第六章17
『砂海の王』
左の道には、あの化け物が待っている。目がないなら、耳を騙せばいい。
🔀 どちらも罠
左を選んでも、安全ではない
右の道へ進めば瘴気に呑まれ、殺し合いに発展する不和が生まれることは明白。
だから左の道を選ぶのは極々自然で、間違ってはいない。
右の道が精神的な罠だとすれば、左の道に待ち構えるのは物理的な罠だ。
戦っても勝ち目が薄い、というわかりきった戦力差だけが問題ではない。
今の心境で魔獣と遭遇したとき。
心からラムやアナスタシアたちと協力して戦えるか、自分で自分に自信が持てない。
😤 込み上げる
軽口ひとつで、怒りが湧く
「なんでそんな魔獣、見つけてそのまま放置したの? 死にたいの?」
(#-_-)
「ああ?」
普段通りのラムの軽口にすぐに怒りが込み上げる。
わざわざ注意してやったのに何様なのか。
いつも偉そうに人を見下して、と憤懣が憎悪に変わりかけるのを感じる。
大きく深呼吸。激情を静め、落ち着くのに躍起になる。
「クソ……! 最悪だ、この場所」
「難儀ね。ラムも比較的、言葉は選んでいるつもりだけど」
「今ので選んでるつもりなら、たぶん、何の足しにもならねぇよ」
🦊 又聞きの知識
アナスタシアが、瘴気の話をはじめる
「瘴気に関しての話やけど……うちも詳しいわけやないから、聞きかじりの話になるんは勘弁してな?」
「その又聞きした知識のそもそもの始まりやけど、まず『瘴気』とは何か?」
「それは……魔女や魔獣の放つ、汚染されたマナでしょう?」
「ラムさんの答えが通説やね。瘴気は魔女が放ってるもんで、魔女に生み出された魔獣も同じように垂れ流しにしてる……やけど、こんな話は知ってる?」
「魔女教徒と魔獣は、実はメチャクチャ仲が悪いんやってお話」
(゚д゚)
「俄かには信じられませんが……本当なんですか?」
「生憎、うちも魔女教徒と魔獣に知り合いがおるわけやないからホントのところはわからないんよ。せやけど、これがホントの話やとしたら、面白いと思わん?」
👃 残り香の正体
魔獣は、瘴気を憎んでいる
「魔獣と瘴気の関係も実は知られてるのとは真逆で、魔獣は瘴気が大嫌い。魔女のことも、本心では憎たらしく思うてるって話」
その可能性は、これまで何度も『魔女の残り香』を利用してきたスバルには頷ける。
そうでなければ魔獣は何故、あれほど憎悪を滾らせて追いかけてくるのか。
異世界召喚された当初の魔獣騒動に加え、白鯨すらも攻略に残り香を利用した。
――スバルを取り巻く『魔女の残り香』こそが、瘴気そのものなのだろう。
「まさか魔獣全部がペテルギウスみたいなヤンデレ属性持ちってことはねぇだろ。魔女以外の奴から魔女の臭いがするのは許せない。他の女の臭いがする的な」
🧱 砂に突っ込む
なぜ自分が、隠してやる必要がある
何故、こうまでしてアナスタシアの事情を隠してやる必要があるのだろうか。
ユリウスや『鉄の牙』への配慮、それはある。
特にユリウスは現状、世界の記憶からこぼれていっぱいいっぱいの状況だ。
避けるべきだが、それでなんでスバルが代わりに負担を負う必要がある。
どいつもこいつも身勝手だ。
そんな奴らの尻拭いに、どうしてスバルばかりが奔走しなくてはならない。
腹立たしい。忌々しい。いっそ、何もかも全部ぶちまけてやろうか。
――ドスッ。
憤懣が限界に達しかけて、スバルは罵声を吐く前に顔から砂の壁に突っ込んだ。
「……バルス。いきなり砂に頭を突っ込むのは不審だからやめなさい」
「関係悪化を防ぐための、俺の自発的な防衛行動だよ。ぺっ」
❓ 誰も説明できない
マナが汚れる、とはどういうことか
「結局、瘴気関係のこともよぅわからんってだけのお話。汚染されたマナやなんて考え方もあるけど……じゃぁ、マナが汚染されるってどういう状況なんか説明できる人はおらんやろ?」
「誰の体を通っても、マナはマナ。魔法や魔石細工で目的のために性質は変えても、マナそのものに色を付けるなんて誰にもできんことやのに」
「どうして、『嫉妬の魔女』だけはマナが汚せるんやろね。そして、その汚されたマナに適応する魔女教徒は、いったい、何のためにおるんやろね?」
立て続けに疑問を投げかけるアナスタシアに、珍しくラムが口をつぐむ。
煙に巻くような態度の全てが、エキドナとダブって思えて嫌な気分だった。
🔥 焦げ臭い
また、あの臭いが流れてくる
正面、通路は緩やかに左に向かって折れ、微かに風が吹いてくる。
そのいきなりな曲線と、漂う風に混じる『焦げ臭さ』には強烈に覚えがあった。
「焦げ臭い、肉を焼いた臭いね」
この香りが炊事に勤しむ誰かがいる証拠で、友好的に接触できるかもしれない。
――無知だったとはいえ、よく考えられたものだ。
「エミリア様たちが迂闊にも火を焚いて休息中……その線はあると思う?」
「迂闊に火を焚きそうなのがエミリアなのは同意見だが、ケンタウロスの話をした俺がそんな想像する余地はないな」
「その暴言、瘴気が抜けた後でどう言い訳するのか楽しみにしておくわ」
👁️ 目がない
あの化け物には、目が付いていない
魔獣ケンタウロスの生態について、スバルはほとんど何も知らないも同然だ。
なにせ、出くわしてものの十数秒で焼き殺されただけの関係である。
だが、それでナツキ・スバルを推し量った気になってもらっては困る。
突発的な『死』に関して、ナツキ・スバルは百戦錬磨。
馬の下半身に人の胴体、角と化した頭部に胴体に開いた巨大な口腔。
目を逸らさずに記憶を観察すれば気付く点がある。
ずばり、目が付いてない。
あのとき、魔獣はカンテラの光でスバルに気付いた様子はなかった。
気付いたのは、あくまでスバル自身の無警戒に発する音と気配が原因だ。
「モグラは確か耳が良くて、代わりに鼻が馬鹿だって聞いたことがある」
🎯 陽動
音を投げて、気を逸らす
無言のまま、できる限り静かに、無音で、腕を振り上げ、振り下ろす。
投じられるのは、非常用持ち出し袋の中に入れてあった水の容器だ。
――カラン。
軽い音を立てて砂の上に落ちると、ケンタウロスは劇的な反応を見せる。
燃える鬣を振り乱し、真っ直ぐに音の発生源へ駆け寄り、体当たりをぶちかます。
そして原形がなくなるほどに破壊させると、ようやく満足げに動きを止めた。
ケンタウロスは聴覚を頼りに獲物を見つける魔獣。
その上、同じ手法に何度となく引っかかる単純な頭の作りをしている。
🪢 二本の紐
紐で意思を伝えながら、端を渡る
空洞の広さはおおよそ、学校の体育館ほど。
そこかしこに黒焦げ死体が転がる空間で、その端を足音と息を殺して縦断する。
陽動を実行するスバルには二本の紐が持たされている。
片方はパトラッシュに、もう片方はラムに持たせてある。
顔も合わせず、言葉も交わさず、意識だけを伝える紐の繋がり。
今のスバルには、意外なほど落ち着くものだった。
これならひとまず、ラムにもアナスタシアにも悪感情を抱かずにいられる。
誰かと顔を合わせないことがここまで楽だとは、という心境だ。
一方で、そんな孤独に安らぐ自分の心に不安がないわけでもない。
この場所を出れば治るものなのか、今はそれも疑わしい。
🔥 火球
こちらを、狙ってきた
――ぐいっ。
ふいに強く紐を引かれ、思わずその場につんのめる。
パトラッシュから強引に止まるよう下された判断だ。
スバルの一歩前を、投げつけられる炎の塊が通過する。
数メートル先の砂の壁に激突し、そこで爆音を上げて激しく爆ぜた。
パトラッシュに呼び止められていなければ、間違いなく直撃を受けた。
魔獣はその角と化した頭部をこちらへ向け、低く唸っている。
まるでスバルたちがここにいることに確信があるかのように。
📢 反響
自分の鳴き声で、位置を掴んでいる
またしても歩くスバルのすぐ傍を、火球が通過した。
それは先ほどよりもさらに近く、あわやスバルの肌を掠めるほど正確な一撃だ。
音でしかこちらを判別する手法を持たない魔獣。
それが何故、自分の鳴き声の中でスバルたちの存在に――。
「自分の、鳴き声……」
「バルス、反響――」
二つが同じ解答に辿り着いた瞬間、ケンタウロスが砂を蹴った。
🎪 弄ばれる
逃げ道は、全部読まれている
(ノ`Д゚)ノ
「――ッ! 走れ走れ走れ走れ!!」
現在いるのは空洞のちょうど真ん中。
元の通路とも先の通路とも距離的には遠く、よもや謀られたのかと思われる位置。
「遊ばれたのか……!?」
真っ直ぐ通路へ逃げ込むことは奴にも読まれている。
ジグザグに走って困惑させようにも、音を捉える聴覚はこちらの小細工より正確だ。
――ドンッ。
足下が炸裂し、スバルの体は軽々と熱波に揉まれて吹き飛ばされた。
噴き上がる熱風は呼吸器官に侵入し、粘膜が溶けて嗅覚が一時的に死んだ。
牙だらけの口腔は耳障りな音を立てて、まるで笑っているように聞こえた。
否、笑っているのだ。魔獣との知恵比べにすら敗北した、弱者である人間を。
🧠 また代償
『見えざる手』が、届く前に潰れる
腰に手をやり、鞭を抜く。
だが、スバルの本命はそちらではない。鞭はあくまで、陽動だ。
「――インビジブル・プロヴィデンス」
不可視の魔手は暗がりの中を滑るように進み、その人間の胴の角へ狙いを定めた。
致命的な重要器官がそこに存在することは違いあるまい。
(ノ゚Д゚)ノ
「――!? ぎ、あ、がぁ!?」
頭皮を剥ぎ、頭蓋に直接錐を打ち込むような痛みに一瞬で白目を剥く。
痛みに対抗するために、より鋭く強い衝撃を与える。
そのために殴り、殴り、殴っても殴っても痛みは越えられない。
「痛ぇ! あぁがぁ! 痛い痛い痛い! 痛いィ!!」
🦷 噛み千切る
パトラッシュが、割り込む
霧散したそれはケンタウロスに何ら干渉することはできない。
魔獣は火球でスバルを焼死体へ変えようとする。
その直前に、猛然と飛びかかる漆黒の地竜が魔獣の腕を噛み千切った。
闇に同化する体色の地竜は、音もなく忍び寄って痛烈な一撃を加えた。
バランスを崩した魔獣は、頭上へ掲げていた火球をその場に取り落とす。
自らが生み出した火球の熱を足下で爆ぜさせ、超至近距離の爆風を浴びた。
疾走するパトラッシュはのた打ち回るスバルの衣服を口にくわえ、走り出す。
♻️ 超再生
傷が、数秒で塞がる
その人間の胴体の傷口が泡立ち、噛み千切られた左腕が瞬時に生えるのが見えた。
化け物じみた再生力は他の傷口にも有効。
魔獣はものの数秒で、健在な姿へ舞い戻った。
追い縋るように加速し、鬣を燃え上がらせて飛びかかる。
手の中に生まれた火球は長柄の得物に姿を変える。
頭から尻まで炎に包まれる、槍だ。
――ドッ。
魔獣の蹄が真横から地竜の胴を蹴りつけた。
腰のあたりに感じる熱は、内臓を損傷したパトラッシュが吐く血によるものだ。
それでも、パトラッシュはスバルを手放さない。
🌪️ 横槍
ラムと
アナスタシアが、撃つ
「――エル・フーラ!!」
「ジワルド――!」
片方は不可視の風の刃、片方は白く収束する高温の熱線だ。
その両方が魔獣を直撃し、その胴に風穴を開け、人間の胴体を斜めに切り取った。
――その傷も、瞬く間に塞がったことも。
「バルス……! ああ、もう、死んだのならそう言いなさい!」
「厄介やなぁ、あの魔獣……うちと相性、悪いなんてもんやないよ」
🔵 レムが泣く
その名前で、怒りが湧く
「死ぬんじゃない、バルス! レムが泣くわ!」
耳元で怒鳴りつけられて、その声は痛みを越えて脳に届いた。
ただ、その声によって呼び起こされるのは、魔獣に抱いた憎悪に負けない怒りだ。
忘れているくせに。誰も彼も、あの子のことを覚えてもいないくせに。
――わかったような口で、俺とレムのことに口出しするな。
(#゚Д゚)
「――インビジブル・プロヴィデンスぅ!!」
『見えざる手』が魔獣の槍を正面から叩き折り、一矢報いる。
――だが、か細い抵抗が届くのもそこまでだ。
🦵 蹴り
全員が、吹き飛ばされる
ケンタウロスは前足を砂の大地に突き立て、その巨躯を強引に旋回させる。
後ろ足がカタパルトの如く射出される。
――ドオンッ。
空洞の一部が吹き飛ぶほどの脚力が爆発する。
砂の暴力に巻き込まれて全員がバラバラに吹き飛んだ。
ついにスバルもパトラッシュの顎から外れ、為す術もなく砂の上へ転がる。
肉体の内外から襲いかかる痛みの連続に、もはや意識が保てない。
🛡️ 庇って立つ
ラムが、両手を広げて立つ
呼吸することも肺が忘れた状況で、スバルは自分の前に誰かが立つのを見た。
小さく、華奢な影だ。
見慣れた姿だからすぐにわかる。ラムだ。
スバルを庇うように、両手を広げて。
――馬鹿、無理だから、無駄だからやめろって。
「……ど、ぅして」
「――レムが、泣くもの」
記憶にないはずの妹のために。
記憶にない妹の想い人を守るために、ラムは立つ。
何がそこまで彼女をそうさせるのか、スバルにはわからない。
わからなくても、わかることがある。
このまま、ラムは死ぬ。そして、スバルも死ぬ。それは避けられない。
🕳️ 内側に手を伸ばす
自分の中に、何か無いか探す
「……こい、こいよ。何か、あるだろ」
自分の外側に助けを求めるのは現実的ではない。
ならば夢や妄想の類と罵られようとも、スバルは自分の内側に手立てを求める。
内側に潜り、濁り切った体の中へ手を伸ばし、蠢く黒い妄念を掻き分ける。
酷使しすぎた『見えざる手』ではない。
もっと別の、何か、新しい手段を、この場を乗り越える方法を。
しかし、その決死の求めは――何も見つからないまま。
炎は魔獣の頭上で交差し、それが一瞬の停滞の後にラムへ向かって放たれる。
⚪ 白い光
上半身が、消し飛んだ
次の瞬間、恐るべき速度で放たれた白い光が、魔獣の上半身を消し飛ばしていた。
それは切断や圧潰といった生易しいものではなく、文字通りの消滅を意味した。
人の胴体に当たる部分の、胸から上を吹き飛ばしていった。
その衝撃に魔獣は音もなく傷口から血をこぼす。
――直後に、傷口が泡立って、これまでと全く同じ超再生が行われる。
そのまま身を翻す魔獣はスバルやラムに目もくれない。
自らの上体を消し飛ばした害敵に向かって、真っ向から飛びかかっていく。
🦾 進化
殺し方を、作り変えてくる
魔獣の生み出す火球は、そのことごとくが正面から迎撃される。
恐るべき正確さで火球を真っ向から穿つ、白い光だ。
腕が消し飛び、口腔が千切れ、馬の胴体部分が焦げ、ケンタウロスが転倒する。
しかし、傷口は蠢き、魔獣は死なない。
抉られ、消し飛ばされ、及ばないのであれば。
強度を増し、用途を変え、殺し方を進化させればいいとばかりに。
人間部分の形が変わり、二本の腕は四本に増える。
馬の下半身も脚を増やし、八本の脚力は単純計算で倍だ。
焦げた肌は黒光りする硬質なものへ変化する。
その姿、巨躯も合わせ、鋼で武装した列車に等しい。
⚪ 突き刺さる
何も、残らなかった
砂が蹴散らされ、炎の熱波をたなびかせ、魔獣は猛然と突き抜ける。
地獄の業火さえもかくやと言わんばかりの火力。
その異形と異貌は、まさに砂海の王――。
『白光が突き刺さる』
『白光が突き刺さる』『白光が突き刺さる』
『白光が突き刺さ』『白光が突き刺』『白光が突き』
『白光が』『白光』『白光』『白光』――。
凄まじい量の光が迸った直後、そこにはもはや何も残っていない。
あれほどの猛威を振るった魔獣は、その肉片まで含めて全てが光に消し飛ばされた。
砂の上に残るのは、白く細長い針だけ。
それも、すぐに風化するかの如く粉になる。
👤 足音
誰かが、こちらへ歩いてくる
気付けばスバルの腕の中、熱く細い体が飛び込んでいる。ラムだ。
記憶の中にもないが、どうやら最後の瞬間、その体を抱き寄せていたらしい。
その耳に、誰かの砂を踏む音が聞こえる。
ゆっくりゆっくりと、確かにこちらへやってくる。
視界ギリギリのところに、誰かの足が入り込んだ。
顔を上げ、その足の持ち主――おそらく、光の正体に目を向ける。
女、だった。奇妙な雰囲気を持った女だ。
髪は闇に同化しそうなほど黒に近い褐色。
長く伸ばしたそれを一つに纏めた、ポニーテールにしている。
そしてスバルたちを見据えるのは、ひどく濃密な感情に濡れる双眸だ。
❓ 女
「――見つけた」
少なくとも、言葉は通じるのだな、とスバルは思った。
思ったところで、意識は限界を迎える。
せめて、腕の中の少女だけは手放さぬよう、強く抱いて。
その程度の意地を張るだけの、根性だけは残っていた。
第六章17『砂海の王』終了。
スバル