第六章25
『二層エレクトラの待ち人』
白い部屋に、剣が一本刺さっている。抜いた瞬間、その正面に人影が立った。
🏔️ 野に捨てられる
――ひとりの、捨てられた女がいた
――女、一人の女がいた。
女は虐げられていた。家族に、一族に、愛すべき同族に、軽蔑され疎まれていた。
産み落とされる前、女には期待がかけられていた。それを生まれは裏切った。
残されたのは落胆と失望、与えられたのは侮蔑と嘲弄。それが女の唯一の所持品。
一族には悲願があった。かつての栄光と繁栄の証、神と呼ばれた始祖の再臨。
あらゆる秘術とあらゆる非道、犯した禁忌は数知れず、その結実が女であった。
だが、生まれた女は悲願を裏切り、一族は失意と絶望に女を見限った。
「どこへなりとも生きて死ね。それが貴様の罪業だ」
しかし女には、生きる術はなくとも生きる力はあった。
皮肉にも、それは犯した禁忌と重ねた罪過、一族の悲願が生んだ負の饗宴。
獣を殺し、生き血を啜り、地を這い回り、泥水を舐める。
💎 飼われる
言葉と、感情を教わる
野獣の如く山を荒らす女の噂を聞きつけ、男共がその命を狙い、女は捕えられる。
囚われた女は見目麗しく、男たちは女の命を奪わず、女は飼われることになる。
生きるために足掻く必要をなくし、男たちの欲望に晒され、生きるだけの日々。
いつしか女は寝台で、知らなかったものを男たちから得ることになる。
言葉を、知識を、生き方を、そして感情を。
いつしか待遇は変わり、身を飾るものを贈られ、宝石のように女は扱われる。
その日々の中、女は男たちに奇妙な感慨を抱いていく。
それが感謝や恩義に似た何かであると、そのときの女は気付けない。
女はその感慨を抱いたまま、住処にいた男たちの首を全て折った。
容易く、一息に、苦しませずに、一瞬で、全員を一纏めに、葬った。
😴 安息
そして、眠りに落ちる
住処を抜け出し、野に赴き、何の迷いもなく、女は自分の故郷へ帰りつく。
自分よりはるかに大きな体を持った人々に、女は奇妙な感慨を得る。
それが憎悪と復讐心だと、そのときの女は気付かない。
ただ、泣き喚き、許しを乞う声はなかなか痛快で、女は初めて心から笑った。
「ここで潰えて、無様に死ね。――それが、あんたらの罪業さね」
丁寧に丁寧に、一つたりとも残さず、余さず、時間をかけて、一人ずつ、確実に。
同族の亡骸は打ち捨てて、しかし男たちの亡骸は全て丁寧に埋めてやる。
そうして一人だけになった住処で、女は長い長い息をついた。
それが安息であるのだと、女は初めて幸福を覚える。
――『怠惰の魔女』は、延々と続く惰眠を、飽くなき安寧を貪り続ける。
🪜 大階段
部屋が丸ごと、階段に書き換わっている
六層から四層へ上がるまでの長い螺旋階段と比較して、その大階段は横幅も、一段の高さもかなり大きい。
そもそも、部屋が丸ごと階段部屋へと書き換わっているのだ。
「なんか、ずいぶんと長い間、ここで足踏みしてた気がする……」
「え? 階段、見つけたばっかりだけど、急にどうしたの?」
「――? スバル、なんでベティーのおててをこねてるのかしら」
「ここにいるって実感が欲しくて……おほん、それはもういいんだ。悪い」
🙈 避けていた
この部屋だけ、なぜか避けていた
「この大階段、実は最初からここにあったのに、みんなが揃って見落としてた、なんてことはないよな?」
「さすがに、これだけあからさまな階段を見落としていたとは考えにくい。――ただ、この部屋だけに限定した場合、その見落としも否定できないな」
「スバルが寝てる間のことなんだけど、私たちはこの四層に集まったりしてたの。それで、どの部屋に荷物を置くか、みんなで歩き回ってたんだけど……」
「そのとき、この部屋はなんとなく全員が避けたのよ。無意識のことだったけど、今にして思えば……」
「なんか、認識阻害的な方法で遠ざけられてたんじゃないかって?」
だとすれば、この部屋には最初からこの大階段があったのかもしれない。
🙅 初めて見る
シャウラは、この階段を知らない
「ん? なんスか、お師様? はっ! ひょっとして、あーしが役立てる場面がきたッスか!? お師様のためなら、何でもするッスよ! 連帯保証人にもなるッス!」
「お前、絶対意味わかってなくて言ってるよな! それは親兄弟とか友達に言われてもなるな。一応、確認しとくけど、お前、この階段のことは……」
「苦節、あーしがここで暮らして云百年……初めて見るッスね!」
「メィリィ、遊んでていいぞ。スコーピオンテール引っ張ってやれ」
「別に、お兄さんに言われなくても遊んじゃうけどお」
「痛い痛い痛いッス」
📈 三日で三分の一
進みは、悪くない
「とはいえ、ペースは悪くないよな。三層の『試験』だって、言っちまえば俺は初回クリアしてるわけだし、塔の攻略は三日で三分の一が終わったといえる」
「四百年以上も進展がなかったことを思えば、とんでもない進捗ペースかしら」
「そう言われると、確かにやべぇな。……いや、でも、俺って案外、何百年も動いてない歴史を動かす男だからな。歴史を動かす男ってパワーワード感がすごい」
『白鯨』の討伐協力、『怠惰』撃破、『大兎』の討伐。
墓所の『試練』突破に一部貢献し、大罪司教『強欲』を倒し、人類未踏の塔へ到着。
「過程省いて功績だけ箇条書きすると、俺って馬鹿みたいだな……」
🤝 いたわって
エミリアが、黙って手を握る
「って、あれ? どしたの、エミリアたん。急に俺の手なんて握って」
「……ううん。ただ、スバルはもうちょっと、もう少し、自分のことをちゃんといたわってあげた方がいいと思うの」
「俺ぐらい自分にダダ甘な奴ってそうそういないし、エミリアたんとかベア子が優しくしてくれるから、これ以上は贅沢だよ」
エミリアは何か言いたげに唇を震わせ、しかし言葉が見つからない。
ただ上目遣いにスバルを見つめるだけに留まり、握られた手の力が微かに増した。
「ナツキくんのこれは、もう根っこの部分の問題やと思うよ。一日二日ですーぐ直るもんとはうちには思えんもん」
「――? よくわからないけど、やり方を教えてくれたら私、頑張ってみるわよ?」
「そんなん絶対にイヤやん……うち、地竜に蹴られるの御免やし」
🏃 駆け上がる
上がっても、上がっても、終わらない
「――しゃーねぇ。文字通り、次への階段が真ん前にあるんだ。ここでいかなきゃ男じゃねぇ。さぱっと挑んで、ズバッと攻略してやるぜ」
「生憎、この場にいるのは私と君を除けば女性ばかりだがね」
「心意気の問題なんだよ、水差すな! よし、いくぞ、ベア子!」
「んきゃーなのよ!」
「やっぱり、空間が捩れてるとしか思えないかしら。これだけ一直線に上って、塔の外に飛び出す気配がないのよ」
駆け上がる階段には、上階の近付く気配がない。
下るエスカレーターを逆走しているような徒労感があった。
⬜ また白い
また、白い部屋だ
「白い部屋、再び……ってか」
「かしら」
「わ、またこの部屋?」
「うっかり、三層に上がってきたってことはないか?」
「それはないと思うの。四層から三層に上がるのに、段数は五十四段だったけど、ここは四百四十四段あったもの。十倍ぐらい上がってきてるでしょ?」
(゚д゚)
「か、数えてたの、エミリアたん?」
「ふふ、実は階段の段数を数えるのが最近の密かな趣味で……なんで頭撫でるの?」
彼女の頭をスバルたちが代わる代わる撫でていく。
⚔️ 剣
部屋の中央に、剣が刺さっている
「モノリスではないな。――剣だ」
鞘から放たれた抜き身の剣が、その先端を白い床に突き刺し、立っている。
柄を上に向け、真っ直ぐに突き立つその剣は、ひどく美しくスバルの目に映った。
華美な装飾があるわけではない。素材の良し悪しなどスバルにはわからない。
ただ、過剰な装飾もなく、最低限の鋼に留まるその在り方が、美しく見えたのだ。
「雰囲気からして、さながら『選定の剣』ってとこか……」
「はいはい、よぉ我慢したね。偉い偉い」
🗡️ 抜ける
その剣は、あっさり抜けた
「大丈夫。スバルはちゃんと私が守るから」
「ああ、守られるぜ」
「とはいえ、塔ができた頃から刺さりっ放しの剣ってことになるからな。それが劣化してないだけ、十分に異常事態だ」
一瞬、これが呼称通りに『選定の剣』だった場合の懸念が脳裏を過った。
――が、ほんのわずかに力を込めた途端、床に突き立つ先端があっさりと抜けた。
『――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ』
👤 影
剣の正面に、影が立っている
振り返ると、全員が息を詰め、一点に目を向けていた。
そこに、一つの影が出現していた。
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
それは今度は脳に直接響く自分の声ではなく、正面の人影から発された他人の声だ。
声が、まるで馬鹿の一つ覚えのように、その文言を繰り返す。
――赤い、長髪を無造作に背に流した男だった。
身長はかなり高い。スバルより頭一つ分は上背がある。
その身に纏うのは鎧ではなく、防護に何ら寄与しない紅の着流し。
右腕の袖を抜いて剥き出しになった裸身、その胴回りに白いさらし。
左目は不細工な文様の入った黒い眼帯が覆い、右目は届かぬ天を映した空色だ。
静謐に佇んでいれば、絵画に残したくなるほど整った美貌。
――それを、野蛮で残酷、狂気的な笑みが台無しにする。
この世で最も美しい凶獣――そんな存在に、スバルは呼吸することを忘れる。
😨 怯える
シャウラが、動けない
とすん、と軽い音がして、直後に少女が声を上げるのが聞こえた。
シャウラが床にへたり込み、その傍らでメィリィが目を白黒させている。
ただでさえ大きな目を見開いて、美少女が決してしてはいけない顔。
可能であれば、本能の訴えに任せてこの部屋から飛び出していたはずだ。
ただ、震える足がそれを許さなかっただけで。
――あの、ケンタウロスすら一方的に始末したシャウラが、怯えて動けない?
これほどのプレッシャーを放ちながらも、男は一歩もその場から動かない。
――否、男はプレッシャーなど放っていない。男は、立っているだけだ。
ただそこにいるだけで、『魔女』に匹敵する存在感を他者に与える生き物なのだ。
👣 後ずさる
全員で、下がる
息を呑み、瞬きすら忘れていた瞼を力ずくで閉じて、一瞬、落ち着く。
それから男から目を逸らさぬままに、一歩、後ろへ後ずさった。
「え、エミリア……」
「わ、かってる……」
距離が開く。なおも、男は動かない。ただ、それを繰り返す。
彼女たちを連れて、この場から撤退。可能なのか。
そもそも、あの男はそれを見過ごすのか。あの男の目的は何なのか。
何のためにここにきて、『試験』とは、この剣は何のために――。
🗣️ 澱む
繰り返しに、澱みが生じる
「――天剣に至りし愚者、彼の者の……ゆる、しを……」
「――ぁ?」
🩸 男
「天剣、愚者の……許し、をぉ……あ、ああお、おーおー、あー」
「な、なんだ? なんだなんだ、何が起こる?」
🩸 男
「あ、あ、ああああああ――ッ!!」
男は自分の頭に手を当て、乱暴に髪を掻き毟りながら絶叫した。
😵 失神
シャウラが、白目を剥く
「ひやぁぁぁ! お師様お師様お師様助けてぇっ! いやッス! 助けてぇ!」
「お、お前、さっきから何を――」
「――るっせえぞ!! 二日酔いの頭に響くンだよ! 喚くンじゃねえ!」
「あふっ……」
それまでの暴れぶりがなんだったのか、シャウラは呆気なく白目を剥いた。
スバルの腰にしがみついたまま動かなくなる。精神の均衡を失い、失神したのだ。
「嘘だろ、お前……」
彼女の戦闘力だけは折り紙付き――その彼女が、これほど怯えるなどと。
👞 一歩
ユリウスが、前に出る
「只者ではないと、そうお見受けする」
🩸 男
「あぁン?」
「いいや、ふざけてなどいない。こちらも、戸惑ってはいる。突然にこの場に貴方が現れたのだ。――警戒も、やむを得ないと思ってもらいたい」
🩸 男
「なンだ、オメエ。ややこしい喋り方してンじゃねえぞ、オメエ。オレの子分と似た喋りしてンじゃねえぞ、オメエ」
🩸 男
「――いい女、いい女、エロい女、ジャリ、ジャリ、子分、雑魚」
「残念だが、私は君の子分ではない」
🩸 男
「かっ! その言い方、ますます子分そっくりじゃねえか、真似すンじゃねえ」
異常に白い歯と、異様なまでに整った美貌と、異貌の狂気が混ざり合う。
鮫のような笑みだった。
💬 オメエ
会話は、成立しない
🩸 男
「おう、オメエ。説明しろや。なンだ、ここ。オレに何してくれてンだ、オメエ。上等くれてンじゃねえぞ、オメエ。ちゃきちゃき話せや、オメエ」
「いきなり、現れて……ずいぶん、偉そうだな、お前」
🩸 男
「なンだ、オメエ。何寝てンだ、オメエ。いいご身分かよ、オメエ。エロい女侍らせて肉布団ってか、オメエ。そこ代われ、オメエ」
「生憎、当人の意思を尊重して、そのお願いは却下だ……」
🩸 男
「あー、あー、あぁ? ンだ、オメエ。あれか、オメエ。ふざけてンのか、オメエ」
「……人の面見るなり、失礼か、オメエ」
🩸 男
「かっ!」
▶️ 始めっか
男が、勝手に始めようとする
🩸 男
「わかった。――ンじゃ、始めっか」
「始めるって……待て! さっきから、お前勝手に話進めすぎだろ!?」
🩸 男
「るせえな、オメエ。さっきっから散々、オレが寝言で説明してやっただろうが、人の話はちゃンと聞けや、オメエ」
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
🩸 男
「かっ! そっちのいい女は雑魚とは違えな。……よく見たらやべえな、オメエ。なんだ、その面、マブすぎンだろ、オメエ」
「まぶ……?」
「お前が! ここの試験官! そういうことで、いいんだな?」
🦶 一歩でも
条件は、一歩動かすこと
🩸 男
「――知らねえ。他人の付けた肩書きになンざ興味ねえよ。オレはオレ。オメエはオメエ。それ以上に何がいる。オレとまともにお話したけりゃぁ、こっからオレを一歩でも動かしてみろや、オメエ」
笑い飛ばせなかったのは、その条件が『試験』に値するほど難易度の高い条件だと、すんなり受け入れられたからだ。
――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ。
目の前に立つ男が『天剣に至りし愚者』だとすれば、許しを得る方法は教わった。
「ルグニカ王国、近衛騎士団所属。ユリウス・ユークリウス」
対等に、これから雌雄を決する相手への最低限の敬意。
「名乗る名なンざねえよ。――オレは、ただの『棒振り』だ」
大図書館プレイアデス、第二層『エレクトラ』の試験。
制限時間『条件付無制限』。挑戦回数『条件付無制限』。挑戦者『条件付無制限』。
――試験、開始。
第六章25『二層エレクトラの待ち人』終了。
スバル
ベアトリス
メィリィ
アナスタシア