第七章18
『城郭都市グァラル攻防戦』
五度殺されて、ようやく相手の顔が見えた。だが、見えたところで勝ち目はない。
⚖️ 傾けた天秤
やると決めて、やった
目をつむれば、蘇ってくる光景がある。
ぬかるんだ森。物々しい男たちの空気。魔獣の咆哮。
あれは、自ら意識して、自覚して、やろうと決めてやった行為だ。
天秤を置いて、大切なモノとそうでないモノとを比べ、実行した。
深手を負ったものがいたかもしれない。命を落としたものがいたかもしれない。
――否、いたと仮定すべきなのだ。
魔女教徒でも大罪司教でもない。悪意から他者を害する徒でもない。
上からの命令に従い、生きるための仕事として武器を持った相手を攻撃した。
ナツキ・スバルの行動のツケは、ナツキ・スバルが支払わなければならない。
🤢 込み上げる嘔吐感
――トッド
頭蓋に斧がめり込んだ直後、硬い音と共に視界がクリアになる。
その場に跪き、込み上げる嘔吐感を口を覆って堪える。
「――トッド」
最後の言葉と声。何より、布越しに見えた瞳。
野営地は壊滅した。百人以上の犠牲が出たと聞いた。
傷つくのを恐れるあまり、それ以上の情報を入れるのをやめた。
だから、生き残りがいるなどと考えようともしなかった。
「ここが密林から最寄りの街ってんなら、生き残りが逃げ込んでるのは当たり前だ」
🩸 頬肉を噛んで
自分の行動で作った、『敵』
元の世界にいた頃、敵なんて言葉は漫画やゲームの中にしかなかった。
召喚されてからも、その対象は魔女教徒や魔獣だけだった。
そうではない相手を『敵』と呼ぶのは、これが初めてだ。
それも、他ならぬ自分の行動で作った『敵』だった。
強く奥歯を噛みしめる。頬肉が齧られ、痛みと血の味で意識を引き戻す。
足りなければ、口の中の肉を全部噛み千切っても構わない。
虚勢だったとしても、状況を変えるまでは剥がされるわけにはいかない。
💊 くるぶしツヤツヤ病
二手に、分かれる
「宿に戻って、レムから俺の持病の薬を受け取ってきてもらえないか」
「薬? 旦那くん、何か悪い病気なのかい?」
「ああ、持病のくるぶしツヤツヤ病がかなりひどくなってるんだ」
「なんと! 未知の病名だ!」
善良さにつけ込むのはいい気分ではない。だが、遠ざけるのが先だ。
狙いが復讐なら、別行動をすれば自分の方を追わざるを得なくなるはず。
――その想定が、根本から間違っていた。
🔪 掠れた声
殺さず、負傷にとどめる
掲げた右足の太ももを、小型のナイフが深々と貫いている。
命に別状はない。――だが、何故そうなったのか。
酒場での手口からして、相手は殺しに精通している。
狙撃手は、わざと仕留めず、負傷にとどめる。
撃たれた仲間を助けようとするものを、次々と魔の手にかけるために。
気付いた瞬間、路地で暗い光が閃いた。
額に触れようとした右手が、手首と肘の間で吹っ飛んでいた。
🪓 今度は顔を隠していない
「もっとちゃんと研がないとダメだな、失敗失敗」
路地から姿を現したのは、橙色の髪をバンダナでまとめた青年。
酒場で見た凶気の瞳は、見間違いでも何でもなかった。
「もっとちゃんと研がないとダメだな、失敗失敗」
淡々と、次への反省を口にする。
こちらの言葉にも素性にも、何の興味もないと言わんばかりに。
振り上げた斧が落ちる前に、その体に誰かが飛びかかった。
「旦那くん! 逃げるんだ! 今すぐ逃げ――」
肘で引き剥がされ、上を向いたその顔面に、斧が落ちた。
❓ 首を傾げて
「恨むって何を言ってんだ?」
「俺を、俺を恨むのは、わかる……」
「でも、周りを……周りを! まき、こむなよぉ……っ!」
「お前さん、恨むって何を言ってんだ?」
頬に跳ねた血を拭いながら、不思議そうに首を傾げる。
「街でヤバい奴を見つけたんだ。問答無用で殺すに決まってる」
嘘はない。これまでの攻撃が、その言葉が本気だと証明している。
憎んですらいない。抱いた印象は、危険人物であるという認識のみ。
だから何も聞かないし、何もさせないし、何も言わせようとしない。
「お前さんは俺と同類だ。――時間はやらない」
「――ま」
「待たない」
⏳ 二十分で五回
積み上がっても、前進の実感がない
この二十分ほどで、すでに五回死んでいる。
監視塔の最終局面でも十五回以上重ねたが、あれは前進の確信があった。
今回は、それがない。
大通りへ逃れれば、竜車を暴走させてくる。周りも巻き込まれる。無理だ。
別の道を選んでも、路地の全てが奴の狩り場だ。無理だ。
大罪司教なら、権能頼りという強みが弱みになる可愛げがあった。
この相手にはそれがない。使えるものは何でも使う。
殺すべきものを殺すために、余計な思考を挟まない怖さがある。
🎭 一世一代の
「トッド! お前がいるのはわかってる!」
顧みないのは『周囲』への被害だ。『自分』への被害ではない。
むしろ自分への被害を極端に減らしたがるからこその、奇襲。
毒蛇を殺すのは、恨みではなく怖いから。本人がそう言っていた。
「――トッド! お前がいるのはわかってる!」
「まったくしぶとい野郎だぜ! だが、今度は逃がさねぇ! ぶっ殺してやる!」
「また見てぇぜ、お前が無様に逃げ回るところをよぉ!」
舞台度胸がある方でよかったと、このときばかりは本気で感謝した。
そうでなければ、声に震えが、瞳に恐怖が出ていた。
あの男は逆上しない。淡々と、最善手を模索し続けるタイプだ。
やり口に拘泥していない。それ故の柔軟性を、利用させてもらう。
🎒 解かれていない荷物
「なんで、荷解きしてないんだ?」
「マズい奴に見つかった。長居はできない」
「街を出る、ですか。わかりました。ルイちゃん、荷物を持ってください」
細かい説明もしていないのに、すんなりと呑み込んでくれた。
「なんで、荷解きしてないんだ? 宿に入ったのに……」
押し黙ったまま、彼女は何も言わない。
その無言が、疑いを肯定しているも同然だった。
「そういうことか……。道理で、すんなりついてきてくれたと……」
🐂 走れ、ボテクリフ
「でなきゃ、晩御飯にしちゃうぞー!」
「走れ、ボテクリフ!!」
そして、牛車が走り出した。ゆっくりと。
「全然遅い! 歩いてる!」
「ボテクリフ! 走ってくれ! 兄の言うことを聞いてくれ、ボテクリフ!」
「兄ではないと思われているのでは……」
「ボテちん! 走れー! でなきゃ、晩御飯にしちゃうぞー!」
太い鳴き声を上げ、ボテクリフが猛然と道を走り始めた。
💥 どーん!
それが、我が妹の実力だとも
大通りを塞ぐように、剣狼の国印の鎧を纏った男たちが展開していた。
「トッドか……! 方針転換して、仲間を呼びやがったな!」
「あんちゃん、しっかり手綱握っててな。頼んだぜい」
「――どーん!」
御者台を蹴り、矢のような速度で敵の隊列へ突っ込む。
蛮刀が風を撫で切り、凄まじい衝撃波が帝国兵を吹き飛ばした。
「どうだい、あれが我が妹の実力だとも! 僕は戦いはからっきしなのでね!」
「弱点を潰してるんだろ! その意味がわかったぜ!」
⚔️ 立ち塞がる
「頑張れ!!」
「よくも魔獣なんぞけしかけてくれやがったな! ぶっ殺してやる!」
「……あいつはシンプルに俺を恨んでるのか。その方がホッとするぜ」
双剣が唸り、傍目にも劣勢とわかる武力差。
「――妹よ!」
起死回生の助言かと思われたが、飛び出したのは――
「頑張る――!!」
レムが木箱を投げ、断ち割られた中身の香辛料がジャマルの全身を覆う。
その隙にロープを投げ、ミディアムを荷台へ引き上げた。
「これが、川辺でのお返しです!」
追いすがるジャマルの顔面に、あの背負子が直撃して砕けた。
🚪 正門を抜けた瞬間
「――くると思ってたぜ」
検問の行列を混乱させながら、一挙に都市の外へ飛び出す。
グァラルでの滞在時間、わずか三時間足らず。
視界が開け、平原と地平線が見えた、その瞬間。
――門の真上から、斧を振りかぶった人影が落ちてきた。
誰も反応できない一撃。予測していなければ防げない、悪夢の一撃。
だが、荷台に落ちていた蛮刀が、それを受け止めていた。
「――くると思ってたぜ」
一番気の緩むタイミングを狙ってくる。五度の恐怖が、そう確信させていた。
斧が押し込まれ、両手が痺れる。取り落とすのも時間の問題。
肘鉄を喰らい、悲鳴を上げてひっくり返る。
「――見てんだろ! やってくれ、クーナ! ホーリィ!!」
風切り音が空をつんざき、トッドの体が横へ吹っ飛んだ。
門の外へ出られれば助力がある。そういう確信があった。
第七章18『城郭都市グァラル攻防戦』終了。
スバル
トッドだ。――バドハイム密林で、死んだはずの男。
フロップ
レム
ミディアム
ジャマル
ルイだった。