンのか、オメエ。手ぇ抜いてンじゃねえぞ、オメエ」
🩸 棒振り
「なンだ、これ。笑わせンなよ、オメエ。本気出せや、オメエ。本気でやっててこれなら……とンだ、期待外れだぜ、オメエ」
💔 折れる
騎士剣が、真っ二つになる
「こンなじゃねえだろ、オメエ。なに、一人で戦ってンだ、オメエ。これはオメエの戦い方じゃねえな。――だから、つまンねえな、オメエ」
「私は……」
🩸 棒振り
「女のとこいきたきゃいかせてやンよ。やわっけぇ膝でも借りて、泣いて甘えろ。出来損ないの不細工剣士が」
ユリウスの剣閃は、傍観する誰の目にも明らかなほどに、迷いのある剣撃で。
箸が、その剣閃に横合いから割り込んだ。
翻る棒切れが易々と、鋼の騎士剣を半ばで断つ。
吹き飛ぶ愛剣の先端を、ユリウスの黄色の瞳が呆然と見送る。
きっと、この瞬間に折れたのは、ユリウスにとって剣だけの話ではない。
👊 寝ろ
拳骨が、横っ面に入る
🩸 棒振り
「寝ろ」
吐き捨てる一言と共に、恐るべき拳骨がユリウスの横っ面に突き刺さった。
それは一切の洗練さと無縁の、この世で最も原始的な暴力。
重々しい威力が一瞬で彼の意識を刈り取り、糸が切れた人形のように吹き飛ぶ。
転がり、猛然と滑って――アナスタシアの、すぐ傍らに倒れた。
意識のない主従が並ぶ。それが、野獣のような男の場違いすぎる気遣いのように。
🩸 棒振り
「さって、次は……」
❄️ 氷雪結界
エミリアが、結界を張る
「――アイスブランドアーツ、アイシクルライン」
白い空間に光が舞った。
青白く煌めく光の乱舞、かろうじて目に捉えることが可能な氷の粒子。
「一つだけ、聞いておきたいんだけど」
🩸 棒振り
「あぁン? 言ってみろよ、激マブ」
「私はエミリア、ただのエミリアです。――あなたを、一歩でも動かせばいいんじゃなかったの? すごーく、走り回ってたけど」
🩸 棒振り
「真に受けンなよ、ノリで言っただけだぜ、オメエ。たまにあンだろ、特に意味もねえけどカッコいいこと言っちまうときが。それだ、オメエ」
🙏 用意してください
エミリアが、図々しい申し出をする
「ごめん、ちょっと何言ってるのかわかんない。それに、私はきっと、あなたと戦っても勝てないと思うの」
「え、エミリア……?」
「あなたは、すごーく強そう。それは、見ててわかりました。だけど、私たちは『試験』を乗り越えなきゃいけないの。だから、勝てる方法を用意してください」
「一歩でも、あなたを動かせたら私たちの勝ち。それで勝負しましょう。……ダメ?」
それは何とも、どこまでも、馬鹿馬鹿しいほどに、図々しい申し出で。
🩸 棒振り
「――いいな、嫌いじゃねえぞ、オメエ。オレ相手によくぞそンだけ言った。トリーシャ以来の大馬鹿だぜ、オメエ。気に入った」
「じゃあ、『試験』は合格?」
🩸 棒振り
「そこまで大盤振る舞いはしねえよ、オメエ! けど、いいぜ。いい女の前でカッコつけちまったかンな。――オメエの言う通りにしてやンよ」
🧊 氷の武器
四方八方から、武器が飛ぶ
「アナスタシアとユリウスをお願い。二人とも、治療してあげて」
「ま、待った! さっきの見たろ!? 無策でいっても……」
「大丈夫。向こうは殺す気はないみたいだし……私も、本気でいってみるから」
🩸 棒振り
「激マブな面して、したたかじゃねえか、オメエ」
「やれることを精一杯やるのが、私の騎士様から教わったやり方な、の!」
剣があり、槍があり、斧があり、矛があり、矢があり、無数の武器がある。
「えい、や!!」
死角からも襲いかかる同時攻撃、それは正しく、防ぎようのない全体攻撃だ。
🗻 不動
上半身だけが、踊っている
飛び散る氷、その破片を口に入れ、噛み砕いた男が楽しげに箸を振るう。
破壊された氷の武器は一瞬で淡い光へと還元される。
野卑に乱雑に暴れ回る美しき野人の周囲を光が散る、幻想的な光景。
「――動かない」
🩸 棒振り
「いっぺンカッコつけたら最後までカッコつけさせろや、無粋か、オメエ。死線上で男張れねえで、いったいどこで突っ張ンだ、オメエ」
激しい舞いのように踊り狂っている上半身と違い、その両足は動かない。
どっしりと床の上、山のような不動を保っていた。
🪓 踏み込む
エミリアが、踏み込む
「――うー、やぁ!!」
振り上げる両腕、その掌に生じるのは両手で振るう長大な戦斧だ。
それを、豪快に体を縦回転させ、真上から男へ目掛け叩きつける。
「えい! や! とりゃ! うりゃ! うりゃうりゃ! うやぁ!」
矛の一撃が、双剣の一閃が、長剣の斬撃が、刀の居合が、鞭の音速が。
叩き込まれるありとあらゆる攻撃が、男の前には容易く防がれる。
無論、エミリアの技術が低いわけではない。異常なのは、あの男の方だ。
😏 隙あり
男が、下卑た隙を突く
エミリアの両腕が双剣を掴み、左右から男の首を挟むように斬撃を放った。
男はそれを豪快に、床と平行になるような姿勢でのけ反るように避けた。
攻撃を空振ったエミリアは勢いに負け、腕を広げたまま一歩、下がった。
この戦いの中で、エミリアが初めて見せた、致命的なまでの隙。
男はこれまでで最も獰猛に歯を剥き、鮫の笑みのまま前傾になり。
🩸 棒振り
「隙あり」
🩸 棒振り
「役得、役得。これしきのことで怒ンじゃ……」
🥊 とりゃ
エミリアが、真上から殴る
「とりゃ!」
🩸 棒振り
「ごぁっ――!?」
頭上で両手を組んだエミリア、その手を覆う氷のグローブが打ち落とされる。
一撃に氷が砕けるほどの威力、硬い衝撃音が響き渡った。
🩸 棒振り
(ノ゚Д゚)ノ
「痛ぇぇぇッ! な、何考えてンだ、オメエ!? 普通、あンな真似されたら女は行動が鈍ンだろうが! 一瞬も躊躇わなかったぞ、オメエ!?」
(・_・)
「――? 体に触られただけでしょう? あなた、隙だらけだったもの」
🩸 棒振り
「ざっけンな! どういう育ち方してンだ! 親は何してやがったンだ!」
「……何か、変なこと言った?」
👉 動いてる
一歩どころではない
🩸 棒振り
「おい! この激マブ何とかしろ! 外歩かせンな! 雑魚! オメエ付き人だろうが!」
「お、前に、エミリアのことであれこれ言われる筋合いはねぇよ。それより……」
🩸 棒振り
「あぁン!?」
「一歩どころじゃなく、動いてる」
(ノ*゚▽゚)ノ
「あ! ホントね! やった! 私の勝ち!」
彼女の周りではその感情に呼応し、氷の魔力が次々と花となって咲き乱れる。
エミリアの勝利を自分自身で祝うように花開くのがわかった。
🤝 認める
男は、負けを認める
「お前は、どう出る?」
ここまでのやり取りで、彼に潔さを期待するのが難しいのは自明の理だ。
🩸 棒振り
「あー、仕方ねえ。言ったことは言ったことだ。スケベ心に足すくわれるなンざ笑い話にしかなンねえが、仕方あンめえよ」
「み、認めるのか……!?」
🩸 棒振り
「オメエ、オレを何だと思ってやがンだ。ここで食い下がったら、せっかくカッコつけたオレの株が下がンだろうが、オメエ」
「現時点で、株なんか下がりようがないぐらい最低の負け方してるぞ……」
🩸 棒振り
「るせえよ、雑魚が! 雑魚っつーか、稚魚が! 稚魚が喚くな、オメエ。とにかくその激マブの勝ちだ。通してやるよ。それが条件だ。しゃああンめえ」
🔥 焼ける臭い
――そして、次を求める
🩸 棒振り
「――で、次は稚魚がやンのか? それとも、ジャリ二人のどっちかかよ」
「え?」
着流しの左肩――剥き出しになっていた右肩同様に、左肩を抜いて、向き直る。
――空気が、焼ける臭いがした。
それが、男から迸る桁違いの剣気。
先ほどまでのそれが遊びに思えるほどの、劇的な変化。
🩸 棒振り
「塔にいンのが、全部で七人……抜けたのが、オメエの女がまず一人」
🩸 棒振り
「次は、誰がオレを抜いてくれンだ。――なぁ、オメエよ」
大図書館プレイアデス、第二層『エレクトラ』の試験。
――達成者、エミリア。
――未達成者、スバル、ベアトリス、ユリウス、アナスタシア、メィリィ、ラム。
――『試験』、続行。
第六章26『棒振り男』終了。
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