第七章9
『帝国の流儀』
同じ声、同じ言葉、同じ笑み。だが、知ってしまったあとでは、何もかもが違って見える。
👞 また、口の中に
「ぜえはあうるっせえぞ、てめえ」
全身を蝕む脅威。流れる血がマグマとなったような苦しみ。
その絶望的な感覚が答えに行き着く前に途切れ、嘘みたいな開放感が――
⚔️ 荒っぽい男
「――ぜえはあうるっせえぞ、てめえ」
目隠し。手足の拘束。口に突っ込まれた、靴。
――ほんの十数秒前の出来事が、頭を掻き回している。
森が火の手に包まれていた。背中に矢を浴びた。矢を放ったのは幼い少女だった。
血泡を噴きながら、駆け寄ってくれた声を聞いた。
目隠しが外され、視界に広がったのは――健在な、緑の密林だった。
🌲 燃えていない森
二の轍は、踏まない
「死んだ、のか」
業火に焼かれ、黒煙を上げていたはずの森が、右へ左へ地平線まで続いている。
矢傷に倒れた自分へ這い寄り、必死に死ぬなと呼びかけていた声。
だが、それを裏切った。彼女の前で、無残にも死んでしまった。
未知の土地で、自分を知る唯一の男が死んだ。
記憶のない彼女がどれほどの不安を味わったか、想像するだけで胸が張り裂ける。
――もう絶対に、彼女にそんな思いを味わわせたくない。
そして、森を焼かせてはならない。
失言がなければ、穏便な交渉の可能性だってあった。
その可能性を奪い、森で暮らす人々の命を奪ったのだ。
『死に戻り』で干渉できなくなっても、その事実からは逃れられない。
🔪 掌が視界を塞ぐ
「なんで今、そんな目で俺を見たんだ?」
前回、関係は良好だった。あの関係性は維持しつつ、慎重に情報を選ぶ。
「そこから助けてもらったんなら、あんたたちは命の恩人――」
「――待て」
広げられた五指と掌に、視界を塞がれる。
冷たく硬い声が聞こえた直後、右肩に鋭い感触が侵入する。
――ナイフの先端が、突き立てられていた。
「ぎ、がああぁぁぁぁ――ッ!!」
🧊 理路整然と
「操ろうとするのはおかしいだろう」
「トッド、話が違うじゃねえか! こいつらには手を出すなって言ってたのはお前だっただろうが!」
「ああ、こいつらの素性がわからないうちはそのつもりだった。失敗失敗」
倒れた体に足を乗せ、体重をかけてくる。
「あんまり苦しませても仕方ないんだが、お前さん、痛みには強い方かね」
「自分が痛みに鈍いと、どうしてもこういうところで下手をやらかしちまう。失敗失敗」
「で、なんで刺したんだ」
「目隠しを外して俺を見たとき、俺を操ろうとする目をした。不安とか緊張ならわかる。怯えたり泣いてもいい」
「そんな奴は怖くてとても対応できんよ。さっさと殺した方がいい」
右肩を刺したのは、左手の指が折れて使い物にならないと知っているからだ。
両腕の機能を、最小の手数で奪う。
自らの安全を確保するため、即座に判断し、実行したに過ぎない。
🗣️ 解体されていく怒り
相手の心情を柔らかくする、魔性
「起きてすぐにそんなこと考えたのかはわからねえじゃねえか」
「いや、それはない。寝たふりしてるんじゃないかはずっと見てた」
「もしも見落としたんだとしたら、計画的に俺を操ろうとしたってことじゃないか。こっちの方がもっと怖い。やっぱり殺しておくのが正解だろう」
最初はあった驚きと怒りが、少しずつ解体されていく。
この男の声音と話し方には、相手の心情を柔らかくする魔性が宿っていた。
相手に寄り添い、理解を示し、その上で魅力的な提案を差し出す。
勢いを殺され、頭の柔らかくなった相手は、それを吟味したくなってしまう。
――それは、『死に戻り』する直前で自分の身に起こったことでもあった。
🎲 手札を切る
「――『シュドラクの民』」
「連れのお嬢ちゃんたちも得体が知れないが、あっちの二人は単純で接しやすい。何か面倒がある前に、病巣は取り除いておこう」
――排除しても、別の方法で思惑を探る気でいる。
だが、何を聞かれても彼女は答えられない。どんな拷問にかけられても。
「せいぜい、俺の憂さ晴らしとしていい声で喚け、クソガキ。てめえの女の分も、てめえが体でツケを払ってもら――」
動きが止まる。背後の表情が変化する。
「へえ」
「ここでその手札を切ったか。お前さん、賭け事のやり方をよく弁えてるみたいじゃないか」
――だが、居場所など知らない。
これは、命を賭けた大博打だった。
🎭 演じる
「命乞いのために部族を売るのかい?」
「……俺が『シュドラクの民』の一人だから」
「なるほど、やっぱりそうか。肌の色はともかく、黒髪だろう? シュドラクが黒髪なのは有名な話だから」
全く知らない情報を後出しで出され、運に助けられた。
「――お前さん、命乞いのために部族を売るのかい?」
引き出したい言葉を引き出した。あとは、答えを過たないことだ。
――自分の部族を売り、命乞いをする惨めで卑屈な男の顔と声を作れ。
「……あ、ああ、そうだ。身内を売る」
「頼む、何でもする。何なら、あいつらを誘き出してもいい。何でも、何でもだ!」
そうした人間性のモデルなら、この世界で幾度も見た。
あの大罪司教共をモデルとする日がくるなど、思いもしなかったが。
「自分のために部族を売るぐらい卑屈な奴の言うことなんだぞ? それはもう、必死で俺たちに利得を示すさ」
「命に執着してるのは間違いない。――自分のかはともかく、さ」
🔒 檻の前を通って
「もっと臭いがひどくなって……」
「――っ! 待ちなさい! その人をどうするんです!?」
半端に乾いた衣服、応急手当だけの右肩、折れたままの左手、外れない手枷。
まさしく奴隷も同然の姿で、陣地の外へ連れ出されていく。
『死に戻り』で、わずかに歩み寄れたかもしれない関係もリセットされた。
「――っ!? さっきよりも、もっと臭いがひどくなって……なんなんですか、これは」
彼女からすれば、ナツキ・スバルは邪悪の申し子そのものだろう。
「あのお嬢ちゃん、お前さんの連れのはずだったのにあの調子だよ」
「――。どっちも、あんたたちに接触する小道具として買ったんだ」
酷薄を装って言い切る。人質にされることだけは、防がなくてはならない。
🧭 方針を決める
敵でも味方でも、危険な存在
――その考えは、もうなかった。
味方にしてもコントロールはできず、敵になった場合の危険性は言うまでもない。
「不用心じゃないですか? 『シュドラクの集落』に向かうのに、この人数っていうのは」
「情報源としちゃ立派だが、上はそこまでお前さんの話に期待していない」
「それに、これがお前さんの罠で、俺たちが帰らなかったら帰らなかったで森に入るのは危ないってことを陣地の味方に周知できる」
「はは、ヴォラキア万歳だ」
勝利のための犠牲もやむなしと、帝国兵が唱和した。
👨👩 知らない関係
「ジャマル義兄さん」
「下種の裏切り者が、俺の名前を呼ぶんじゃねえよ。てめえは刻んで捨てて、女共はそうさな……女好きのズィクル二将に献上でもするか」
「ジャマル……あんまり馬鹿ばっかり言うのはよせよ。疲れるから」
「上等だ。そんな真似するなら、俺たちで皆殺しに……」
「――本気か? 勝ち目の見えない戦いに俺は乗れないぞ」
知らなかった二人の関係が、多少なり見えた。
生憎と、それへの感慨はない。
👁️ 赤い光点
「魔獣だあああぁぁぁ――っ!!」
隊列の後ろで、帝国兵の一人が喉を鳴らした。
密林の暗闇の中、ぼうと浮かび上がった赤い光点と『目』が合う。
🛡️ 帝国兵
「魔獣だあああぁぁぁ――っ!!」
警戒を促した反応は完璧で、落ち度は何一つない。
だが、抜剣と同時に斬りかかったこと。それは明確な勇み足だった。
――魔獣の狙いは、帝国兵ではなかったのだから。
大量の瘴気を纏った、ナツキ・スバルだったのに。
魔獣の囮をやって一年、その道のプロは知っている。
危害を加えられたときだけは、話が別になる。
白鯨は自分を切り刻む男を狙い、大蛇は自分を射抜いた狩人へ牙を向けた。
――これを狙って、数時間も森を歩いたのだ。
🪓 首の裏の怖気
漆黒の、殺意
駆け出そうとして、首の裏に怖気を覚えた。
なりふり構わず頭を下げる。
直後、頭部のあった位置を薙いで、斧がすぐ脇の大木へ突き刺さった。
今、頭を下げていなかったら死んでいた。
足を止めれば捕まる。捕まれば、確実に命を奪われる。
あの目には、そういう強固な意志があった。
大罪司教とも、魔獣とも、レイド・アストレアとも別種の恐怖。
――執拗な執念に彩られた、漆黒の殺意だった。
🩸 背中に、また
「レム……レム……れ、む……ぅ」
走る背を、何か硬い衝撃が貫く。
肩甲骨のあたりに当たったのは、投げられたナイフ。
――奇しくも、嫌な形で手元に戻ってきたものだった。
息が切れ、血を吐いて、何度も転びかけ、実際に転んで、泥だらけになりながら。
「レム……レム……れ、む……ぅ」
子どもが歩いた方がマシな速度で、涸れた喉で喘ぐ。
酸素も体力も精神力も尽きかけた状態で、唯一の執着に縋りつく。
連れ出して、助け出して、みんなのところへ帰る。
そして、彼女に優しい時間を返すのだ。
手を伸ばして、足が宙を掻いた。
支えるための腕が使えず、真っ逆さまに落ちる。
🪵 木の格子
「また貴様の顔を拝むとは思わなかったぞ」
👤 傲慢な声
「――いつまで眠っているつもりだ、戯けものが」
側頭部を踏まれた感覚で、意識が引き上げられる。
「……あ、れ? 俺は……ぐがっ」
右肩と背中、左手と足。全身の至るところに激痛。
アドレナリンで無視していた痛みが、意識を落としたことでぶり返していた。
「……死んで、ない」
👤 傲慢な声
「当然であろう。死者がモノを語るか?」
周囲には太い枝が突き立っている。――否、これは木の格子だ。
👤 傲慢な声
「そう急くな。貴様の追手はここにはおらぬ」
👤「まさか、また貴様の顔を拝むとは思わなかったぞ。――ナツキ・スバル」
目元しか見えない覆面姿の男が、同じ檻の中で傲慢に笑っていた。
第七章9『帝国の流儀』終了。
スバル
トッド
ジャマル
レムだ。
エミリアと
ベアトリス、
ラムと🌷 ペトラと
フレデリカ、
ガーフィールと