第七章20
『皇帝/商人/ナツキ・スバル』
戦う道と、逃げる道。そのどちらでもない三つ目を、レムはスバルに求めた。
🏰 無茶な計画
四方を壁に囲まれた街を、落とす
「曲がりなりにも城郭都市……陥落なんて、気軽に言える場所じゃねぇぞ」
「ほう、まるで見てきたように……いや、見てきたのだったな」
「皮肉の切れ味抜群で大いに結構だよ」
「けど、その切れ味が通用するのは、話し合いの場に座ってくれる相手だけだ」
「……抜け道を用いて、都市に攻め入るということですか?」
「検問を無視できても、敵が多すぎると思います」
その視点の持ち方が、いかにも適切すぎた。
――まるで、あの短い滞在で、そこを見極めてきたかのように。
3️⃣ 攻撃三倍の法則
百人と、その三倍以上
「――ナツキ・スバル、貴様は戦いにおける攻守の兵力差をどう心得る?」
「あ? 攻守の兵力差って……攻撃三倍の法則、みたいなことか?」
攻める側は、守る側の三倍の兵力が望ましいとする考え方だ。
攻撃側は相手を倒さねばならず、防御側は追い返すか、立てこもるだけでいい。
その目的達成の差を埋めるのに、それだけの兵力が要る。
「全部で八十二人ダ。アベルやその男……フロップを入れテ、百人といったところカ」
「百人ぽっちってわけだ。でも、あの街には大雑把に見積もっても、その三倍以上」
🎖️ 敵の指揮官
ズィクル・オスマン二将
「この戦力差を覆す手段なんて、一騎当千の兵が仲間入りするか、敵の指揮官が死ぬほど無能だったパターン以外に思いつかねぇぞ」
「生憎と、どちらも期待できるとは思えんな」
「敵の指揮官はズィクル・オスマンと聞いている。堅実でつまらぬ打ち手だが、隙がない」
陣が焼かれた以上、討たれたものと思っていた名前だった。
「陣にいたのは雑兵だ。森の少数部族相手に、二将が前線へ出向くことなどない」
指揮官は、最初から都市に居残っていた。
「俺はお話にならねぇって言ってるんだよ!」
🚪 塞がれた逃げ道
「どこへいこうと、貴様の安寧はもはや買えん」
「俺は戦うこと自体、断固反対なんだ。……俺は、レムと帰りたいだけなんだ」
「だが、それが困難であることはすでに証明された」
「貴様の敵がグァラルに入った帝国兵だけだと思うか?」
城郭都市で味わった苦難は、内に精神的な壁を作った。
どこへいっても、同じ不安と警戒は薄れない。
慢心は、五回の死と引き換えに失われたのだ。
🔪 目にも止まらぬ
「それはできん相談ダ、スバル」
「――それならいっそ、俺がお前を敵に売り渡すってのはどうだ」
一瞬、集会場の空気が張り詰めた。
「それはできん相談ダ、スバル」
目にも止まらぬ速さで、短刀が首に宛がわれていた。
「すでに我々ハ、アベルと共に戦うと決めタ」
「それが『血命の儀』の結果、同胞と認めたものの望みとあらば他はなイ」
🕊️ 勝ち負けの話をするなら
「同胞のために戦えなかったラ、魂が穢れてしまうノー」
「たぶン、スバルは勘違いしてるノー」
「勝ち負けの話をするなラ、ここで引いてしまっても私たちの負けなノー」
誇りや家名といった、直接肉体には寄与しない不可視の証。
それを何よりも大切に扱う姿勢が存在するのは、理解できる。
だがそれは、命より大事なものはないと考える自分とは共存できない。
「……アタイはホーリィとか族長ほド、考え極まっちゃいねーけどナ」
「――。姉上の決定に従いまス。それガ、私の意思だかラ」
🛡️ 庇われて
「では、なおさら武器を引くべきです」
「……ミゼルダさん、武器を引いてください」
「私に指図するのカ、レム。お前は『血命の儀』を受けていなイ」
「では、なおさら武器を引くべきです」
「その人は儀式を受けて、同胞として迎えられた。それを傷付けるのは、よくないことです」
威圧しようとした族長が、毅然と言い返されて言葉に詰まる。
「今はお前の言葉が正しかっタ」
「……俺を庇ってくれたことと、顔をボロクソに言われたことのどっちに反応すればいいのか」
「顔のことは言っていません。目つきの話です。あと体臭。もっと向こうに座ってください」
何故庇ってくれたのか、その真意はわからない。
だって彼女は、グァラルの宿で荷解きしないでいたのだから。
🎭 帝都の声明
「――チシャ・ゴールドだ」
「この場にいるお前は、どういう立場の誰ってことになるんだ?」
「証明だと? その必要がどこにある」
「適時、符合しない可能性を排していけば、残ったものがただの事実だ」
「直接指揮を執るなんて話をするなら、皇帝が人前に出てこないってことはありえないだろ」
「ならば出てくるのだろうよ。俺とよく似せた偽物……最も出来のいい影を使う」
☝️ ありえない発想
「皇帝閣下ではないかというありえない発想にね!」
「そうでないと、僕は聞いた話を適度に鵜呑みにしてこう結論せざるを得ない!」
「――貴様、不誠実を絵に描いたような真似をしたものよな」
罵られたのは、事情を明かしていなかったスバルの方だ。
「傍らに我が身より大事なものを置いて、何故思考に妥協する」
「己の横に並べるつもりがないなら、初めから連れ帰るのが誤りだ」
🐑 狼の国で
「狼の国だとて、羊も生きている」
「それがグァラルを攻撃するために用いられるなら、お答えしかねる!」
推定皇帝に対して、真っ向から『NO』を突き付けた。
「夢物語だな。現実、害意というものは貴様の事情など顧みずに襲いくる」
「必要とあらば!」
「実行したとて、成果はない。――ここは狼の国だ」
全身から、冷たく突き刺すような鬼気が漏れた。
力の多寡ではない。存在としての大小が発現する、恐るべき圧迫感。
「僕は狼がお尻に噛みついてくるのなら、牛車に乗って妹と逃げる」
「今日までそれを繰り返してきたのだよ、村長くん」
鬼気が、不意にほどけた。
「――。ふやけた物言いに反して、芯が通っていると見える。厄介な輩だな、商人」
🤝 交渉
「貴様の持ち得る知識を買う」
「……てっきり、痛めつけて聞き出すくらいはするのではないかと」
「確かに、時に痛みは最上の交渉手段となるが、そうして聞き出した情報の確度は恐ろしく脆い」
「人間、目先の痛みから逃れるためなら平然と嘘をつく」
「それにその場合、自分が命懸けで盾になると言わんばかりの目だな」
頬を硬くしたレムの横顔には、愛らしさを塗り潰しかねない悲壮さがあった。
「――故に、交渉だ。商人、貴様の持ち得る知識を買う」
「僕はとても頑固なんだ。たとえ頭をかち割られても、承服できないことは承服しない!」
その言葉は、笑えなかった。何度もそれを見た人間には。
🌄 少し離れた丘で
「だけど、お前はまた、俺から逃げようとしてたんだな」
「立派な人と、そう単純に言える状況ではないと思います」
「自分の知識を明かさないことで生まれる被害はどう捉えるんですか」
「それは屁理屈ってもんだろ」
「そうですね。でも、どこまでも逃げるというのは現実的ではないと思います」
「まるで、戦うことを受け入れてるみたいな口ぶりだ」
「……お前がわからなくて、俺は辛いよ」
宿で荷解きをしていなかったこと。ずっと、引っかかっていた。
「俺を信じられなくて、遠ざけたい理由はわかるんだ」
「でも、お前の帰りを待ってる……お前を大事に思ってる人がいるのは本当なんだ」
「頼むから俺を……俺を、お前の人生から閉め出さないでくれ」
しばしの沈黙が、二人の間を包む。
🙏 縋るように
「――あなたなら、どうにかできますか?」
「あーうー!!」
「ルー! スーの上に乗っかるのよくなイ! ウーは止めタ。ルーが勝手にやっタ」
大事な話が、粉々に砕かれた。
「あなたのこの子を見る目が、私を惑わせもします」
「……お前は、俺にどうしてほしいんだよ」
「……戦いになるのは、嫌です」
「でも、逃げ続けることもできないと、そう思います」
「アベルの意見も肯定できない?」
「……はい」
戦いたくないと言いながら、戦わざるを得ないという意見にも賛同する。
日和見主義の権化ともいうべき思想だ。
⚡ 稲妻に打たれて
「――俺が、レムの信じた英雄だからだ」
それは、あまりにも無体な問いかけだった。
戦いたくない気持ちと、戦わざるを得ないという気持ち。
そのどちらでもない第三の答えを求められている。
怒りを覚え、甘えを糾弾したってきっと許された。
だが、芽生えたのは魂の奥底から湧き上がる使命感だった。
諦めの悪さだけを武器に、この異世界で戦い続けてきた男だ。
国境を跨いだぐらいで通用しなくなる哲学ではない。
この世界でナツキ・スバルに唯一残された手段。生き汚さと、小賢しさ。
「俺だったらどうするか、その答えを見つけたよ」
集会場の扉を押し開き、真っ直ぐ進んで鬼面を引き剥がす。
「口説くのが下手くそなお前の代わりに、俺が口説いてやる」
第七章20『皇帝/商人/ナツキ・スバル』終了。
スバル
アベル
レム
ミゼルダ
ホーリィ
クーナ
タリッタ
フロップ
ルイ
ウタカタ