狼の国を読む WEB版・初見向け解説
20話収録

第七章11

『血命の儀』

話を聞いてもらうために、通らなければならない儀式がある。それは、命を賭けた証明だった。

🩸 儀式の名

「『血命の儀』ってのは、なんなんだ?」

スバル

「――『血命の儀』ってのは、なんなんだ?」

アベル

「誇りや約定の価値を高く見積もるシュドラクの民にとって、決して無視できぬ習わしの一つだ」

アベル

「森の外の陣地で捕虜になったと話していたな。待遇は?」

スバル

「……肩と背中の傷がその功績だよ。あとは、雑用もさせられた」

アベル

「雑用ということは、陣の中も見たな。おおよその配置は? ない頭を絞り尽くして、記憶からそれを引っ張り出せ」

スバル「いくつかの天幕と、陣内の人数くらいなら……おい、何の話なんだよ」

答えは返らない。それより早く、複数の足音が近付いてきたからだ。

👭 姉と妹

「姉上! 本気なのですカ?」

ミゼルダ

「ウタカタから聞いタ。お前たちが『血命の儀』を受けると言ったト」

自分の足にしがみつく少女――ウタカタウタカタの頭に手を置いている。

ミゼルダ

「いったい、どこで『血命の儀』のことを知っタ? それは我々、シュドラクの間にだけ伝わっている儀式のはずダ」

アベル

「笑わせるな、シュドラクの若き長よ。人間が二人いれば秘密は漏れる」

ミゼルダ

「……なるほどナ。どうやら、『血命の儀』を受ける資格はあるようダ」

タリッタ

「姉上! 本気なのですカ? こんな男たちの話を真に受けテ……」

ミゼルダ

「真に受けたわけじゃないサ、タリッタ。ただ、打ち捨てるには惜しいと思っただけダ」

髪を青く染めた女性。目力の強い顔立ちは、確かによく似ていた。

🎓 通過儀礼

対等に、話を聞いてもらうために

ミゼルダ

「それは我らシュドラクに古くから伝わル、一族へと己を認めさせるための儀式ダ。成人の儀と言ってもいイ」

スバル

「ああ、そういうやつか。けど、俺たちは別に……」

アベル

「戯けたことで時間を無為にするな。重要なのは、儀式の本質だ」

成人の儀の本質は、その集団において一人前であると認めさせること。

スバル「シュドラクの人たちに、対等に話を聞いてもらうための通過儀礼……」

アベル

「そういうことだ」

タリッタ

「姉上、だったラ、エルギーナがよいのでハ?」

ミゼルダ

「『血命の儀』ハ、それが行われるときに最も大きな困難が選ばれル」

ミゼルダ「――エルギーナ」

その名を聞いたウタカタウタカタが肩を跳ねさせ、女性たちが緊張に包まれた。

🌙 深い森を歩く

骨付き肉を持った、優しい人

目隠しも拘束もされず、シュドラクの民に囲まれて集落の外を歩く。

暗闇の中を手探りで進むようなもので、何度も足下を危うくした。

🟨 髪を黄色く染めた女性

「大丈夫ヨ~。私、力持ちだから全然平気だもノ~」

喋り方も顔立ちも柔らかい、ふくよかな体型の女性。

引き締まった女性が多いシュドラクでは珍しく、とても親しみやすい。

🟨 髪を黄色く染めた女性

「ケガの調子は平気なノ~? 手当て、私がしたノ~」

ただ、片手にずっと骨付き肉を携帯しているのが気になる。

🟨 髪を黄色く染めた女性

「あはハ、それはそうなノ~。それにお腹いっぱいだと死ぬときも苦しむノ~」

優しげな風貌でも、彼女はシュドラクだった。

🏃 逃げないのか

「唾棄すべき、くだらぬ英雄願望」

アベル

「時に、だ。貴様は今のうちに逃げ出そうとは思わないのか?

スバル

「そういう、妙な誘惑かけるのやめてくれねぇか。考えなくはないけど、やらねぇよ」

アベル

「ほう、何故だ?」

森の闇は深く、数メートル先も見通せない。陣地の方角も距離も曖昧だ。

その上、周囲のシュドラクは全員、両手が故障した自分よりずっと上手。

何より――

スバル「俺が逃げたら、あんたはいったいどうなるんだよ」

アベル

「――。なるほどな。つまり、貴様はそういう輩か。唾棄すべき、くだらぬ英雄願望」

スバル

「あんだと?」

問い質すより早く、先頭を行くミゼルダミゼルダの足が止まった。

🕳️ 押されて

急斜面の、底

ミゼルダ

「ここダ」

スバル

「ここって、何にも見えねぇんだが……」

ミゼルダ

「ゆけばわかル」

背中を押され、一歩、二歩と踏み出したところで足が空を切る。

急斜面を滑り落ち、どうにか底で息をついた。

投げ込まれたのは、取り上げられていた装備。

鞭も、背中に刺さっていたナイフも、巡り巡ってこの場に戻っている。

ウタカタ

「ウーたちが見てル! 頑張レ!」

🟨 髪を黄色く染めた女性

「それジャ、頑張ってほしいノ~っ」

のんびりとした声で、のほほんと微笑みながら、大岩で斜面の入口を塞ぐ。

信じ難い怪力。あの強固な即席の檻を誰が作ったのか、これでわかった。

💍 黒い宝石

「魔を封じた指輪だ」

アベル

「マシな方の指に嵌めておけ! 時間がないぞ」

放り投げられたのは、黒い宝石の嵌め込まれた指輪。

高級感と共に、奇妙な威圧感がある。

アベル

「魔を封じた指輪だ。使う前に口付けしておけ。限度はあるが、火を吐き出す」

スバル

「は? 魔? 口付け? いったい何を……」

アベル

「――くるぞ」

暗闇からぬっと姿を見せたのは、ぬらぬらと濡れた光沢の緑の鱗。

この密林で、すでに二度も遭遇した大蛇の魔獣。

スバル「まさか、エルギーナ……?」

ミゼルダ

「さあ、戦うがいイ、戦士の証を立てヨ! シュドラクの、狩りの眼が見届けル!」

🌡️ 熱を、見ている

ピット器官

大口が閉じ、大気が噛み殺される。爆風に押されて地面を転がる。

アベル

「何度も言わせるな、愚か者が。息を潜めろ」

マントの中に包み込まれる。――『姿隠し』。

アベル

「息を殺していれば、とっさに奴もこちらを見つけられぬ」

だが、違和感を覚えた。

蛇には、暗闇でも獲物の位置を把握するための熱感知器官がある。

――ピット器官。獲物の温度を探知する、暗闇の中の暗殺者。

スバル「――ゴーア」

噴煙を突き破って襲いかかった大蛇の鼻面で、炎が炸裂した。

⚔️ 通らない刃

鱗を、貫けない

好機を逃さず、アベルアベルが斬りかかる。

最も貫通力のある刺突が喉元へ迫り、鋭い刃が鱗を深々と抉る――かに思われた。

アベル

「く……っ!」

先端を浅く突き刺したところで、それ以上の侵入を阻まれる。

渾身の一撃だった。それが、通らなかった。

スバル

「ゴーア! ゴーア! 重ねてゴーアぁ!!」

闇雲に連射しても、魔獣は長い舌で焦げた頬を舐めるだけ。

戦い始めてから三十秒。それだけで、勝算がないのがわかった。

🏹 頭上から

全員が、弓をつがえていた

スバル

「おい、ミゼルダさん! こいつは――」

きついと訴えようとして、息を呑む。

頭上のシュドラクの民が全員、弓をつがえてこちらへ狙いを付けていた。

ミゼルダミゼルダも、タリッタタリッタも、あの黄色い髪の穏やかな女性も、ウタカタウタカタさえも。

誰一人例外なく、冷たく睨みつけている。

アベル

「一度始めた儀式だ。『血命の儀』に逃げ道はない」

――彼女たちは笑い合った相手と、一秒後には殺し合いができる。

ウタカタウタカタを見れば、それが幼い頃から染みついた死生観なのだとわかった。

その是非を問うことに、ここでは何の意味もない。

🎯 勝利条件

角を折れば、魔獣は服従する

アベル

「胴体の鱗は抜けん。心の臓を貫くのが無理なら、目や口から脳を狙うか?」

スバル

「たぶん、それも難しい。なら、俺たちの狙う勝利条件は、もうちょぴっと上だ」

スバル「角を折れば、魔獣は折られた相手に服従する。――そこしかない」

アベル

「策は」

スバル

「俺が囮、攻撃役は怪しい覆面男」

アベル

「怪しい? ここにいるのは高貴な覆面男だけだな」

戦士の証なんて、似合わないし欲しいとも思わない。だが――

スバル「それがなくちゃお前のところにいけないなら、俺はそれを手に入れる」

🔥 谷を焼く

「逃げるんじゃなイ、戦う気ダ!!」

左手から投じられたのは、鞭の先端。

右でも左でも扱えるよう、師匠に技を仕込まれていた。

狙ったのは鱗ではなく、その頭上に生い茂る太い枝。

鞭を絡ませ、体が勢いよく跳ね上がる。

タリッタ

「――っ、姉上! あの男ガ、逃げル!!」

ミゼルダ「逃げるんじゃなイ、戦う気ダ!!」

空を旋回しながら、右手の指輪で崖の縁に狙いを付ける。

スバル

「ごおおぉぉぉぉ――!!」

溢れ出す炎が蔦や枝に燃え移り、凄まじい業火となって谷間を焼く。

ミゼルダ

「いいゾ、いいゾ、面白いゾ!」

谷が炎に包まれれば、熱感知は死ぬ。

アベル

「大方、熱を見るといった手法か。――それも、もはや通用せぬ」

『姿隠し』のマントが、飛びかかる姿を見失わせた。

🖤 とっさの手

「俺は、『死に戻り』して――」

崖から飛び降りた剣が、白い角へと銀閃を奔らせる。

――だが決着の寸前、大蛇が頭部をひねって剣撃をずらした。

角の半ばで止まり、薙ぎ払われる尾がアベルアベルを捉える。

アベル

「かふっ……く、ぬかった……ッ」

立てない。『姿隠し』にくるまる余裕もない。大口が開かれる。

スバル「俺は、『死に戻り』して――」

世界から色が抜け落ち、音が消え、空気の流れさえ感じなくなる。

静止した世界へ溢れ出る、黒い影。

🖤 影

「――愛してる」

スバル

「……ああ、耳にタコだよ」

心の臓を握られ、全身が指先からすり潰されるような激痛。

スバル

「俺を、見ろぉ――っ!!」

膨れ上がる瘴気を感じ取った大蛇が、頭上の元気で臭い方へ振り向く。

――その頭部へ届かせるには、振り向いてもらわなければならなかった。

💥 柄頭へ

魔石ごとの、一発

鞭を手放し、体が放物線を描いて飛ぶ。

上顎に足をかけ、無様につんのめるように前へ。

眼前には、半ばまで刃を埋めた白い角と、その刀剣の柄頭。

スバル

「あ、あああぁぁぁぁ――っ!!」

体を回転させ、渾身の右拳を叩き込む。

ただの拳撃で、この太い角が断ち切れるとは思わない。

だが、それはただの拳撃ではない。――魔力のこもった、魔石ごとの一発だ。

宝珠が割れ、赤い光が漏れる。

刹那、光は膨れ上がり、爆裂を起こして全ての視界と音が消し飛んだ。

🗣️ 望みを語れ

「れむ、を……た、すけて……」

仰向けの体が痙攣し、口の端から黄色い胃液がこぼれる。

すぐ真横に頭を落とした大蛇の震動を、瀕死の意識は気付けない。

アベル

「――ナツキ・スバル! 立て! 今すぐ、立て!」

アベル

「立って、言うべきことがあろう! 女を、レムという女をどうする!」

アベル

「貴様の口から語れ! 貴様の望みを、俺の口が語ることはできん!」

ミゼルダ

「――あア、シュドラクの族長、ミゼルダが見届けタ! 戦士ヨ、我が同胞ヨ! 何を望ム!」

アベル

「その閉じた瞼の裏に、己が欲するものを描け。――怠惰な豚に、くれてやる餌などないのだ!」

銀髪の少女が見える。クリーム色の髪をした幼い少女、桃色の髪の少女。

灰色髪の青年や金髪の少年、他にもたくさんの、人の顔が見えて。

――青い髪の少女が、その人たちの中にいるのが嬉しくて。

スバル

「れむ、を……」

アベル

「なんだ!!」

スバル「た、すけて……」

アベル

「聞いたか、シュドラクの民よ。これが新たな同胞の願いだ」

ミゼルダ

「皆まで言うナ。――我らには誇りモ、勇気もあル」

ゆっくり、ゆっくりと意識が遠ざかっていく。

アベル「――貴様は己の務めを果たした。女は任せるがいい」

第七章11『血命の儀』終了。