第六章11
『涙声が聞こえる』
気付けば、少し前の時間に戻されている。だが今回は、自分が何で死んだのかがわからない。
⚪ 光だけ
痛みも、衝撃も、恐怖もなかった
――見えたのは光、ただそれだけだった。
見上げ、首をもたげたことは覚えている。
直後に正面の塔の一部が白く光り、その眩さに目を細めたことも。
ただ、記憶はそこまでだ。以降は何も覚えていない。
痛みも、衝撃も、恐怖も、何一つ感じなかった。
それらはいずれも『死』の訪れに欠かせない供だ。
泣き叫ぶような痛みも。
肉体が千切れる衝撃も。
全て失われる恐怖も、ない。
あるいはその『死』は、スバルの知るいずれの『死』よりも優しかったのかもしれない。
🔁 戻された
「ちっちっち」の音が、聞こえる
「――ちっちっち」
一瞬、息の詰まるような重苦しさが五感に圧し掛かる。
全身の血流の音がうるさく感じられ、収縮する筋肉が痛みを訴えかける。
爪が掌に食い込むほど強く握られた手綱。
熱い体温で存在を主張するベアトリス。
鼻腔から滑り込む、暴力的な甘い香り。
この甘さには覚えがある。当然だ。つい先頃、延々と嗅ぎ続けていた。
むしろほんの数秒間だけでも、途切れていたことの方が特別なのだ。
この感覚は疑うまでもない。『死に戻り』だ。
⏱️ タイミングが悪い
よりによって、この瞬間に戻された
――だけど、よりによって、この時間に戻されるのかよ!?
『死』の瞬間の出来事よりも、『死に戻り』したタイミングの悪さに悪態をつく。
舌打ちのような音で魔獣の興味を誘い、竜車の前から穏便にどかそうとしているメィリィ。
その目論見はギリギリまで成功し、しかし最後にしくじる。
竜車を引くジャイアンが、魔獣の圧力に耐えかねるからだ。
そのことがわかっていながら、スバルはとっさに判断を躊躇う。
ジャイアンの様子は後方からは見えない。
手綱を握るユリウスも、そこに目を配る余裕はない。
📼 焼き直し
何もできないまま、同じ流れをなぞる
「ゆり……」
――グオオオッ!!
正しい判断を下せないまま、呼びかけはジャイアンの咆哮に遮られた。
先ほどの展開の焼き直しをするように、花魁熊の意識が一斉に覚醒する。
その頭部を青白い輝きが貫通し、爆砕するところまで完全に流れが同じだ。
「エル・ヒューマ!!」
(ノ`Д゚)ノ
「は、走れ走れ走れ走れ走れ走れ――ッ!!」
――完全に、同じだ。
💢 無駄撃ち
『死に戻り』を、一度捨てた
突然の『死に戻り』に、意識が追いつかなかったことは言い訳にならない。
自分が死亡したことの衝撃を後回しに、心が悔悟で埋め尽くされる。
ここまで『死に戻り』を無駄撃ちしたのは、自覚して以来、初めてのことだ。
得た情報を扱い損ねて、改めて死を迎える結果になったことはある。
だが、為す術なく同じ状況をなぞったのは初めてだ。
自分がなぞろうと考えた意思と無関係に、運命のレールそのままに。
「――スバル! ボーっとしてる暇はないのよ!」
❓ 死因不明
何で死んだのかが、思い出せない
「ミーニャ! ミーニャ! もう一発、ミーニャかしら!」
掌を通じて、スバルの体内から行き場のないマナが吸い上げられる。
生み出される紫の結晶は行く手を塞ぐ魔獣の体に突き刺さり、その体を砕く。
なにせ、今のスバルには自分が死んだ原因がわかっていない。
『死に戻り』したことは間違いないのに、死の理由が思い出せないのだ。
魔獣に追いつかれ、鉤爪の餌食になったのか。
腸を啜られて無残な餌になったのか。
うっかり転落して、運悪く首の骨でも折ったのかもしれない。
「そのどれだったとしても、ここまでぷっつり綺麗に記憶が途切れたことねぇぞ」
🧵 細い糸
これは、『死に戻り』封じだ
腹を裂かれても、氷漬けにされても、鉄球に頭を潰されても。
兎に全身を貪られても、訳のわからない権能の巻き添えを喰らっても。
スバルは『死に戻り』してきた。
そしてどんな死因であっても。
『死』の直前の出来事から自分の手詰まりを洗い出し、打破するための手立てとしてきた。
そのか細い運命の糸が、今回はどこにも見当たらない。
そして見当たらない細い糸を探す時間が、スバルたちには与えられていない。
――これは地味に、最悪の、『死に戻り』封じをされている。
もしもまた同じ方法で死亡した場合、完全に手探りからの再開だ。
↩️ 進路変更
塔に、近付くな
「このまま真っ直ぐじゃダメだ! ラム、道を変えろ!」
(#・_・)
「――っ! 何を言い出すというの? 監視塔は正面、周囲は魔獣の縄張りよ!」
「それはもっともなんだけど、それじゃダメなんだよ!」
「バルス、何に気付いたの! はっきり話しなさい!」
「はっきり説明できたら苦労はねぇよ! とにかく、進路変更だ!」
「こっちから動く! とにかく、塔には近付くな!」
「だからそれがどうしてって……」
「塔が光るんだよ! たぶん、その光がヤバいんだ!」
(゚д゚)
「はぁ――!?」
❄️ 言う通りにして
エミリアが、理由を聞かずに乗る
「逆走する! 『砂時間』をもういっぺん潜った方がマシだ! 前の砂丘に戻るぞ!」
「さっきから何を馬鹿なことを……」
( ̄^ ̄)
「ラム! スバルの言う通りにして!」
「スバルが何の考えもなく変なこと言い出すなんてありえないから!」
「バルスは日常的に妄言と戯言を垂れ流して生きています」
「スバルが危ないときに何の考えもなく変なこと言い出すなんてありえないから!」
(ノ゚Д゚)ノ
「わざわざ言い直してくれてありがとう!!」
狼少年扱いを嘆くべきか、ピンチのときは頼れる男扱いなのを喜ぶべきか。
🧊 氷の坂
竜車の横転を、氷で支える
パトラッシュが砂地に足を突き刺し急旋回。
風を切る尾が魔獣の胴を薙ぎ払い、蹴り足で花魁熊の一頭を蹴りつけ、逆走する。
「――っ! 上と横にいる二人! 振り落とされないようになさい!!」
遠心力をふんだんに喰らう竜車は大きく傾き、横転しかかる。
「エミリア様! 足場を!」
「え? あ、そっか! はい!」
斜めに傾いだ車輪を補助するように氷の坂が生まれる。
竜車は半円を描くように走って、横転を免れた。
✂️ 真っ二つ
砂蚯蚓が、断ち切られる
――キィン。
逆走を始めた次の瞬間、鼓膜を鋭く引っ掻くような音が響いた。
(゚д゚;)
「今のは……って、おいおいおいおい!?」
「砂蚯蚓、ちゃんが……っ」
竜車の背後を覆うような形で起き上がっていた砂蚯蚓の巨体。
その胴体が、何かの直撃を受けて木端微塵に吹き飛んでいた。
太く長大な胴体はものの見事に真っ二つ。
支えを無くした頭部側が、こちらに向かってゆっくりゆっくりと落ちてくる。
(ノ`Д゚)ノ
「横に、避けろぉぉぉ――!!」
🔀 逸れた
竜車と、離れてしまった
――ドオンッ。
砂が舞い上がり、逃げ損ねた花魁熊の骨が砕け散る。
「あぶ、あぶ、危ね、危ねぇ!」
Σ(゚д゚)
「スバル、マズったのよ!」
「今ので、向こうの竜車と逸れたかしら! ベティーたちしかいないのよ!」
「んだと!?」
遠くに青白いマナの輝きと魔獣の咆哮、小規模の砂の噴き上げ。
エミリアの奮戦とメィリィの新たな僕の使役が、遠目にわかる。
だが、合流しようとしても、合間には無数の花魁熊で埋まっている。
「単純に戦力半分! 敵の数は倍!」
「さっきより四倍、きつくなったかしら!」
🪶 小賢しさ
力の前に、押し潰される
「パトラッシュ! こっちじゃね……」
「この地竜なりに生き残るための判断なのよ。スバルやベティーより、こいつの本能に任せる方がよっぽどマシかしら!」
(#`Д´)
「クソ! またこれ……またこの形か! 俺は何をしてんだよ!」
鞭を振るい、接近しようとする魔獣の顔面を弾く。
だが、理性をなくした形相で飛びかかってくる魔獣の勢いを、それでは止められない。
剣で致命傷を与え、魔法で行動力を削ぐ。
――スバルの選んだ力は、そのどちらにも遠く及ばない。
小賢しさは、圧倒的な力の前に押し潰される。
できることをして、やれることを増やして、少しはマシになったと思ったのに。
運命はナツキ・スバルの小手先の努力など、鼻で笑って踏み潰すのか。
🪶 ムラク
群れの頭を、跳び越える
「ベア子、パトラッシュにムラクだ! 重さを軽くして、群れの頭を越える!」
「――! ムラク!」
重力の影響を軽減する魔法をかけ、疾走する速度が加速する。
踏み込みで進む距離が倍になり、跳躍するパトラッシュが花畑からの離脱を試みる。
だが――。
Σ(゚д゚)
「光っ――!?」
⚡ 地上を走る
白い光が、地面を薙いでいく
目の端に白い光が浮かび、声を裏返らせた瞬間に『それ』が空を走ってきた。
地上を白い光が駆け抜け、砂海が凄まじい勢いで吹き飛ぶ。
光が突っ走るのに合わせ、魔獣の体が引き裂かれ、血柱が上がり、飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。
その余波はパトラッシュの方にも襲いかかる。
地竜の巨体が迫る『それ』の風圧に煽られ、軽々と弾かれてしまう。
「ベアトリス! しっかり掴まれ!!」
「スバルの方こそちゃんと抱きしめるかしら!!」
空中で錐揉み回転し、猛然と花魁熊の頭上を跳ねていく。
そのパトラッシュを追いかけるように、白光が連続して降り注いでくる。
攻撃の最中に『風除けの加護』が外れ、スバルはその衝撃をもろに味わう。
🩸 横腹
パトラッシュが、倒れる
「けど、このままじゃ――」
「マズいのよ……っ!」
Σ(゚д゚)
「――パトラッシュ!?」
一際強い衝撃と、パトラッシュの苦鳴が高く尾を引く。
ムラクの効果で軽々と弾かれるパトラッシュの横腹。
そこが花魁熊の鉤爪を浴びて、ついに切り裂かれていた。
漆黒の鱗に痛々しい爪痕が刻み込まれ、浅からぬ傷口から鮮血がこぼれ落ちる。
その勢いのままに転がり、ついに砂原の上に崩れ落ちる。
同時にスバルたちも砂地に投げ出され、花魁熊の餌場に取り残された。
🌑 エル・シャマク
黒い霧で、認識をずらす
(#゚Д゚)
「てめぇら! パトラッシュに指一本触るんじゃねぇよ!」
「ミーニャ!」
爪は内臓までは達していないが、無理をさせれば腹圧で腸が溢れかねない。
無理はさせられない。治療する時間も必要だ。
「ベアトリス! シャマクだ! 周りにいる魔獣の認識を誤魔化す!」
「今!? それをしても時間稼ぎにしかならないのよ! それに……」
「今はその時間が必要だ! 急げ!」
「――っ! エル・シャマク!」
スバルの内側からごっそりと何かが抜け落ちる。
半径十数メートルが黒い霧に包み込まれ、花魁熊の挙動が完全に停止する。
思考は理解の彼方へ消え、獲物を追い詰める本能すらも忘却させたのだ。
🐴 離れなさい
パトラッシュの目が、そう言っている
「効果範囲の外の奴らが入ってきたら、いずれ荒らされるかしら。その前にその地竜を連れて脱出するのよ!」
「わかってる! ムラクの効果はまだ残ってるな? それならパトラッシュを俺が担いで、とにかくシャマク連発して向こうの竜車に合流を――」
通常は数百キロの巨躯だが、ムラクが効いている間は軽くなっている。
担いで逃げるぐらいはわけない。
黄色い瞳がスバルをジッと見ている。
その瞳を過る感情は複雑で、とても地竜の浮かべるものとは思えないほど雄弁だった。
その瞳が、物語っていた。――離れなさい、と。
🛡️ 逸らした光
ベアトリスの盾が、間に合った
「――スバル!」
駆け寄る彼女がスバルへ掌を向け、迸る魔力が盾を形成する。
すぐ真横に紫色の魔法壁が出現――それが、撃ち込まれる白い光を逸らした。
(゚д゚;)
「っごぁ!?」
鋼の打ち合うような鋭い音が鳴り響き、衝撃を受けた体が横に飛ぶ。
転がって砂の上に大の字になり、咳き込みながら体を起こそうとして気付く。
衝撃を浴びた右の脇腹から血が滴り、それが右足をべったりと濡らしていることに。
「何を、喰らった……?」
🩸 動けない
横倒しになって、そこから続かない
血の溢れる脇腹を押さえて、片膝を突いたスバルは呆然と息を吐く。
途端、内臓を掻き回された衝撃が嘔吐感となって持ち上がる。
胃液と血が口の端から一気に流れ出した。
破れた腹部から空気が抜け、血泡とともに間抜けな音が漏れる。
「ぁ、ふ……」
掠れた息が出るのと、視界が真横に傾ぐのは同時だ。
横倒しになり、身動きできなくなったのだと理解した。理解したが、それ以上が続かない。
脇腹の傷が熱を持ち、そこから体が溶けてなくなるような痛みがある。
😢 涙声
ベアトリスが、泣いている
「――バル! スバル!」
必死に、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「スバル! スバル、ダメかしら! 死んじゃ……死な、死なないで……一人に、しないでぇ……っ! やめてぇ……っ」
肩を揺すぶられる。
涙声がして、どうにか手を伸ばしてやりたいけど、動けない。
脳味噌が焼け付いたのか、目の前の少女のことが思い出せなくなる。
愛らしい顔の、でも泣いてて、泣き顔はさせちゃダメだろうと、思って。
その向こう側に、大きな大きなトカゲが倒れている。
黒い、綺麗な見た目をしたトカゲだ。
その体には、白く細長い何かが何本も何本も突き立っている。
ピクリとも動かないそれは、明らかに死んでいる。
たぶん、自分もアレを喰らったのだ、と思った。
🖤 見えない手
涙が、何かに拭われる
「ベティーを、置いていかないでぇ……っ!」
泣きじゃくり、少女が必死でスバルの体を抱き寄せる。
小さい体で、力の抜けたスバルは重過ぎる。それでも一生懸命に。
頬を涙が伝う。その涙ぐらい、拭ってやりたくて。
体の中で動く場所を探すけれど、見つからない。
だから、体の中ではない、どこか別のところから動くものを引っ張り出して。
「――ぅ」
「スバル?」
目には見えない、自分にだけ見える『手』が、少女の頬の涙を拭った。
涙の滴を黒い指先がなぞり、少女が何かに気付いた顔でこちらを見る。
安心させるように微笑んでやる力も、ない。
💨 掻き消える
少女の姿が、見えなくなった
「すば――」
一瞬、少女が何事か言いかけた。
しかしそれは、少女のはるか背後から飛来する白い光に遮られる。
再びの衝撃が、スバルの胸に突き刺さる。
ゆっくりと視線を落とせば、それはスバルを抱きしめる少女の背中を貫通していた。
さらにスバルの胸を貫いて、背後へ抜けている。
「ぁ」
掠れた吐息を残して、スバルを抱きしめる少女の姿が掻き消える。
まるでこの世のものではなかったかのように、少女の姿は見えなくなった。
支えを無くして、スバルはその場に倒れ込んだ。
動けない。動く理由が、ない。
🌑 霧が晴れる
何も、わからなくなる
「こ、ぉ」
微かに動く指先が砂を掻き、それだけだ。
術者を失い、周囲と空間を隔てていた黒い霧が風に吹き散らされる。
取り残されるのは地竜の死骸と瀕死の少年。
魔獣の群れは舌なめずりし、その獲物に近付いてくる。
息が止まり、目の焦点がぼやけていく。
失血死、とは違う感覚。
何か、致命的なものが流し込まれている。
すぐ傍らで、鉤爪を振り上げる花魁熊の唸り声が聞こえる。
その爪が振り下ろされて、頭蓋が砕かれるのか。
それとも、今、消える寸前の視界の隅で、微かに光った『それ』が原因か。
どちらが理由かはわからなかったけれど、ナツキ・スバルの命は途絶えた。
第六章11『涙声が聞こえる』終了。
メィリィ
スバル
ラム
ユリウス