狼の国を読む WEB版・初見向け解説
20話収録

第七章18

『城郭都市グァラル攻防戦』

五度殺されて、ようやく相手の顔が見えた。だが、見えたところで勝ち目はない。

⚖️ 傾けた天秤

やると決めて、やった

目をつむれば、蘇ってくる光景がある。

ぬかるんだ森。物々しい男たちの空気。魔獣の咆哮。

あれは、自ら意識して、自覚して、やろうと決めてやった行為だ。

天秤を置いて、大切なモノとそうでないモノとを比べ、実行した。

深手を負ったものがいたかもしれない。命を落としたものがいたかもしれない。

――否、いたと仮定すべきなのだ。

魔女教徒でも大罪司教でもない。悪意から他者を害する徒でもない。

上からの命令に従い、生きるための仕事として武器を持った相手を攻撃した。

ナツキ・スバルの行動のツケは、ナツキ・スバルが支払わなければならない。

🤢 込み上げる嘔吐感

――トッド

頭蓋に斧がめり込んだ直後、硬い音と共に視界がクリアになる。

その場に跪き、込み上げる嘔吐感を口を覆って堪える。

スバル

「――トッド」

最後の言葉と声。何より、布越しに見えた瞳。

あれはトッドトッドだ。――バドハイム密林で、死んだはずの男。

野営地は壊滅した。百人以上の犠牲が出たと聞いた。

傷つくのを恐れるあまり、それ以上の情報を入れるのをやめた。

だから、生き残りがいるなどと考えようともしなかった。

スバル

「ここが密林から最寄りの街ってんなら、生き残りが逃げ込んでるのは当たり前だ」

🩸 頬肉を噛んで

自分の行動で作った、『敵』

元の世界にいた頃、敵なんて言葉は漫画やゲームの中にしかなかった。

召喚されてからも、その対象は魔女教徒や魔獣だけだった。

そうではない相手を『敵』と呼ぶのは、これが初めてだ。

それも、他ならぬ自分の行動で作った『敵』だった。

強く奥歯を噛みしめる。頬肉が齧られ、痛みと血の味で意識を引き戻す。

足りなければ、口の中の肉を全部噛み千切っても構わない。

虚勢だったとしても、状況を変えるまでは剥がされるわけにはいかない。

💊 くるぶしツヤツヤ病

二手に、分かれる

スバル

「宿に戻って、レムから俺の持病の薬を受け取ってきてもらえないか」

フロップ

「薬? 旦那くん、何か悪い病気なのかい?」

スバル

「ああ、持病のくるぶしツヤツヤ病がかなりひどくなってるんだ」

フロップ

「なんと! 未知の病名だ!」

善良さにつけ込むのはいい気分ではない。だが、遠ざけるのが先だ。

狙いが復讐なら、別行動をすれば自分の方を追わざるを得なくなるはず。

――その想定が、根本から間違っていた。

🔪 掠れた声

殺さず、負傷にとどめる

背後で掠れた声。振り向けば、フロップフロップがひっくり返っていた。

掲げた右足の太ももを、小型のナイフが深々と貫いている。

命に別状はない。――だが、何故そうなったのか。

酒場での手口からして、相手は殺しに精通している。

狙撃手は、わざと仕留めず、負傷にとどめる。

撃たれた仲間を助けようとするものを、次々と魔の手にかけるために。

気付いた瞬間、路地で暗い光が閃いた。

額に触れようとした右手が、手首と肘の間で吹っ飛んでいた。

🪓 今度は顔を隠していない

「もっとちゃんと研がないとダメだな、失敗失敗」

路地から姿を現したのは、橙色の髪をバンダナでまとめた青年。

酒場で見た凶気の瞳は、見間違いでも何でもなかった。

トッド

「もっとちゃんと研がないとダメだな、失敗失敗」

淡々と、次への反省を口にする。

こちらの言葉にも素性にも、何の興味もないと言わんばかりに。

振り上げた斧が落ちる前に、その体に誰かが飛びかかった。

フロップ

「旦那くん! 逃げるんだ! 今すぐ逃げ――」

肘で引き剥がされ、上を向いたその顔面に、斧が落ちた。

❓ 首を傾げて

「恨むって何を言ってんだ?」

スバル

「俺を、俺を恨むのは、わかる……」

スバル

「でも、周りを……周りを! まき、こむなよぉ……っ!」

トッド

「お前さん、恨むって何を言ってんだ?」

頬に跳ねた血を拭いながら、不思議そうに首を傾げる。

トッド

「街でヤバい奴を見つけたんだ。問答無用で殺すに決まってる」

トッド「毒蛇を殺すのは恨みじゃなくて怖いから。そのためなら使えるものを使って殺す」

嘘はない。これまでの攻撃が、その言葉が本気だと証明している。

憎んですらいない。抱いた印象は、危険人物であるという認識のみ。

だから何も聞かないし、何もさせないし、何も言わせようとしない。

トッド

「お前さんは俺と同類だ。――時間はやらない」

スバル

「――ま」

トッド

「待たない」

⏳ 二十分で五回

積み上がっても、前進の実感がない

この二十分ほどで、すでに五回死んでいる。

監視塔の最終局面でも十五回以上重ねたが、あれは前進の確信があった。

今回は、それがない。

二手に分かれれば、即座にフロップフロップが撒き餌にされる。無理だ。

大通りへ逃れれば、竜車を暴走させてくる。周りも巻き込まれる。無理だ。

別の道を選んでも、路地の全てが奴の狩り場だ。無理だ。

大罪司教なら、権能頼りという強みが弱みになる可愛げがあった。

この相手にはそれがない。使えるものは何でも使う。

殺すべきものを殺すために、余計な思考を挟まない怖さがある。

🎭 一世一代の

「トッド! お前がいるのはわかってる!」

顧みないのは『周囲』への被害だ。『自分』への被害ではない。

むしろ自分への被害を極端に減らしたがるからこその、奇襲。

毒蛇を殺すのは、恨みではなく怖いから。本人がそう言っていた。

スバル

「――トッド! お前がいるのはわかってる!」

スバル

「まったくしぶとい野郎だぜ! だが、今度は逃がさねぇ! ぶっ殺してやる!」

スバル

「また見てぇぜ、お前が無様に逃げ回るところをよぉ!」

舞台度胸がある方でよかったと、このときばかりは本気で感謝した。

そうでなければ、声に震えが、瞳に恐怖が出ていた。

あの男は逆上しない。淡々と、最善手を模索し続けるタイプだ。

やり口に拘泥していない。それ故の柔軟性を、利用させてもらう。

スバル「――今すぐ、グァラルを出る。俺のハッタリが見破られる前にだ」

🎒 解かれていない荷物

「なんで、荷解きしてないんだ?」

スバル

「マズい奴に見つかった。長居はできない」

レム

「街を出る、ですか。わかりました。ルイちゃん、荷物を持ってください」

細かい説明もしていないのに、すんなりと呑み込んでくれた。

スバル

「なんで、荷解きしてないんだ? 宿に入ったのに……」

押し黙ったまま、彼女は何も言わない。

その無言が、疑いを肯定しているも同然だった。

スバル

「そういうことか……。道理で、すんなりついてきてくれたと……」

🐂 走れ、ボテクリフ

「でなきゃ、晩御飯にしちゃうぞー!」

フロップ

「走れ、ボテクリフ!!」

そして、牛車が走り出した。ゆっくりと。

スバル

「全然遅い! 歩いてる!」

フロップ

「ボテクリフ! 走ってくれ! 兄の言うことを聞いてくれ、ボテクリフ!

レム

「兄ではないと思われているのでは……」

ミディアム

「ボテちん! 走れー! でなきゃ、晩御飯にしちゃうぞー!」

太い鳴き声を上げ、ボテクリフが猛然と道を走り始めた。

💥 どーん!

それが、我が妹の実力だとも

大通りを塞ぐように、剣狼の国印の鎧を纏った男たちが展開していた。

スバル

「トッドか……! 方針転換して、仲間を呼びやがったな!」

ミディアム

「あんちゃん、しっかり手綱握っててな。頼んだぜい」

ミディアム

「――どーん!」

御者台を蹴り、矢のような速度で敵の隊列へ突っ込む。

蛮刀が風を撫で切り、凄まじい衝撃波が帝国兵を吹き飛ばした。

フロップ

「どうだい、あれが我が妹の実力だとも! 僕は戦いはからっきしなのでね!」

スバル

「弱点を潰してるんだろ! その意味がわかったぜ!」

⚔️ 立ち塞がる

「頑張れ!!」

ジャマル

「よくも魔獣なんぞけしかけてくれやがったな! ぶっ殺してやる!」

スバル

「……あいつはシンプルに俺を恨んでるのか。その方がホッとするぜ」

双剣が唸り、傍目にも劣勢とわかる武力差。

フロップ

「――妹よ!」

起死回生の助言かと思われたが、飛び出したのは――

フロップ「――頑張れ!!」

ミディアム

「頑張る――!!」

レムが木箱を投げ、断ち割られた中身の香辛料がジャマルの全身を覆う。

その隙にロープを投げ、ミディアムを荷台へ引き上げた。

レム

「これが、川辺でのお返しです!」

追いすがるジャマルの顔面に、あの背負子が直撃して砕けた。

🚪 正門を抜けた瞬間

「――くると思ってたぜ」

検問の行列を混乱させながら、一挙に都市の外へ飛び出す。

グァラルでの滞在時間、わずか三時間足らず。

視界が開け、平原と地平線が見えた、その瞬間。

――門の真上から、斧を振りかぶった人影が落ちてきた。

誰も反応できない一撃。予測していなければ防げない、悪夢の一撃。

だが、荷台に落ちていた蛮刀が、それを受け止めていた。

スバル

「――くると思ってたぜ」

一番気の緩むタイミングを狙ってくる。五度の恐怖が、そう確信させていた。

斧が押し込まれ、両手が痺れる。取り落とすのも時間の問題。

その力が唐突に弱まった。組み付いていたのはルイルイだった。

肘鉄を喰らい、悲鳴を上げてひっくり返る。

スバル

「――見てんだろ! やってくれ、クーナ! ホーリィ!!」

風切り音が空をつんざき、トッドの体が横へ吹っ飛んだ。

門の外へ出られれば助力がある。そういう確信があった。

スバル「あの、性格の悪いクソ皇帝……戻ったら、絶対ぶん殴ってやる……」

第七章18『城郭都市グァラル攻防戦』終了。