第七章5
『男はつらいよ』
狩人と大蛇。どちらが勝っても、追ってくる。逃げ道の先にあったのは、十メートル下を流れる大河だった。
🌷 いつかの庭で
「弱音なんて吐けません」
頭の上から降ってきた水を、盛大に浴びる。
「きゃっ! スバル様、ごめんなさいっ!」
水場では、庭石に腰を下ろした🍃 リューズが待っていた。
幼い容姿と、老成した喋り方。そのアンバランスさが彼女の特徴だ。
「リューズさんは、ガーフィールとフレデリカと別々に暮らしてるの、寂しくないか?」
🍃 リューズ
「仕方のない話じゃよ。儂はもちろん、他の複製体……儂の姉妹たちは、この屋敷で暮らすには問題が多い」
役に立つとか立たないとか、そういう話はしていない。
「俺は、自分がしてもらったことは、周りもしてもらっていいと思うんだよな……」
🍃 リューズ
「スー坊は優しいだけでなく、甘くて青いんじゃな」
「ペトラもお父さんお母さんと離れ離れだよな。ホームシックとか、ないのか?」
「寂しいって思うことはあるよ? でも、わたしがやりたいって決めたことだし、その真っ最中だもん」
🌷「弱音なんて吐けません」
自分で決めたことを、成し遂げんとしている真っ最中。
だったら苦しい中でも、笑って顔を上げなくては。
🩸 走馬灯が途切れて
「俺を助けた……!?」
頭からどす黒い血を浴びて、意識が引き戻される。
大蛇の太い胴体を穿ったのは、さんざん自分たちを苦しめた狩人の矢だった。
「なんで、狩人の矢が大蛇を……!?」
誤射かとも思ったが、胴体のど真ん中を捉えている。その可能性は低い。
意味がわからない。それ以外の答えも湧いてこない。
胴を射抜かれた大蛇が、空を軋らせるような鳴き声を上げる。
そして逃げる背ではなく、矢の飛んできた方へ――射手へ向かって這い始めた。
体長十メートルの巨体が、大地を滑るように移動していく。
木々の彼方で、人と魔獣の壮絶な殺し合いが始まった。
🏃 今のうちに
「今は俺と狩人と蛇と、どれが一番マシか考えろ!」
「レム、手ぇ貸せ! 今のうちに逃げるぞ!」
放り出せば、また一悶着が生まれる。それは避けたい。
「ちょっ」
「今は俺と狩人と蛇と、どれが一番マシか考えろ!」
「……言葉が通じれば、蛇です」
🌿 痕跡を散らす
初めて、噛み合う
「なるべく、足跡がつかない道を選んで、痕跡を消して、あとは……」
「別の方角に痕跡を残す……ですね!」
言いながら、当たりかけた枝を折って遠くへ放り投げ、別方向の木に傷を付ける。
初めて、二人の考えが噛み合った。
走りながら、場違いな懐かしさが脳裏をよぎる。
以前にも、魔獣に追われて森を走ったことがあった。
「息が上がっています。このままだと追いつかれますよ」
「わかってるよ! ったく、姉妹揃って……容赦がねぇんだから……!」
🌊 水の音
十メートル下を、大河が流れている
「水の音が聞こえます。流れる……川? 痕跡が消せるんじゃありませんか?」
だが、この場で彼女の聴覚を疑う理由がない。
木々を追い越し、草むらを飛び越え、道が開けた瞬間――
「――川! ……だ、け、ど?」
聞こえてきたのは、十メートル近い崖下を流れる大河の音だった。
ちょっと渡って痕跡を消せれば、なんて考えを嘲笑うように。
「これは、いくら何でも……」
背後の森の遠くで、凄まじい咆哮が空へ轟いた。
勝利にせよ敗北にせよ、生き残った方がこちらへやってくる。
🙅 置いていけ
「――私を、置いていってください」
「――私を、置いていってください」
「な、に?」
「私のせいで、余計な回り道をさせました。何とか、相手の足止めをしてみますから……」
「ば、馬鹿なこと言うな! お前を置いてくなんて……」
「じゃあ、どうするんですか!? 足の動かない女と子どもを連れて、もう息も切らして膝も震えているあなたが、これ以上どうするって!」
どうすると問われ、すぐに代案が出せるほど賢くはない。
だが、賢くないからこそ、賢さの必要ない答えならすぐに出せた。
「責任感発揮するとこ間違ってんだよ! 誰が、お前を置いていけるもんか!」
「お前が死ぬぐらいなら、俺が死んだ方がマシなんだ。どうしたらわかってくれんだよ!」
🪂 飛ぶしかない
「――俺は、お前の英雄だから」
「――飛ぶしかない」
「な……ま、待ってください! それこそ無謀です!」
高さは十メートル。まともに動けない二人を、怪我人がフォローする。
荒々しい流れに耐えて対岸へ辿り着く。自殺行為に思えて当然だった。
「だけど、自殺じゃない。仮にそうでも、死ぬときは一緒だぜ」
「絶対嫌です!」
笑みが、豪快な平手に打たれた。
「わかった。お前がそう言うから、死なない」
彼女の記憶が疼いたわけではない。ただ驚いただけだろう。
でも、それでいい。
薄い青の瞳に映る、情けなさを虚勢で隠した男に魔法をかけたかっただけだ。
「――死んだら許しません!」
ああ、それじゃあ死ねないなと苦笑いして、強く崖を蹴った。
💧 水の中で
みんな、が――
衝撃と水柱。猛烈な勢いに全身が呑まれ、ぐるぐると回転する。
かろうじて足先から飛び込めたおかげで、被害は最小限で済んだ。
それでも、体力ゲージはすでに真っ赤だった。
胸の内には愛情、背中には憎悪の対象。
縛り付けた鞭も、強く抱いた腕も外れていない。
水を掻いていると、余計な考えが頭の中を蠢き回る。
指を折られたとき、よく泣き叫ばなかった。偉い。
プリステラに早く戻って、困ってる人たちを助けて、王選が、明日が――
みんな、が――
🏞️ 岸へ
「れ、むを……」
伸ばした手が枝を掴む。折れた三本の指が悲鳴を上げたが、気にならない。
全身が冷え切り、感覚が遠く鈍い。
咳き込み、腹の中を満たしている水を盛大に吐き出す。
右腕の重みを抱き寄せ、水面に顔を出させる。
岸へ引き上げ、口元に耳を寄せる。――反応がない。
胸を押し込み、心肺蘇生を行う。
やがて「げほっ」と水が吐き出された。
背中の重石を下ろす。最初から意識がなかったのが幸いしたのか、弱々しく呼吸していた。
つまりは全員が、無事に――
ぐらりと頭が揺れて、その場に倒れ込む。
茂みに隠れなくてはと思うのに、体が全く言うことを聞かない。
👞 口の中に
「ぜえはあうるっせえぞ、てめえ」
冷たい暗闇の底から、意識が引き上げられる。
溺れていたみたいに酸素を求め、大きく口を開け――
⚔️ 荒っぽい男
「――ぜえはあうるっせえぞ、てめえ」
開けた大口に、無理やり何かがねじ込まれた。
土と草の味。大きく固い歯ごたえ。――靴だ。
「おげっ! ぶえっ! な、何が……ごえっ!」
吐き出した直後、爪先で鳩尾を蹴飛ばされる。
顔には布が巻かれ、何も見えない。
腕は後ろ手に縛られ、足も縛られている。
目も見えず、意味もわからず、いきなり暴力を振るわれて。
⛺ 目隠しの向こう
「お前さんは俺たちの捕虜になったんだよ」
🪓 人の好さそうな男
「――まあまあ、落ち着けって! 何もわかんないんだよ! 仕方ないって!」
あとから入った方が説得し、荒々しい気配が遠ざかっていく。
🪓 人の好さそうな男
「いきなり悪かったな。とりあえず目隠しを外すぞ? 手足の縄は外せないから勘弁な」
取り戻された視界に広がっていたのは――
いくつもの天幕と焚火。忙しなく行き交う、刀剣や甲冑を纏った男たち。
(・・・・・・)
「……大河ドラマで、こんなの見たことある」
合戦が始まる前の、準備に追われる陣地。まるでその再現のような――
否、そうではない。
🪓 人の好さそうな男
「ちょうど、水汲みにいったところで見つかってなぁ」
🪓「悪いが、お前さんは俺たちの捕虜になったんだよ」
第七章5『男はつらいよ』終了。
ペトラ
スバルを直撃した。
ルイの体を背中に括りつける。
ラムだった。
エミリアは、
ベアトリスは、